第十二章 平和の終わり、磐城へ
一五五九年、四月。
東北に春が来ていた。
残雪が山の峰にわずかに残り、その下では桜が咲き始めている。陸前の城下町に人が溢れ、市が立ち、子どもたちの声が聞こえる。
俺はその光景を、城の高台から眺めていた。
二年が、過ぎた。
この二年間は、戦のない日々だった。
最初は慣れなかった。ずっと逃げて、戦って、吐いて、眠れない夜を過ごしてきた身体が、平和というものを受け付けなかった。夜中に目が覚めて、反射的にマップを開いて、敵の侵攻がないことを確認して、また眠る。そんな夜が何度も続いた。
しかし、少しずつ、慣れていった。
政務というものを、俺は初めて本腰を入れてやった。
年貢の見直し。街道の整備。市の開設。漁港の拡充。安東愛季が海路を使って各地との交易を広げ、東北に物と金が流れ込んでくるようになった。
伊達政宗が陸前の豪族たちをまとめ上げ、統治の基盤を作ってくれた。家康が全体の政策に助言を出し続けた。昌幸が各地の防衛網を整えた。
気づけば、東北五ヶ国に人が集まり始めていた。
秀吉の支配が強まる西から、逃げてきた民が東北に流れ込んでくる。年貢が軽い。戦がない。そういう噂が広まったらしい。
俺が作りたかったものが、少しずつ形になっていた。
忠誠値の変化も、この二年で大きく動いた。
政務の合間にマップを確認するのが、俺の習慣になっていた。
【本多忠勝 忠誠100】
【真田幸村 忠誠100】
【徳川家康 忠誠100】
【真田昌幸 忠誠94】
【服部半蔵 忠誠100】
【安東愛季 忠誠100】
【伊達政宗 忠誠95】
【斎藤利三 忠誠100】
家康が忠誠100になったときは、少し驚いた。
「家康、忠誠値が最大になったぞ」と言ったら、「忠誠値とは何ですか」と真顔で返された。説明するのが面倒になって流した。
政宗がまだ忠誠値95なのは、この男らしいと思っている。最後の一つを渡すのを惜しんでいるような気がする。それでいい。
昌幸が春の政務報告を持ってきた日、俺は縁側で茶を飲んでいた。
桜の花びらが一枚、湯呑の中に落ちた。
「風流ですな」と昌幸が言った。
「そうだな」と俺は答えた。「こういう時間が好きだ」
「二年前には想像できなかったでしょう」
「全くだ」
昌幸が報告書を広げた。「春の田植えの準備が整いました。今年の収穫は昨年より三割増しの見込みです。街道の整備も羽前まで繋がりました。陸奥の新しい市は月に二度の開催になり、人出が増えております」
数字を聞くたびに、胸の中で何かが温かくなる。
戦の数字ではなく、民が生きている数字だ。
「ありがとう、昌幸」と俺は言った。
昌幸が穏やかに笑った。「十兵衛様が年貢を軽くすると言い張ったおかげです。私は反対しましたが」
「あの判断は正しかったろ」
「ええ、正しかった。認めます」昌幸が茶を一口飲んだ。「しかし次の報告は、少し耳が痛いかもしれませんぞ」
「何だ」
「兵の練度が、少し落ちております。二年間、実戦がなかったせいです」
俺は頷いた。「分かっている。しかし戦がないことの方が大事だ」
「その通りです。ただ、備えは必要です」
昌幸の言葉が終わった瞬間、廊下から足音が近づいてきた。
服部半蔵だった。
この男が急いで歩いているのを、俺は初めて見た。普段は気配すらないのに、今日は足音がする。それだけで、俺の背筋に冷たいものが走った。
「半蔵」と俺は立ち上がった。「何があった」
半蔵が静かに、しかし真剣な顔で言った。
「磐城の相馬盛胤に、動きがあります」
俺はマップを開いた。
【磐城 相馬盛胤 兵力八千】
磐城。東北の南端、陸前の更に南に位置する国だ。
相馬盛胤。前世の記憶を掘り起こす。相馬氏は陸奥の有力豪族で、長年にわたって伊達氏と争い続けた家だ。盛胤はその当主として、頑強に独立を保ってきた。
マップのパラメータを確認した。
【相馬盛胤 武力72 統率90 知略80 粘着性100 】
粘着性?
見たことのないパラメータが表示されていた。内容を確認すると、こう書いてある。
〔粘着性〕一度決めた方針を絶対に変えない。降伏しない。逃げない。最後まで戦い続ける〕
俺は目を閉じた。
長野業正を思い出した。あの男も最後まで戦い続けた。しかし業正は逃げた。このパラメータは、逃げないと書いてある。
「半蔵、動きの詳細を教えてくれ」
半蔵が報告を続けた。
「相馬盛胤は、明智様の東北統一を好意的には見ていません。二年間、静観していましたが、ここにきて兵の動員を始めました」
「理由は」
「二つあると見ます」半蔵が指を一本立てた。「一つは、伊達政宗が明智様に降伏したことへの反発です。相馬と伊達は長年の宿敵。その伊達が従ったなら、次は自分たちだと警戒しています」
「もう一つは」
「西からの情報です」半蔵が二本目の指を立てた。「羽柴秀吉が東への関心を示し始めているという噂が、磐城にも届いています。秀吉が東に来るなら、今のうちに明智様と戦って名を上げようという判断かと」
昌幸が静かに言った。「秀吉の噂が、ここまで影響してきましたか」
「いずれ来ると思っていた」と俺は答えた。「問題は時期だ」
俺はマップを見た。秀吉のマーカーを確認する。まだ西にある。しかし以前より東寄りになっている気がした。
「半蔵」と俺は言った。「秀吉の動向を最優先で調べてくれ。磐城の件と同時に把握したい」
「御意」
消えた。
その夜、俺は全員を集めた。
久しぶりの軍議だった。
二年ぶりだ。この広間に戦の話が戻ってきた。
全員の顔を見回した。二年の政務を経て、全員が少し変わっている。忠勝は相変わらず鎧を着ているが、目が少し穏やかになった気がする。
幸村は城下の剣術指南をしていたせいか、どこか落ち着いている。政宗は政務をやらせると恐ろしく有能で、この二年で陸前を大きく発展させた。
平和が、人を変える。
それを実感した二年間だった。
「磐城の相馬盛胤が動いている」と俺は言った。「兵力は八千。放置はできない。磐城は東北の南の玄関口だ。ここを押さえなければ、秀吉が東に来たとき防衛線が作れない」
利三が頷いた。「攻略するということですか」
「そうだ」
政宗が口を開いた。「相馬盛胤は手強い。あの男は退かない。降伏もしない。業正殿とは違う意味で、厄介です」
「どう厄介だ」
「最後まで戦います」政宗が静かに言った。「城に籠もって、兵が尽きるまで。それが相馬という家の戦い方です」
俺は頷いた。マップの〔粘着性〕パラメータが頭に浮かんだ。
「籠城か」
「おそらく」
幸村が腕を組んだ。「籠城戦は消耗する。兵力で勝っていても、時間がかかる」
「その間に秀吉が動いたら」と家康が静かに言った。「挟み撃ちになります」
広間が静かになった。
全員が同じことを考えていた。
俺はマップを見た。磐城の南。その更に南に、秀吉のマーカーが遠く光っている。
「急ぐ」と俺は言った。「長期戦にはできない。磐城を素早く攻略して、南の防衛線を引く」
忠勝が槍を持ち直した。「久しぶりだな」
幸村が静かに立ち上がった。「体が鈍っている。丁度いい」
政宗が俺を見た。「私も行きます」
「磐城は相馬の宿敵の伊達が来れば、士気に影響するかもしれん」と昌幸が笑った。
翌朝、俺は城の高台に立って南を見た。
桜がまだ散らずに残っている。風が吹くたびに、花びらが舞う。
美しい朝だった。
二年間の平和が終わる朝だった。
利三が隣に来た。
「十兵衛様、支度が整いました」
「ああ」と俺は答えた。
「磐城、攻略できますか」
俺はマップを開いた。相馬盛胤の〔粘着性〕パラメータが光っている。長野業正の時とは違う。この男は逃げない。最後まで戦う。
それは敬意に値する生き方だと思った。
同時に、手強いとも思った。
「やるしかない」と俺は言った。「平和は守るために、たまに戦わなければならない。嫌だけどな」
利三が静かに頷いた。
花びらが一枚、マップの上に落ちた。
春の東北に、再び戦の気配が漂い始めた。




