第02話:拾った男は「俺は王子じゃない」と言い張った
翌朝、我が家の古びた玄関から、硬貨の鳴る生々しい音が響いてきた。
私が顔を出すと、そこには銀の甲冑を纏ったギルバートと、何度も頭を下げる父の姿があった。
「毎月、本当にすまないね、ギルバート君。君は本当に立派になった。亡くなった君のご両親も、さぞ誇りに思っているだろう……」
「お気になさらないでください、ミレーヌ卿。私はあなたを本当の父親のように慕っておりますし……いずれは、本当の家族になるのですから」
ギルバートは穏やかに微笑みながら、ずっしりと重い革袋を父の手に握らせていた。
その温かい言葉のやり取りと光景に、私は胃の底が冷たくなるのを感じた。
彼は私の命だけでなく、『家族』という名目で我が家の生活基盤すらも完全に掌握しつつあるのだ。
私に気づいたギルバートが、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
「おはよう、エリス。昨夜、国の重要人物にトラブルがあった。そのせいで騎士団長として仕事が多忙になっているんだ」
彼は私の前髪に優しく触れながら、どこまでも甘い声で囁いた。
「君が安全に過ごせるよう計画を進めているので、屋敷からなるべく出るな。全て俺が守る」
その言葉は、純度100パーセントの善意だ。
だが、私を外界から完全に隔離しようとする過保護すぎる執着は、見えない鎖となって私の首を絞め上げていた。
あの狂気を孕んだ重い『静寂』が迫ってくる感覚に息が詰まる。
やがて彼が王宮へと戻っていくのを見送り、私はふうっと深く息を吐き出した。
このまま狭い屋敷の中に閉じこもっていては、息が詰まって死んでしまいそうだ。
「お父様、少し気分転換に、夕食の買い出しに行ってきます」
私がそう告げると、父は心配そうに眉を下げる。
「ギルバート君は、外出をやめるように言ってなかったかい?」
「ええ。でも、育ち盛りの弟たちに買い物を任せたら、目についたお菓子ばかり買ってきて、晩御飯が大変なことになってしまいますわ」
私の言葉に、父は苦笑いをして「確かに、そうだね」と深く頷いた。
彼に護られている恩はあるが、今の私には少しでも『外の空気』が必要だった。
私は足早に家を出て、街の市場へと向かった。
◇ ◇ ◇
行き交う人々の放つ、軽薄な嘘や些細な悪意のノイズ。
それが今はひどく人間らしく感じられ、私の呼吸を少しだけ楽にしてくれた。
私は馴染みの青果店の片隅で、売れ残りの歪なトマトを見つけた。
傷んでいるが、煮込めば絶品のスープになる。
そう思って手を伸ばした瞬間、横から伸びてきた大きな手と甲がぶつかった。
「っ……!」
ビクッと肩が跳ね、反射的に身をすくめて相手の『悪意』を警戒する。
だが、何も聞こえない。
驚いて顔を上げると、目深に被ったフードの隙間から、見覚えのある蜂蜜色の髪と整った顎のラインが覗いていた。
(昨夜の夜会で見かけた、第二王子レオン殿下に似ている……?)
いや、そんなはずがない。高貴な王族が、護衛もつけずにこんな下町の薄汚い市場にいるわけがないのだ。きっとよく似た空似の別人だろう。
私がそう結論づけ、譲ってくれるのだろうかと淡い期待を抱いた直後。
「ふん! こんなゴミみたいなトマトなど、俺には必要ない!」
周囲の客がぎょっとして振り返る。
「トマトのような安っぽい服を着た、お前が買えばいい! まったく邪魔だ!」
ひどい暴言だった。
けれど、彼の心の中は凪いだ湖面のように静まり返っている。
それによく見れば、彼の手は乱暴に振るわれるどころか、私の指先に触れないよう遠慮がちに引っ込められていた。
その時だった。
グゥゥゥゥゥ――。
市場の喧騒を切り裂くほど盛大な音が、彼の腹の辺りから響き渡った。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が落ちる。
彼はさっと顔を背け、耳の先まで真っ赤に染め上げた。
普通なら「笑うな」とか「恥ずかしい」といった感情の暴風が聞こえるはずなのに、彼の心はやはり不気味なほど無音だ。
なんだか、雨に濡れて強がっている捨て犬のようだった。
「……あの、もしよろしければ」
「な、なんだ! 俺を笑う気か!」
「いえ。これから家族で晩御飯にするので、ウチでこのトマトのスープを食べていきませんか?」
悪役令嬢として処刑された私が、素性も知れない男を家に誘うなど狂気の沙汰だ。
でも、この矛盾だらけの温かい『静寂』を、どうしてか放っておけなかった。
「ふん! まったくお腹なんか空いてないんだがなっ!」
彼は驚愕に目を見開いた後、ぐっと口を噤んだ。
まるで、これ以上喋ると致命的なボロが出ると分かっているかのように。
「軽そうな荷物だな!」
抑えきれなかったのか、彼は勢いよく私から買い物カゴをひったくった。
「あ……」
「まったく手伝いたくない。面倒だっ!」
彼は真っ赤な顔で顔を背け、吐き捨てるように言い放つ。
そして、一切の悪意を持たない静かな心音だけを響かせながら、私の半歩後ろをトコトコとついてきた。
◇ ◇ ◇
我が家の古びた屋敷。
扉を開けると、バタバタと賑やかな足音が近づいてきた。
「姉さん、お帰りなさい!」
「お腹すいたー! 今日のご飯なあに?」
飛びついてきたのは、双子の幼い弟たちだ。
私は彼らの頭を撫でながら、背後の男性を振り返る。
「お父様、安くて良いトマトが手に入りましたの。それと……」
父と弟たちが、彼を見上げて動きを止めた。
居心地悪そうにフードを深く被り直そうとする彼を見て、父が息を呑み、慌てて背筋を伸ばす。
「レ、レオン様!?」
「私は、レオン王子ではありません」
彼は真顔でそう言い張った。
「お父様、いくら似ていても、王子殿下がお供も連れずにこんな場所にいるわけないじゃないですか。それに、ご本人も違うと仰っていますし」
私が冷静に指摘すると、父もハッとして頷いた。
「た、確かにそうか……。しかし、あまりにもそっくりで……」
その時、暑かったのか、彼が鬱陶しそうにバサリとフードを下ろした。
現れた蜂蜜色の髪と、隠しきれない高貴で圧倒的な美貌のオーラ。
それを見た父と私は、再び(やっぱり王子様なんじゃないの!?)と疑念の目を向けてしまった。
私たちの視線に気づいた彼は「ふん!」と鼻を鳴らし、勝手に台所へと入っていく。
「おい、エリス! さっさとスープを作らないぞ! 手伝いてなんかやらないからな!」
「あ、はい……」
母が亡くなってから、この家の台所は私の城だ。
そこに自称・別人の美青年が立っている光景はあまりに異様だった。
だが次の瞬間、私は目を丸くした。
彼は「ふんっ!」と親の仇でも打つような勢いで乱暴に包丁を握った。
まな板が叩き割られるのではと身構えたが――トトトトッという小気味良い音が響き、彼は流れるように野菜の皮を剥き、寸分違わぬ均等な大きさに切り分けていくのだ。
無駄のない所作は、長年厨房に立ち続けた熟練の料理人のようだった。
(それにしても……怒りながら野菜を切る姿、ちょっと面白いわね)
(あんなに手際がいいなんて……。やっぱり、王子様がこんなに料理上手なはずないわ。ただのそっくりさんね)
私はすっかり納得し、安堵の息を吐きながら、彼の横に並んでスープを作り始めた。
王子にそっくりな謎の青年が、エリスの日常に入り込みます。
暴言の裏に潜む、彼にしか聞こえない静寂の正体とは。
不器用な共同作業が、凍った心を少しずつ溶かしていきます。
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