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第5話「ムリやり入籍」

登場人物

社長 黒田 翔

愛人 白川 玲奈

社員A

社員B


その日の午後、

社長室から聞こえてきたのは、

声を抑えたつもりでも、

怒気が隠しきれない声だった。


「だから言ってるでしょ、式はもうやらないって」

黒田翔の声。


「でも私、初婚なんだけど?」

白川玲奈の声は、いつもより高い。


「写真は撮るって言ったじゃないですか」

「写真だけじゃなくて!」

「入籍は? いつするの?」


数秒の沈黙。


「……三月かな」


「かな、って何?」

「もう二月ですよ?」

「なんでいつもそうやって先延ばしにするの?」

「何にも決めてないじゃない!」


社内の誰も、聞くつもりはなかった。

だが、壁は薄かった。


——そうか。

初婚と再婚では、温度が違う。


翔にとっては二度目。

もう一度、盛大にやる気力はない。

玲奈にとっては一度きり。

省略される理由が、どうしても納得できない。


その結論が出たのは、

意外にも早かった。


十七時ちょうど。


社長室のドアが、勢いよく開く。


玲奈はコートを掴み、

社長の腕をしっかり掴んで言った。


「じゃあ、今から行こう」


社長「……どこに?」


玲奈「市役所」


社長「え、今?」


玲奈「今です」


有無を言わせない力だった。


社長は一瞬だけ周囲を見回し、

いつものセリフを口にする。


社長「それでは……

戸締り、お願いします。お疲れ様です。」


早い。

今日は、理由が違うだけで、

早退の速度はいつも以上だった。


エレベーターに吸い込まれていく二人を見送りながら、

社員Bがぽつりと言う。


「今日の早退理由、何でしたっけ」


社員Aは、スマホを見ながら答える。


「えーっと……

 “やむを得ない事情”って言ってました」


「なるほど」


数分後、

社内チャットに部長から一言だけ流れた。


【本日、社長は私用のため早退】


私用。

確かに、私用だ。


その日の夜、

噂はすぐに形を変えた。


「婚姻届、出しに行ったらしいよ」

「喧嘩の勢いで?」

「市役所、五時までだもんね」

「間に合ったのかな」


結局、結婚式はしないらしい。

披露宴もない。

あるのは、写真だけ。


——ちゃんとしたやつを、撮るらしい。


形式は省略され、

順番は省かれ、

それでも書類だけは、期限内に提出される。


この会社らしい結婚だった。

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