第36話「舞台裏の立役者たち」
「斯くして、青墨秋水殿は新たな最強伝説を刻み、世はすべて事もなく」
切り裂きトンカラトンの消滅。
及び、蔭木鏑の神隠し。
協会が一連の騒動について、解決を判断した翌日の朝だった。
蟻道鈴昌は一人、言祝ぐように呟いていた。
- 汐坐伝奇術師協会本部 -
- 地下第七封鎖拘束房 -
幾重もの隔壁と結界を抜けた最深部に、その尋問室は存在した。
壁、床、天井は黒灰色の霊鋼コンクリートで統一され、銀色の封印光が蜘蛛の巣のように刻まれている。
室内には影がほとんど生まれず、白色照明だけが静かに降り注いでいた。
そんな部屋の中央に、蟻道は座っている。
一脚の拘束椅子。
腕、脚、胸、腰、首を、九点で固定する特別拘束具付き。
術師の霊力回路の起動と、霊力そのものの循環を阻害する極めて高価な呪具である。
足元には封印陣が展開され、天井から降りるA.N.O.M.A.L.Y.入りの監視箱が、絶えず蟻道の姿を監視していた。
そして今朝、正面の封霊硝子越しには、協会の尋問官たちが静かに並んでいる。
スーツを着せられたマネキン型の人形。
爆弾付きの操り人形であり、実際には蟻道の他に誰もこの場にはいない。
実に、大層な警戒の入れようだった。
並の伝奇術師では、火花ひとつ起こせはしないだろう。
蟻道は静かに腰掛けている。
手枷も足枷も、外れる気配はない。
外すつもりもない。
大人しく拘束されたまま、男は焦る様子ひとつなく仮面を外した細い目で、ガラス越しの尋問官たちをゆっくりと見渡していた。
むしろ、上機嫌すら湛えていた。
両手を自由に使えていれば、拍手すらしていただろう。
蟻道は代わりに、口笛を吹いた。
いや、口笛を吹こうとして、下手くそな掠れ高音を発していた。
「失敬。やつがれは口笛ができないのです」
『なら、どうしてやろうとしたのかしら』
「彼の少年に対する、せめてもの気持ちですよ」
気持ち、と口にするときだけ、蟻道はねっとりと情感を込めた。
あるいはうっとりと、恍惚の気配を滲ませた。
尋問官のひとり──汐坐の協会長が、嫌悪を隠さず「げっ」と溢す。
『言っておくけど、今回の件は貴方の罪を重くしただけよ』
「? 分かっていますが?」
『……情状酌量や司法取引、減刑の類いは一切ありえない』
「無論ですとも」
『貴方が彼に再会することは無いわ』
「……残念ですが、仕方ありますまい。やつがれは反省しております」
青墨秋水の手で邪心を斬られた蟻道は、実に模範囚だった。
協会の尋問には積極的に受け答え、非常に協力的な姿勢を貫いている。
だがそれが、どうにも薄気味悪いのも事実だった。
蟻道の術式は洗脳・暗示・精神干渉。
ゆえにこうして、協会は最大限の警戒を払って接触を重ねているが、本人に堪えた様子が無いと不安になってくるのがごく普通の人間心理である。
協会長はかぶりを振ると、人形越しに毅然と断言した。
『貴方は青墨秋水に二度と会えない』
「そう繰り返し告げるのは、やつがれの弱点をよく把握されている証拠だ。お若いのに、実に素晴らしい」
『お褒めいただき、どうもありがとう。でも、私からあげられるお返しは生憎なにも無いわ』
「嘘をおっしゃる」
蟻道は肩を震わせた。
協会がこれから、何をやろうとしているのか。
まるでもう、分かっているとでも言わんばかりの態度だった。
「過去のやつがれは、やつがれ自身に術をかけていた」
『……』
「現在のやつがれに犯罪行為をする気は毛頭ありませんが、過去のやつがれはそうではない」
『そうよ。今回の件で、それがよく分かったわ』
「左様。ゆえに、過去のやつがれが残しているかもしれない時限性の爆弾を、協会としては何としても把握しなければなりますまい」
協会に拘束される以前。
現役バリバリの野良術師だった蟻道は、蔭木鏑と接触して呪物を与えていた。
秋水が『切り裂きトンカラトン』と命名した、二段階目A.N.O.M.A.L.Y.だ。
では、その呪物の入手手段と密輸経路は?
そもそも蟻道鈴昌自身、鳶瀬山豊葉と依穂の誘拐事件を起こすまでは、完全にノーマークだった野良術師だ。
協会はバックボーンを把握していない。
裏にどんな闇が存在しているのか、推測する材料すらほとんど無い。
単独犯なのか、複数犯なのか。
組織的な犯罪なのか、協力者はいるのか。
最初はあまりに協力的なため、手をこまねいていたが。
昨夜の深夜を受けて、汐坐協会は事態を重く捉え直した。
一般社会において、薬物を使用した尋問には人道・倫理の観点から否定的な意見もある。
しかし、ここは超常の異能を持った術師たちの治安維持組織。
本人も忘れている記憶など、人権を無視する技を用いれば強引にでも、白日のもとに晒せる。
「構いませんよ。どうぞ、存分に」
『……』
無論、それは蟻道を廃人にしかねない荒技ではあるのだが。
蟻道は承知の上で、泰然自若だった。
『前にも訊いたけど、貴方はどうしてそこまでして?』
「? と、おっしゃいますと?」
『どうしてそこまで、彼に執心するの? と訊いているわ』
協会長の疑問に、蟻道は即座に「知れたことですよ」と返した。
「何度でもお答えしましょう。何度でも、やつがれの答えは変わりません』
『……』
「我が麗しの少年は、あの日、やつがれに〝尊厳〟の意味を知っているかと問うた」
『貴方の回答は、たしか』
「ええ。A.N.O.M.A.L.Y.に脅かさる今の人類が、失って久しいものだと」
『分からないわね』
蟻道の行動は、逆に人類をA.N.O.M.A.L.Y.の脅威で危ぶめるようなものばかりだ。
だが、「だからこそですとも」と蟻道は返した。
「特異点が生まれているのです。彼を中心に大きなうねりを起こせば、時代が自然と強者を作り出す」
『多くの者を巻き込んで? 危険な思想だわ』
「はい。彼が最も嫌い、蛇蝎のごとく憎悪する思想でもありましょう」
蟻道は微笑んだ。
思慕、敬愛、崇拝、畏怖。
屈服、憧憬、信仰、感謝。
比肩、欲求、甘美、希望。
あらゆる感情を自覚し、また、それらすべてを袖にされると理解しながらも。
「やつがれは、たとえ彼にどれだけ疎まれ唾を吐き捨てられようとも──彼を世界の英雄にしたいのです」
それは、過去も現在も変わらない蟻道鈴昌の真実。
前世──旧世界を記憶する男の計り知れない願望だった。
「ですから、構いませんよ」
『廃人になるかもしれないわよ』
「たしかに、そうかもしれない。でも、そうではないかもしれない」
『……一応確認するけど、蔭木鏑を選んだ理由は?』
「? 誰……ああ、いや、失礼。特には」
『何もないの?』
「誰でも良かったのです。ただ彼の周りで、踊ってくれる人物なら」
しかしまぁ、と。
蟻道はわずかに天井を仰いで、苦笑の色を唇に讃えた。
「いささか、思っていた以上に小物過ぎましたか」
『処置を』
協会長はそこで、尋問を終えた。
これから始まるのは、決して外部には公表できない協会の暗部。
たとえ蟻道鈴昌のような手合いが、どれだけ青墨秋水を狙うとしても。
汐坐の伝奇術師協会は、大人として彼を守る。
そのためなら、協会長は自身の手を汚すことも厭わなかった。
人形とのリンクを切り、彼女は別室で処置の状況を冷徹にモニタリングしながら。
「──させないわ。させると思うの? シュウたんの日常は、私が絶対に守る」
ドロリ、呟くのだった。
そこへ不意に、部下からの連絡が届く。
「あら。なに?」
暗号化されたメッセージ内容は、秋水から協会への二度目の〝ワガママ〟だった。
端的に言えば、誘拐事件の後に起こった一斉周知連絡。
それを、再び発して欲しいという内容のもの。
どうやらリアルタイムで、再び倶利伽羅剣を片手に来訪しているらしい。
文言は以下の通りだった。
──汐坐の全伝奇術師に告ぐ。
今後、助けを必要としている場合は、率直に当代筆頭(青墨秋水)へ連絡されたし。
余計な交渉、策謀、すべて不要。
ただこちらにて救うべきか否かを見定め、救う──以上。
追伸:筆頭用連絡先メールアドレスの作成と、うちに直通投函できる目安箱系の呪具とか設置お願いできますか?
「え、ええええええええええええええええ!」
協会長はひっくり返った。
比喩とかではなく、普通に椅子から転げ落ちた。
超痛かった。
「こんなの退魔四家や他の旧家が知ったらっ、連日連夜の大行列になってしまうわよシュウたんっ! するけど! 全部許可だけどっ! もぅっ!」
先ほどまでのシリアスな空気は、どこへやら。
協会長は現実的な仕事量を概算して、その結構なボリューム量とお高めな予算に呻きつつも、胸をキュンキュンさせて部下に認可のサインを送った。
部下も悲鳴をあげたが、色は黄色だったし、最終的にはメリットのほうが大きくなる計算なので問題はないだろう。
「あぁあぁぁっ! どうしてなのシュウたん! そうやって剣を片手に、わざと自分を悪者にして私たちを脅すポーズなんか取らなくてもっ、こっちだって全部分かってるのよっ!? それはそれとして、総本部から予算捥ぎ取りやすくて大助かりだけどっ」
互いに持ちつ持たれつ。
なのに、秋水は十代の少年とは思えないほど、働く大人への気配りが上手い。
協会長はときめいていた。
「追伸文が可愛すぎっ! 根が良い子なのバレバレっ! きゃ〜♡」
蟻道が目の当たりにしたら、どう思うだろうか。
それはさておき。
汐坐市は今日も、平和だった。
平和を維持する者たちのおかげで、きちんと。
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tips
◆汐坐伝奇術師協会協会長
機密のため詳細プロフィールは非公開。
若くして協会長に昇り詰めた才媛。
術師としての実力よりも、組織の長としての実力に優れる。
しかし年齢による経験不足は、本人も実感しているところであり、善の蟻道鈴昌を相手に違法な尋問を行う許可をなかなか出せなかった。
秋水が筆頭になった頃と、ほとんど同時期に協会長になっており、シンパシーを感じていた。
その後、汐坐で何か問題が起こる度に重圧に苦しむも、秋水がだいたい解決してくれるのでファンガール化した。
オペ子を最終的に抜擢したのもこの人。
座右の銘は、「日常を守られ、日常を守る」




