第十三章 磐城攻略、そして大大名の悩み
一五五九年、五月。
出陣から三日後、俺の軍は磐城の国境に立っていた。
春の風が南から吹いている。遠江や三河とは違う、東北の春の匂いがする。二年間この土地で生きてきて、俺はこの匂いが好きになっていた。
マップを開いた。
【磐城 相馬盛胤 兵力八千〔粘着性〕】
対してこちらの兵力は一万六千。磐城攻略に動員した兵だ。羽前と羽後と陸奥に昌幸と安東愛季を残し、陸前の守りに家康と利三を置いた。
前線に連れてきたのは、忠勝、幸村、政宗、半蔵。
精鋭中の精鋭だ。
相馬盛胤は、予想通りの動きをした。
城に籠もらなかった。
マップ上で盛胤のマーカーが前に出てきた。野戦だ。
「籠城しないのか」と俺は呟いた。
政宗が隣で静かに言った。「相馬は攻める家です。守りに入るのは最後の最後。最初は必ず野戦を挑んでくる」
「〔粘着性〕は守りだけじゃないのか」
「攻めることにも粘着します」
俺は頭を抱えた。攻めても守っても粘る男か。本当に厄介だ。
戦が始まった。
相馬の八千は、最初から全力で突っ込んできた。
兵力差など関係ないとばかりに、一直線に中央を狙う。勢いがある。士気が高い。相馬の旗印の下、一人一人が死を恐れていない目をしていた。
俺は少し、胸が痛くなった。
この兵たちは盛胤を信じて戦っている。その忠義は本物だ。しかし俺と戦う理由があるのかと思うと、素直に喜べない。
感傷に浸っている場合ではなかった。
「忠勝、幸村、頼む」
俺は二人に前を任せた。
本多忠勝が中央に出た。
真田幸村が右翼に回った。
この二人が動いた瞬間、戦場の空気が変わった。
二年間の平和で兵の練度が落ちているという昌幸の指摘は正しかった。しかしこの二人だけは違った。忠勝は毎朝欠かさず鍛錬をしていた。幸村は城下の若者たちに剣術を教えながら、自分自身も磨き続けていた。
むしろ二年前より、強くなっている気がした。
忠勝が相馬の中央突撃を正面から受け止めた。
波が岩に砕けるように、相馬の勢いが忠勝一人に止められた。
幸村が右翼から回り込んだ。二年前の信濃攻めのときと同じ動きだ。しかし速さが違う。山地を駆け上がる足が、明らかに二年前より速い。
相馬の右翼が崩れた。
崩れながらも、相馬の兵は退かなかった。
〔粘着性〕は本物だった。普通の軍なら崩れた時点で逃げ始める。しかし相馬の兵は崩れながら戦い続ける。押されながら、削られながら、それでも前を向いている。
「強情だ」と俺は思った。
そして、同時に「立派だ」とも思った。
戦が長引いた。
快勝とはいかなかった。兵力差があるはずなのに、相馬の粘りが時間を食わせる。
しかし、最終的に数の差は正直だ。
午後の中頃、相馬の陣形が大きく崩れた。
忠勝が中央を完全に突破し、幸村が左翼を制圧した。政宗が後方から圧力をかけ、半蔵の忍びたちが伝令網を切断して相馬の指揮系統を麻痺させた。
四方から詰められた相馬の兵が、ようやく散り始めた。
勝利だ。
しかし、快勝と呼ぶには俺の胸に引っかかるものがあった。最後まで戦った相馬の兵に、素直に喜べなかった。
降伏勧告の使者を送った。
今度こそ、と思った。相馬盛胤は逃げないはずだ。〔粘着性〕のパラメータが「降伏しない、逃げない」と書いていた。
使者が戻ってきた。
「相馬盛胤様……南に向けて脱出されました」
俺は固まった。
「逃げた?」
「は、はい。少数の手勢を連れて、南の山中へ」
逃げた。
逃げないはずの男が、逃げた。
俺は暫く無言で立っていた。
政宗が静かに言った。「……相馬らしくない」
「どういうことだ」
「盛胤は誇り高い男です。降伏しないのは分かる。しかし逃げるとは」政宗が少し考えた。「もしかすると、再起を期しているのかもしれません。いつか取り返すために、生き延びることを選んだ」
俺はマップを見た。
相馬盛胤のマーカーが、南の山中に消えていく。
〔粘着性〕の意味が、少し変わって見えた。
死ぬまで諦めない。だから逃げた。
「……そういうことか」
俺は静かに言った。仲間にできなかった。しかし、そういう男なのだと思うと、なんだか追いかける気にはなれなかった。
「いつか戻ってきたら、ちゃんと話をする」と俺は呟いた。
誰も何も言わなかった。
磐城の城に入ったのは夕暮れ時だった。
城の高台から南を見ると、山の向こうに関東の空気が漂っている気がした。秀吉はあの向こうにいる。
マップを開いた。
東北六ヶ国。
羽前、羽後、陸奥、陸中、陸前、磐城。
全部、明智の色だ。
俺は思わず座り込んだ。
高台の石段に、力が抜けたように座った。
忠勝が隣に立った。幸村が反対側に立った。二人とも何も言わない。ただそこにいる。
この二人が隣にいることが、今は何より心強かった。
翌日、全員が磐城に集まった。
利三、家康、昌幸、安東愛季、政宗、忠勝、幸村、半蔵。
全員の顔を見回して、俺は言った。
「六ヶ国になった」
広間が静かだった。
「大大名だな、俺たち」
昌幸が穏やかに笑った。「なりましたな」
「嬉しいか」と俺は聞いた。
「嬉しゅうございます」と利三が答えた。
「しかし」
「しかし、だな」と俺は引き取った。「問題がある」
俺はマップを広げた。
「六ヶ国を治めるということは、守る場所が六ヶ国分あるということだ」
広間が静かになった。
「南に磐城。その南に秀吉。西に越後の謙信、同盟中だが永遠に続く保証はない。甲斐に武田信玄。関東には北条が控えている。東は海、北は蝦夷地。攻められる方向が四方にある」
俺は頭を抱えた。
「兵力が足りない。二万では六ヶ国を守れない。三万でも怪しい。謙信の三万と同等の兵力を持とうとすれば、民への負担が増える。そうすれば民が逃げる。民が逃げれば税収が減る。税収が減れば兵を養えない」
悪循環だ。
家康が静かに口を開いた。「全部を同じ厚さで守ろうとするから無理が出る。優先順位をつけるべきです」
「どこを厚くする」
「南です」家康が即座に答えた。「秀吉が来るとすれば南から。磐城の南に防衛線を引き、そこを最も厚くする。他の国境は薄くても、南だけは絶対に守る」
政宗が頷いた。「磐城は俺が守る。この土地の南の地形は、俺が一番知っている」
昌幸が口を開いた。「西の備えは私が担いましょう。謙信公との同盟が続く間は大丈夫ですが、万が一に備えた防衛網を羽前に作っておきます」
幸村が静かに言った。「兵の練度を上げる。数が足りなければ、質で補う」
忠勝が短く言った。「俺が動ける体制を作れ。どこが危なくなっても、すぐ向かえるように」
半蔵が無言で頷いた。情報網の維持という意思表示だと受け取った。
安東愛季が言った。「海路を使えば、兵の移動が速くなります。日本海側から太平洋側まで、船で繋げられれば守備の機動力が上がります」
俺は全員を見た。
誰もが、考えていた。俺の悩みを自分の悩みとして考えていた。
忠誠値の数字じゃない。この人たちは本当に、東北を一緒に守ろうとしている。
夜、俺は一人でマップを見た。
六ヶ国が並んでいる。
守る場所が多い。頭が痛い。秀吉はいつ来るか分からない。謙信との同盟がいつまで続くか分からない。相馬盛胤はどこかで再起を狙っている。武田信玄のマーカーは甲斐で光り続けている。
問題は山積みだ。
しかし、今夜の軍議で一つ分かったことがある。
俺は一人じゃない。
家康が知略を出し、昌幸が守備を担い、政宗が南を守り、幸村と忠勝が兵を鍛え、安東が海を繋ぎ、半蔵が情報を集め、利三が政務を支える。
役割分担ができている。
京を逃げ出したあの夜、俺は本当に一人だった。
今は違う。
「まあ、なんとかなるか」
俺は呟いた。
根拠のない言葉だ。しかしそう思えること自体が、二年前とは別人だという証拠かもしれない。
マップの六ヶ国が、静かに光っていた。
南の空の向こうで、秀吉のマーカーが遠く、しかし確実に、東へ向かっていた。




