第九章 独眼竜、動く
陸奥を制してから二週間が過ぎた。
俺は陸奥の仮拠点に腰を落ち着け、兵力の回復に専念していた。三ヶ国を治めるには人手が足りない。安東愛季が交易路を使って物資を集めてくれているおかげで、食糧と武具の補充は順調だ。半蔵の忍びたちが各地に散って情報を集め続けている。
上杉謙信への使者はまだ戻っていない。
越後は遠い。返事が来るまで、もうしばらくかかるだろう。
兵の傷が癒え、新しい兵が集まり、陣が整っていく。俺はマップを眺めながら、珍しく穏やかな気持ちでいた。
このまま少し休める。そう思っていた。
甘かった。
急報が来たのは、夜明け前だった。
半蔵の忍びが血相を変えて飛び込んできた。
「申し上げます。伊達政宗、動きました」
俺は跳び起きた。眠気が一瞬で吹き飛んだ。
「どこに」
「南部領、陸中に向けて大軍を展開。兵力およそ二万と見ます」
マップを開いた。
伊達政宗のマーカーが、大きく南西に動いている。そしてその先にある小さなマーカー。
【陸中 南部晴政 兵力一万】
俺は地図を見た。陸中と俺の現在地の距離を測った。
間に合わない。
どう計算しても、間に合わない。二万の伊達軍が本気で動いていれば、俺が陸中に着く前に決着がついている。
「くそ」と俺は呟いた。
第二の急報は、それから半日後に来た。
「陸中、陥落。南部晴政、伊達に降伏しました」
広間が静まり返った。
利三が俺を見た。家康が地図を覗き込んだ。昌幸が腕を組んだ。幸村が目を細めた。忠勝が手を握り直した。
俺はマップを確認した。
陸中の色が、変わっていた。伊達の色に。
そして南部晴政のマーカーが、伊達政宗のマーカーの隣に移動していた。取り込まれた。兵力ごと、取り込まれた。
「伊達政宗の現在の兵力は」と俺は静かに聞いた。
半蔵が答えた。「二万から南部の一万を加えて、三万に迫ります」
三万。
上杉謙信と同じ数字だ。
俺は深呼吸をした。
第三の急報は、夕暮れに来た。
「伊達政宗、こちらに向けて進軍を開始しました」
今度こそ、広間に緊張が走った。
昌幸が珍しく真剣な顔になった。「来ますか、独眼竜」
「来る」と俺は言った。「当然だ。東北で俺が領地を広げているのを、黙って見ているわけがない」
マップ上で、伊達政宗のマーカーがゆっくりと、しかし確実に北に向かっている。
俺は兵力を確認した。
陸奥での回復途中だった。二万まで戻せていない。
【明智軍 現在兵力 一万五千】
対して伊達政宗、三万近く。
二倍だ。
しかも、相手は独眼竜だ。前世の記憶の中で、伊達政宗という男が持つ意味を俺はよく知っている。戦国最後の英雄。生まれるのが遅すぎた天才。もし信長と同じ時代に生まれていれば天下を取っていたとまで言われた男だ。
マップのパラメータを恐る恐る確認した。
【伊達政宗〔独眼竜〕武力92 統率99 知略95】
全部、90レベル台。
しかも、〔独眼竜〕という固有スキルまでついている。内容を確認すると、全軍の攻撃力と移動速度が上昇するバフ効果だ。
「笑えない」と俺は言った。
利三が静かに頷いた。「全く笑えませぬ」
軍議は短かった。
時間がない。考える余裕もない。
「迎え撃つ」と俺は言った。「引いたら終わりだ。羽前まで押し込まれたら、三ヶ国が全部崩れる」
「兵力差が」と利三が言いかけた。
「分かっている。二倍近い差がある。でも引いて勝てる相手じゃない。伊達政宗は追撃が得意だ。逃げながら戦えば、じわじわと削られる」
家康が静かに口を開いた。「ならば地の利を使うしかない。野戦で真正面からぶつかれば潰される。地形で兵力差を殺す場所を選ぶべきです」
「どこだ」
半蔵が地図を指さした。「一ヶ所、あります」
半蔵が示したのは、陸奥の南、山間の狭い盆地だった。
両側を急峻な山に挟まれた地形で、大軍が展開できる横幅がない。三万の兵力を持っていても、その地形では一度に動かせる兵は限られる。
「ここで受ける」と俺は決めた。
「昌幸、後方の羽前と羽後の守りを頼む」
昌幸が頷いた。「五千を残してください。守り切ってみせます」
「残りの一万五千で前に出る」
忠勝が前を向いたまま言った。「俺が中央を守る」
幸村が即座に言った。「俺が右翼を取る」
家康が静かに言った。「左翼は私が。補給と後方支援も兼ねます」
俺は全員を見回した。
「頼む。全員に頼む」
伊達政宗の軍勢が見えたのは、翌日の昼過ぎだった。
山間の盆地に陣を構えた俺の軍の正面に、伊達の旗が現れた。黒い甲冑に金の三日月。整然とした陣形で、静かに、しかし圧倒的な存在感で迫ってくる。
マップ上で伊達軍のマーカーが広がっていく。数が多すぎて、マーカーが重なって見えるほどだ。
俺は盆地の奥に設けた本陣から、その光景を眺めた。
怖い。本当に怖い。
遠江を逃げ出した夜から、何度も怖いと思ってきた。しかし今日は、その中でも特別に怖い。
しかし、不思議と足は震えていなかった。
最初の激突は、中央で起きた。
伊達の先鋒が狭い地形を突いて前進してくる。地形で大軍を殺しているはずなのに、それでも圧力が凄まじい。押し波のような重さがある。
忠勝が正面に立った。
この男が中央に立っているだけで、防衛線が別物になる。伊達の先鋒が忠勝にぶつかった瞬間、進軍が止まった。一人で、押し止めた。
マップを見ると、中央の戦線が膠着している。
右翼では幸村が動いた。山の斜面を利用した側面攻撃で、伊達の右翼を揺さぶり始める。
しかし、伊達政宗は対応が速かった。
マップ上で、政宗のマーカーが動いた。
本陣から前に出てきた。〔独眼竜〕のバフが全軍に広がり、俺のマップ上でも数値が変化するのが見えた。
伊達軍全体の攻撃力が、跳ね上がった。
「やばい」と俺は呟いた。
中央の忠勝が、初めて後退した。一歩だけ。しかし忠勝が下がったのを俺は初めて見た。
俺は《欺瞞》を発動した。
使うまいと思っていた。しかし使わなければ死ぬ。
流した情報は「上杉謙信が越後から南下している」というものだ。謙信のマーカーは越後で確かに光っている。この情報には現実の裏付けがある。
伊達政宗の動きが、一瞬止まった。
マップ上で、政宗のマーカーが静止している。情報を確認しているのか、判断しているのか。
その一瞬を、忠勝が逃さなかった。
後退した一歩を取り戻し、再び前に出た。
幸村が山から降りてきた。側面攻撃が伊達の右翼を食い破った。
しかし、政宗は動じなかった。
マップ上で素早く部隊を再編成し、崩れた右翼を立て直した。その判断の速さは、今まで戦った誰とも違う。
本多忠勝と真田幸村を相手にしながら、立て直している。
「この男は本物だ」と俺は思った。
戦が長引いた。
昼から始まった激闘が、夕暮れになっても決着がつかない。
俺の兵力は削られていた。一万五千が一万二千になり、一万を切り始めていた。伊達軍も損耗しているはずだが、数が多い分、余裕がある。
マップの数値を見ながら、俺は歯を食いしばった。
このままでは負ける。
じわじわと、確実に、押し潰される。
俺は《欺瞞》の第二弾を考えた。しかし知略95の政宗に同じ手が通じるか分からない。むしろ見抜かれた瞬間、逆用される可能性がある。
どうする。どうすれば。
そのとき、半蔵が飛んできた。
「越後から使者が来ました」
俺は半蔵を見た。
「上杉謙信公からです」
使者が差し出した文を、俺は震える手で開いた。
短い文だった。
謙信らしく、飾りのない言葉で書かれていた。
その内容を読んだ瞬間、俺は思わず目を閉じた。
利三が覗き込んで、息を飲んだ。
文には一言だけ書いてあった。
「義、認めた。同盟、承知した」
そして、文の末尾にもう一行。
「今すぐ使者を政宗に送れ。上杉が動くと伝えよ」
俺は即座に動いた。
伊達政宗の本陣に向けて、使者を送った。
文の内容は一つだけだ。
「上杉謙信と同盟を結んだ。謙信公は越後で待機している」
本物だ。《欺瞞》ではない。本物の情報だ。
マップ上で、謙信のマーカーが越後で光っている。三万の兵力を持って、実際にそこにいる。
伊達政宗の本陣が、動きを止めた。
長い沈黙があった。
マップ上で政宗のマーカーが静止している。この男が何を考えているか、さすがの俺にも読めない。
そして、伊達の陣から使者が来た。
使者は短く言った。
「伊達政宗様より。今日はここまでにしましょう、と」
撤退だ。
完全な降伏ではない。しかし退いた。
俺は息を吐いた。長い、長い息だった。
利三が隣で静かに言った。「生きておりますな、十兵衛様」
「ああ」と俺は答えた。声が掠れていた。「生きてる」
夕暮れの空が、橙色に染まっていた。
マップ上で伊達軍のマーカーが南に向かって動き始めた。撤退していく。
俺は戦場を見渡した。
倒れている兵がいる。傷ついている兵がいる。それでも、旗はまだ立っている。
夜、俺は謙信への返礼の文を書いた。
礼を尽くして、丁寧に、しかし飾らずに書いた。
文を書き終えて、俺はマップを開いた。
上杉謙信のマーカーの隣に、新しい表示が出ていた。
〔同盟中〕
たった三文字。
しかし、その三文字が今夜の俺には何より心強かった。
忠勝が部屋に入ってきた。珍しく、兜を外していた。
「生きていたな」と忠勝が言った。
「お前がいたから生きてる」と俺は答えた。
忠勝が短く鼻を鳴らした。
マップを見ると、忠誠値が光っていた。
【本多忠勝 忠誠100】
100。
俺はしばらく、その数字を眺めていた。
北の空に、星が出ていた。




