第十四章 関東への野望と、半蔵の調査
磐城の城で、俺は三日間悩んだ。
文字通り、三日間だ。
飯を食いながら悩んだ。風呂に入りながら悩んだ。夜中に目が覚めてマップを眺めながら悩んだ。利三に心配され、幸村に「飯をちゃんと食え」と言われ、昌幸に「悩んでいる顔が板についてきましたな」と笑われた。
悩みの中身は一つだ。
このまま東北六ヶ国で守りを固めるか。それとも南に出るか。
守りを固める選択肢は、一見正しい。
東北は豊かになりつつある。民が増え、田畑が広がり、安東愛季の海路が物資を運び続けている。このまま内政に専念すれば、五年後には盤石の基盤ができるだろう。
しかし、問題がある。
秀吉が待ってくれない。
マップ上で秀吉のマーカーは着実に東へ動いている。天下を固めながら、じわじわと東に手を伸ばしている。このまま待てば、秀吉が関東を押さえる。関東を秀吉に取られれば、東北は完全に孤立する。北と東は海。西と南は秀吉。逃げ場がない。
それだけではない。
武田信玄のマーカーが甲斐で動き始めている。信玄が関東に手を伸ばす前に、俺が動かなければならない。
結論は、出ていた。
三日間悩んだが、最初から答えは一つしかなかった。
「関東を取る」
四日目の朝、俺は全員に告げた。
広間がざわめいた。
利三が目を丸くした。「関東、でございますか」
「そうだ。南に出る。関東を押さえれば、東北の防衛線が格段に厚くなる。秀吉が東に来ても、関東で受け止められる」
昌幸が腕を組んだ。「関東には北条がおります。北条氏康、あるいは氏政か。小田原城を中心に強固な防衛網を持つ難敵です」
「分かっている」
「武田信玄も甲斐で動いています。関東に向かえば、西から信玄に突かれる可能性がある」
「分かっている」
「謙信公との同盟は続いていますが、謙信公も関東に関心がある。動きが複雑になります」
「全部分かっている」
昌幸が穏やかに笑った。「では止めません」
家康が静かに言った。「兵力は」
「足りない」と俺は即答した。「今の兵力では関東には行けない。だから増やす」
「どのくらい必要ですか」家康が聞いてくる。
俺はマップを確認した。北条の兵力、信玄の位置、秀吉との距離。全部を計算した。
「最低でも三万。できれば四万欲しい」
広間が静まり返った。
「現在の兵力は二万二千だ。一万から一万五千、増やす必要がある」
幸村が静かに言った。「時間がかかる」
「だから今から始める」
方針が決まった。
磐城を拠点に、兵力の回復と増強を行う。
同時に、半蔵に関東の詳細な調査を命じる。
動くのはそれからだ。
俺は半蔵を呼んだ。
いつも通り、気配もなく現れた。
「関東を全部調べてきてくれ」と俺は言った。
半蔵が静かに聞いた。「どこまで詳しく」
「全部だ。北条の兵力と城の配置。武田信玄の現在の動向。上杉謙信が関東に持っている影響力。関東の豪族の動向。秀吉の東への進出状況。民の気持ちも知りたい。どの大名が嫌われていて、どの大名が支持されているか」
半蔵が少し間を置いた。「……量が多いです」
「時間をかけていい。ただし正確に頼む」
「どのくらいかけまするか?」
「二ヶ月で頼む。その間に兵力を整える」
半蔵が短く頷いた。
「一つだけ追加で頼みたいことがある」
「何ですか」
「相馬盛胤の行方も調べてくれ。どこに逃げたか、何を考えているか」
半蔵が微かに目を細めた。「……仲間にするつもりですか」
「まだ分からない。でも放置はできない。動向だけは把握しておきたい」
半蔵が無言で頷いた。そして消えた。
兵力の増強が始まった。
磐城を中心に、各地から兵を募った。
東北六ヶ国が二年間の平和で豊かになっていたことが、ここで効いてきた。食べていける土地には人が集まる。人が集まれば兵も集まる。年貢が軽く、戦が少なく、主君が民を大切にするという評判が広まっていた。
思ったより早く、人が集まり始めた。
しかし、数を集めるだけでは意味がない。
幸村が毎日、新しい兵の訓練を行った。朝から晩まで、容赦なく鍛えた。幸村の訓練は厳しい。音を上げる者も出たが、幸村は「戦場で死ぬよりましだ」と言って続けさせた。
忠勝が幸村の訓練を隣で見ながら、時々手本を見せた。忠勝が動くたびに、新兵たちが目を丸くする。この男の動きは、見るだけで勉強になる。
政宗が磐城の南の防衛を強化しながら、独自に情報を集めていた。陸前と磐城に長年住んできた政宗の情報網は、半蔵とは別のルートで動いている。
「政宗、関東について何か知っているか」とある夜聞いた。
「北条は強い」と政宗が静かに答えた。
「小田原城は難攻不落と言われています。正面から攻めれば、どれだけ兵を用意しても時間がかかる」
「秀吉も苦労したはずだ」
「しかし、秀吉は落とせる」政宗が俺を見た。「力ではなく、兵糧攻めで。時間をかけて」
「俺には秀吉ほどの時間はない」
「だから別の手が必要です」政宗が静かに続けた。「小田原を力で落とすのではなく、北条を孤立させる。周りの豪族を先に取り込んで、北条だけを残す。そうすれば小田原は自然に弱くなる」
俺はマップを見た。関東の豪族の分布を確認した。
「なるほど」と俺は呟いた。「いい視点だ」
政宗が微かに口元を緩めた。この男が策を話すときの目は、生き生きとしている。
兵力増強の二週間後、最初の報告が半蔵から届いた。
前哨報告だ。二ヶ月の調査の途中経過だが、重要な情報が入ったという。
半蔵が静かに報告した。
「関東の情勢、暫定報告です」
「聞かせてくれ」
「北条氏政、現在の兵力はおよそ三万五千と見ます」
俺は息を飲んだ。三万五千。想定より多い。
「小田原城を中心に、武蔵、相模、伊豆、上総、下総に城を持ちます。防衛網は非常に堅固です」
「武田信玄は」
「甲斐で動いています」半蔵が続けた。「信玄は関東への侵攻を準備しているようです。北条と武田、双方が関東を狙って緊張状態にあります」
「秀吉は」
「東海道を固めています。関東まではまだ距離がありますが、動きが速い。半年、あるいは一年以内に関東に圧力をかけてくる可能性があります」
俺は地図を見た。
北条三万五千。武田信玄〔不死〕三万。秀吉、東から圧力。
関東は今、三方向から圧力を受けている。
「もう一つ」と半蔵が続けた。
「相馬盛胤の件か」
「はい。磐城の南、常陸の山中に潜んでいます。兵はわずか三百。再起を狙っているのは確かですが、今は動ける状態ではありません」
俺は頷いた。「引き続き監視を頼む。危害を加えるつもりはないが、目は離すな」
半蔵が消えた。
夜、俺は一人でマップを見た。
北条三万五千。
俺が目指している三万から四万の兵力でも、ギリギリだ。しかも武田信玄と秀吉という変数がある。
政宗の言葉を思い出した。
「小田原を力で落とすのではなく、北条を孤立させる」
関東の豪族を先に取り込む。北条の外堀を埋めていく。
それが正解かもしれない。
俺はマップ上の関東の豪族を一人一人確認した。
里見氏、佐竹氏、宇都宮氏、結城氏。
各豪族のパラメータを見ていくと、一つのことに気づいた。
北条を嫌っている豪族が、思ったより多い。
「《欺瞞》は使わない」と俺は決めた。
「今度こそ、正面から戦をする」
磐城での夜が更けていく。
兵の訓練の声が、どこかから聞こえた。幸村がまだ鍛えている。
俺はマップを閉じて、机に向かった。
関東の豪族に宛てた文を、書き始めた。
飾らない言葉で。正直な言葉で。
東北でやってきたことを、そのまま書いた。
一ヶ月後、兵力の数字が変わっていた。
【明智軍 総兵力 二万七千】
三万まで、あと三千だ。
利三が報告書を持ってきた。「順調です。このペースなら、もう一ヶ月で三万に届きます」
「半蔵の調査が終わるのも一ヶ月後だ」と俺は言った。「タイミングが合う」
「天は味方しているようですな」と利三が珍しく冗談を言った。
「天は信用しない」と俺は答えた。「信用するのはお前たちだけだ」
利三が少し赤くなった。この男が照れるのは珍しい。
磐城の春が、夏に変わっていく。
訓練の声が毎日聞こえる。半蔵の忍びが南に向かい続ける。政宗が城の強化を続ける。昌幸が羽前の防衛網を整え続ける。家康が内政の数字を積み上げ続ける。安東愛季が海路で物資を動かし続ける。
全員が、それぞれの持ち場で動いている。
俺はマップを眺めながら、関東への文を書き続けた。
返事はまだ来ない。
南の空の向こうで、関東が待っている。
そしてその更に向こうで、秀吉が動いている。
時間は、あまりない。




