08.
クライエン王国王城、ナターリアの部屋。
豪奢であるが静かな上品さを纏う椅子に、ナターリアは腰を掛け窓越しに空を見つめていた。ダッキュの言葉が、頭の中でグルグルと回り続けて自分の中に気持ち悪く残っている。
「ナターリア様」
その傍らに立つのは、独りしか居ない。近衛メイドのニーアだった。
ニーアの呼びかけに、ナターリアは空を写していた眼を、動かさない。
「……ソーエンが……言ってました」
ぽつりぽつりと呟くような言葉に、ニーアは無言で言葉を待つ。
「『あのバカを独りにはさせない』と。……ソーエン、孤独が嫌いだから……イキョウさんを独りにしたくなくて。寂しがりやさんだから……一緒に居たくて。
……ようやく分かりました、ソーエン。イキョウさんに付いて行くつもりだったんですね」
ナターリアにはソーエンの思いが分かってしまう。自分だって、もしもニーアが暗闇の中で孤独に死んでしまうくらいなら、一緒に死ぬことを選ぶだろう。それをニーアが望まなくても、大切な友達が独りぼっちで死んでく寂しい姿をただ見ていることなど出来ない。
「ねぇ……ニーア。ソーエンって、イキョウさんの事本当に大好きなんですよ」
ナターリアは、ようやくニーアへと眼を向ける。
笑ってる顔を、楽しそうな声を、目の端には涙を、声色には震えを乗せた、精一杯の笑顔で。
「私と会うといっつもイキョウさんはイキョウさんはって、ずっと話すんです。だから私も負けじとニーアはニーアはって自慢するんです」
「……はい」
「二人でお話するととっても楽しいんです。私、心がぽかぽかしてわくわくして、すっごく暖かい気持ちになって、ずーっとお話してたいなぁって思っちゃうんです」
「……はい」
「ソーエンと居ると世界が全部キラキラしてて、キラキラした世界の中でずーっと一緒に居たいのにすぐに時間が過ぎちゃって、また早く会いたいなって、思っちゃうんです。――――ようやくですよ、今更です。
この心のキラキラは、温かさは、『好き』って感情だって、気付いたんです」
「……私はもっと前から気付いておりました、ナターリア様がソーエン様の事を好きだという事を。城の皆も気付いておりました。……だって、ソーエン様と居ると、ナターリアの顔が本当に可愛くて綺麗な乙女だったもの」
「……そう……だったんだ……」
ニーアは、物悲しい笑顔でナターリアを見る。ナターリアは、ようやく理解した自分の気持ちが、周りには理解されていて先を越された悔しさと恥ずかしさが混在した表情になると――その顔は段々と崩れ、ついには目から涙をこぼし始めた。
「……ソーエン……死んじゃうのかな……私よりも……イキョウさんなのかな……。戦うん……だろぉな……やだな……」
「……。そうね、あのお二人は戦うわ。何があろうと絶対に、立ち向かうわ。だって……守りたいものを死んでも守ろうとするもの……自分が死んでも、自分自身が壊れても……」
ナターリアとニーアには確信があった、あの二人は何があろうと戦うという確信が。敵を目の前に、大人しくしていられる奴等ではないことを重々理解していた。そして、ダッキュが見た未来の結末よりも、自分の中に信じるモノがある。それは、ソーエンがイキョウを一人にするわけがないというもの。
椅子に座るナターリアは、ニーアのエプロンを掴み、体を寄せる。そして、そのまま抱きつくと涙でエプロンを染め始めた。
「私、今、すっごい悪い子になってます……っ!! ソーエンが死んじゃうくらいなら、別なヒトが、って、思っちゃって、る……っ!! イキョウさんじゃなくて私を選んでって思ってるっ!!」
ナターリアは泣き声が慟哭にならないよう、思いが叫びにならないよう、一人の女として、精一杯に自らの皇女という立場を捨て去らぬように一生懸命感情を押さえ込む。
「私はもう何度も考えたわ。少し前にあの人から聞かされて、なんで私の愛おしい人が死ななきゃいけないの、誰か代わりに世界を救ってよって、何度も何度も思ったわ。でもね、世界を救うのは誰かって考えたときに、あのお二人の姿しか思い浮かばないのよ。スノーケア様でも、キアル様でも、私でも、国王様でも、他国の王でも、騎士でも、民でもない。たったあのお二人しか思い浮かばないの」
「ごめんね……ごめんね……ニーアだって、辛いのにね……ごめんね……!!」
ナターリアは自分が辛いように、ニーアも辛いことを頭では理解している。ただ、それでも、自分の中からあふれ出す感情が止められなくて、涙と思いが抑えられない。
「……イキョウ様は……私をお忘れになってしまったわ」
虚しそうに、ただ虚しそうに語るニーア。
ナターリアは、ニーアの言っていることが分からない。感情が止めどない心では、言葉の意味をそのまま理解することしか出来ない。その経緯や裏にある事情を、考える余裕すらない。
ただ、ニーアにとってそれがどれほど辛いことなのかは分かる。
「……っ」
ゆえに、ナターリアはエプロンを掴んでいた手を離し、ニーアの体を抱きしめる。
慰める言葉も考えられない。だが、それでもナターリアは言葉ではなく体で慰めようとする。今の自分には、それくらいしか出来ることがなかったから。
ニーアは立ったまま、ナターリアに覆い被るように体を傾け手を回す。その優しさに応えるように、そして、自分もまた、ナターリアを体で慰めようとして。
「……私、あの人が記憶を失ってしまったのがとっても辛い。壊れていくあの人を見るのが凄く辛い。気が狂いそうになったわ、心が壊れてしまいそうになった。でも、でも……あの人……辛くないの……辛さを感じないのか、辛く感じてしまうことすら壊れて分からないのか、私には分からない。でもね、あの人、私に自分の行く末の話をしたときも、壊れてしまったときも、泰然としてたのよ。自分というものを何も見ていない、何も考えていない。今ではもう、イキョウ様はイキョウ様では無い存在になってしまわれたのかもしれない。
――良かった、……って、……思ってしまったの」
「……ぇ?」
「だって……あの人、ずっと悲しい背中をしてるから。昔の私よりもずっと、重い何かを背負い続けてるあの人は、降ろす場所さえ失ってしまったようだった。でも、背負ったものを忘れて死んでいけるならきっと、イキョウ様はゆっくりと休むことができる。無理矢理歩き続けて疲れた足を休ませるには、何も背負ってはいけませんから」
「ニー……ア?」
「私は知ってたんです、あの人が死ぬってことを。それを止めることなどできないことを。覚悟はしておりました、見届ける準備も済ませております。
あの人が壊れていく姿を見るのは、痛々しくて、悲しかった――……今でも……本当は悲しいです。でも、あの人がお亡くなりになるとき、安らかに逝けると思えば少しは悲しさも紛れます。涙が嫌いなイキョウ様を、笑って見送ることが出来るでしょう」
ニーアから優しく語られる思いの丈は、ナターリアが思っても見ない言葉の連続だった。
「ニーアは……それで良いの?」
「良くありませんよ。それでも、最期はあの人の為に笑っていたいんです。『私の為』ではなく『イキョウ様の為』に。それが、私を救ってくれた英雄へ、私が好きになった人へ、メイドとして尽くしたい最後のお仕事なんです」
ニーアはイキョウを止める術がないことを知っている。そして世界を救うのは、あの二人以外居ないことを知っている。
「ご安心ください、ナターリア様。貴方のメイドとしてソーエン様は絶対に連れ帰ってきます」
ナターリアは、その言葉と共にニーアが覚悟めいた口調で回していた手を解いたことを背で感じた。
「にーあ?」
「私ニーアは、ナターリア様とソーエン様のご子息に尽くことを何より楽しみにしておりますので」
二歩、三歩と下がったニーアは、その言葉を最後にどこかへと向かおうとしている。
まるで、『生きて帰ってきます』と言われたようだった。それを感じ取ったナターリアは、『どこへ行くの?』と、ニーアの背に問いかけた。
「『神』とかいう存在が心底嫌いなんです、両親を奪った元凶が今度はイキョウ様をも奪うんですもの。あの人の一助になりて一矢報い、神が無様に滅ぶ様を間近で見届けとうございます」
問いかけの答えには自分の心の応えを。
その言葉と共にニーアは一礼をすると、部屋から静かに出て行った。
ニーアが選んだ選択は、『自分が世界を救う』でもなければ『皆で世界を救う』でもない。『死に行くイキョウの力になる』ため、戦うことを選んだ。それはイキョウの死を知っていた彼女だから取れる選択肢であり、彼女なりの覚悟の表れだった。今まで自らの思いに比重を置いていたもの全てを、イキョウの思いに奉げる。思いが重い彼女だからこそ、それを全て奉げて死を容認できる。
イキョウの為に笑って見送ってあげたいから――廊下を歩くニーアは、一人静かに、今だけは泣いて――自らの気持ちをここに置いて行く。
愛する人を見送る選択をニーアはした。しかし、ナターリアは出来るはずがない。だが、皇女である自分が、世界の命運を分かつ戦いにおいて出来ることなど何一つある訳もなく、一人部屋に寂しく取り残された。
「魔法……もっと、お勉強しておけば良かった……」
自らの無力さを嘆いて、ぽつりと呟く。
ナターリアは王族としての教育で、少しばかりの魔法の知識と護身用程度の魔法を習得してはいる。ただ、それが今回の戦いに役立つことは無い。
王族にとって武力は必須ではない。武器を持つは騎士の役目、王族が武器を振るうは国や一族が滅ぶときだろう。故に王族が戦うなどあってはならない。
それでもやはり、ナターリアは無力感を身に覚えてしまう。
それは他の王族も同じだった。
「お姉さま……」
ニーアが去った部屋を訪ねたのは、グルグル巻きの綺麗な髪を揺らす、キルマとグルマだ。
不安そうな二人を、ナターリアは腕を開いて受け入れる。二人を抱きしめることくらいしか、ナターリアにはできなくて。
* * *
コーマ帝国、帝国城。皇帝の執務室には、ハインツ、ゲール、ダグラス、マクグリスが顔を突き合わせて言葉を交わしていた。
煌びやかな金髪に流麗で端正な願望を持つ皇帝ハインツの顔は歪み、表情に現れている怒りのまま机を叩いた。
「はぁぁあああ!? あんな無茶苦茶なバカが世界を救う英雄なわけないだろ!? もしそうだったらすっごい腹立たしいんだけど!! アイツが担ぎ上げられる未来があったなんて私は断固として認めない!! あのバカは無様に死ぬのがお似合いだぁ!!」
「まぁ……ムカつきますね」
ハインツの声に返事をするのは、筋骨隆々の強面兵士長、ダグラス。続いて、ピゥの兄。青髪アサシンのマクグリス。
「こほ……気にいらねぇ……。死ぬなら俺が殺してやりたい」
「だろ!? そうだろ!?
……良い事思いついちゃったよ……。もしさぁ、帝国が世界を救ったら……すべての栄光は帝国のモノになる。未来が磐石なものになるなんてものじゃない、この国は永遠を約束されたも同然じゃないか……」
「そりゃそうですが……どうする気で? 相手は神ですよ? 正直、声を聞いただけでサブイボが立ってビビッちまいました。勝つだとか負けるだとか、そんな事想像できない程度にゃ勝算なんざありませんぜ」
「勝算なんていくらでも作れば良い。私はどこぞのバカじゃないからね、ちゃんと働かせる優秀な頭脳はここに持ってるんだ。ゲール、あのバカが攻めてきた時用に準備していたモノはどうだい」
皇帝から呼ばれたのは、小柄な老人、ゲールだ。
「小型覇導砲ですな」
「まーたゲール爺は変なもの作ってよぉ……」
「こほ……なんだそれは」
「名前通りじゃよ。先日使用した覇導砲の復元情報を元に、ワシが再構築し小型化と軽量化を施した武器じゃ。兵士が四人一組となって担ぎ、魔導師五人程で魔力を充填できる故小回りは効くが、威力はオリジナルに比べれば格段に落ちる。じゃが、ゴライタスの甲羅を容易く穿ち融解させる事が可能な威力にはなっておる故、戦略兵器として運用が可能じゃ。それが五門は用意できておる」
「国家間で決めた兵器保持及び開発の条約を簡単にぶん投げるくらいにゃ違反してるじゃねぇか……。んなもん戦場に持ち込んで糾弾されてもしらねぇぞ」
「何か言われたら『世界の為』とでも言っておけばいいだろう。手段を選んでいられない状況で用いた術を批判する者が居るなら私が笑って反論してやる」
「こほ……。その口ぶり、お前も行くのか。神域とやらに」
「もちろん。世界を救ったとき、皆の前に立つ者は私こそがふさわしい。帝国の未来のため、私が――現代の勇者――として救済の象徴になろうではないか。
そのために……皆、私を守れ。死んでも守れ。私を守った栄誉の死には相応の対価を支払おう」
「わっはっは!! 剣を握ったことも人を殴ったことも無いというにこの戦いに参戦するとは、ハインツ様は豪胆じゃのぉ」
「私に剣を握らせるな、人を殴らせるな。帝国の主として座す私の為に君達は剣を握れ、力を揮え。
この戦いが帝国の未来となるなら、私は喜んで参加するよ。参戦はしないけどね」
「こほ……良いトコ取りする気満々じゃねぇか」
「良いじゃねぇか、あの気持ち悪ぃバカが英雄になる未来なんざ俺はまっぴらごめんだ。――総魔で戦ってきた俺達は今更死なんざ怖くねぇんでね。軍人一同、ハインツさまが作り上げる未来の為に戦わせていただきますよ」
「……まぁ、俺は終わった後に金さえ払ってくれればそれで良い」
「ワシもついていきますわい。開発した兵器をたんまりと担いでの」
「良し。残された時間は少ないよ、迅速に行動を、私を英雄にする準備を始めてくれ」




