レポート3「砂漠の行商人」
さて、今日は毎週恒例の異世界旅の日だ。と、うっすら憂鬱な気分で布団に入り、目を覚ますといつもの白い部屋にいた。
「手帳に新しい機能を追加したぞ」
「ほう」
「もっと喜ばんか」
「わー。やったー」
「そうかそうか、そんなに嬉しいか!」
「んなわけねえだろ」
「なんじゃと!?」
俺は、腹をポコポコと殴りかかる女神の頭を押し除ける。
「それで、どんな機能なんだ」
女神は手帳を差し出して答える。
「一度具現化したものは、絵を描かなくても具現化できる、というものじゃ」
「ややこしいな」
「字面にするとどうしてもな、使ってみればわかる」
「あー、そう」と俺は窓の前にたった。
「突っ込むのも面倒、という顔じゃな!」
「よくお分かりで」
「しかし自ら窓の前に立つとは、殊勝な心がけじゃ。じゃあ今日も元気に、行ってらっしゃーい!」
○
肌を焼くようなギラついた熱風が、頬をさらった。
「あっつ!?」
強い日差しに視界がホワイトアウトする。鋭い痛みに目を覆いつつ、周囲を確認した。
サラサラと崩れて安定しない足元、口の水分が持っていかれそうなほど乾いた風、容赦なく照りつける太陽。
そこは、砂漠だった。見渡す限り、淡いベージュ色が濃淡をつけながらどこまでも広がっている。
というか、暑い。日差しが極太の矢印になって、頭や首肩にグサグサと刺さりまくっている。人の心はないのか。ないか、砂漠だもんな。
とにかく、どこか日差しが防げそうな場所に移動しなければ。
俺は大きなため息をついて、砂漠を歩き始めた。
見通しの良さそうな砂丘の上を目指すと、一分と経たないうちに息が切れはじめた。
「こんな、こと、なら、バギーでも描けるように、なっときゃ、よかった……」
それにしても、あの女神、毎回変なところに飛ばしやがって。わざとなんじゃないか?
憎たらしいほど快晴の空に、女神の屈託のない笑顔が透けて見えた気がした。
「くだばれ!」と胸の中に溜まっていく怒りを糧にして、砂丘を駆け上がる。
ぼたぼたと、汗が砂に丸い染みをつくる。汗で道ができそうだな。
沸騰しそうな頭で鳴り響く、うわ言のような思考を聞き流し、さらに歩みを進めた。
「はあ、ついた、どっか、休めそうな場所……」
なんとか砂丘の上にたどり着くと、より遠くまで見渡せた。
急な斜面の下にも、砂漠が続いている。砂がひたすら、丸みを帯びた地平線まで広がっている。その中に、黒々とした岩山の群れがひっそりと影を落としている。
岩山の陰なら涼めそうだ。
一歩踏み出そうとしたところで、ふと足を止めた。
「そうだ、良いこと思いついた」
手帳を出し、頭の中に思い起こしたイメージを書き出していく。かんかん照りの青空の下、ペンを走らせる音が響いた。
「できた!」
具現化したのは、人が一人乗れそうな木の板だった。
「これに乗って滑れば、きっと楽に下まで行ける」
板を砂地に置いて、その上にまたがってみた。ノックすると、軽い音が響く。
「うん、強度も大丈夫そう」
下の方を見ると、砂丘の急な傾斜が続いている。にわかに足がすくむが、こちとら一刻も早く日陰で休みたいのだ。
「よし、いざ!」
乾燥した口で唾を飲み、地面を蹴った。
板はスイスイと、砂を巻き上げながら斜面を滑り降りる。風が頬や背を撫でると、汗で濡れた肌がひんやり心地よい。
「うおっとと、あははっ!」
バランス感覚が求められるが、アトラクションみたいで楽しい!
ガゴッ!
嫌な音と共に、板が何か硬いものを踏んだ。青い空がぐっと近くなる。
「……えっ」
身体はそのまま空中に放り投げられ、次の瞬間には砂丘を転げ落ちていた。
「うわああ!?」
空と砂漠のコントラストが、ぐるぐると渦を巻いて見える。
ようやく回転が止まった時には、意識が朦朧としていた。ふらつく頭を押さえながら、起き上がる。口の中の、ジャリジャリ不快な感触が脳を震わせる。
「うえっ、ああ、くそ、いてぇ……」
手帳というチートじみた力が使えても、運動神経はどうしようもないのか。
世の中って上手くできてるな、ほんと。
頭を振って前を見たとき、地面に大きな影ができていた。
「あれ?」
岩……な訳がない。今降りてきたところに岩なんてなかった、し……。
途端に、嫌な予感が背筋を走る。
シャカシャカシャカ……と奇怪な音が、ゆっくりと迫ってくるのがわかった。視界の両端に、黒くてツヤのある大きなハサミが現れる。恐る恐る振り向くと、大きな黒い瞳と目が合った。その上には、鋭い針がゆらゆらと俺を狙っていた。
人なんて丸呑みにできそうなほど、巨大なサソリがそこにいた。
「ああああああああっ!?」
自分でも、何を言ってるのかわからなかった。気がつくとただ両手足を動かして、巨大なサソリから逃げていた。
ズドン、ズドン、と地面から巨大生物の足音が伝わってくる。その音から滲み出る圧倒的な質量に、怖くて涙が出た。
これは死ぬ!
後ろを振り向く暇もない。
がむしゃらに走っていると、岩壁にぶつかった。
「しまった!」
行き止まりだ。前方は高い岩に阻まれている。右に振り向いた瞬間、目の前をものすごい勢いで何かがかすめた。バターのように岩が削れる。
サソリの尻尾が、行く手を阻むように岩に突き刺さっている。
あの重たい足音が目の前で止まった。
「ひっ」
大量に並んだ黒い瞳には、俺の情けない顔が映っている。
巨大なハサミが、勢いよく持ち上がった。
「目と耳を塞げ!」
男の声が降ってきた。
同時に、何か丸いものがサソリの頭にコツンと当たる。
俺は咄嗟に、目と耳を塞ぐ。
両手越しでもうるさい爆発音と、瞼越しでも眩しい光が放たれた。
サソリの苦しげな高音が響く。
肩に何かが当たる。目を開くと、ロープが一本垂れ下がっている。
「掴め!」
声に従い、ロープにしがみつく。俺は勢いよく上昇し、一瞬で岩の上に引き上げられていた。
「大丈夫か」
先ほどと同じ声が、俺の肩に触れる。低くて安心感のある声だ。
「ああ、あり、ありが、とう」
息が上がりすぎて、まともに喋れない。
「おちつけ、とりあえず水でも飲めや」と浅黒い色をした手が、革のボトルを差し出す。
「ありがとう」と、うわ言のように繰り返し、ボトルに口をつけた。
なんてことない、無味無臭のただの水だ。けれど口に含んだそばから、体にスッと浸透していくようで、心底生き返るような心地だった。
水を飲み、息を整えた頃、俺は男にボトルを返した。
「ありがとう、本当に助かった」
「いや、いい。お前さんが無事でよかった」
男は、彫りが深い精悍な顔立ちをしていた。なんていい骨格の持ち主なのだろう。ハリウッド俳優みたいだ。服装は、ゆったりしたシルエットの白いローブに、同じ色の頭巾をかぶっている。男は耳元でボトルを揺らしてみると、その場に腰を下ろした。男の鷲のような琥珀色の瞳が、まっすぐ俺を捉える。
「俺はサイード、この砂漠で行商人をやってる。お前さん、名前は?」
「マレヒト」
「ようし、マレヒト。お前さんは今、俺に助けられ、水を与えてもらった。そうだろ?」
「あ、ああ、そうだな……?」
「つまりこの俺に、借りができたってことだよな?」
サイードの怪しげな文句に、眉をひそめる。
「何が言いたい?」
「俺を手伝え、マレヒト!」
サイードは、白い歯をニッと見せて笑った。
○
サイードに連れられてやってきたのは、岩陰で傾いている馬車の前だった。
「これは……」
「俺の馬車だ。ここに来る途中、車輪が片方壊れちまってな」
「俺に修理はできないぞ」
「わかってる。けどお前さん、変な術は使えんだろ?」
「変な術?」
「さっきのあれだよ、手帳からなんか木の板みたいなの出してただろ? 他にどんなものが出せる?」
サイードの手が、その腰元に帯びている短剣の柄に触れていた。
見てたのかよ、と言いかけて言葉を飲み込む。そうだ、ここは日本じゃない。常識が通用しない、異世界なんだ。
「生き物とかじゃなければ大体。俺の想像力次第だ」
「じゃあ話は早い。車輪を出してくれ」
「わかった。助けてもらったしな」
「そう来なくっちゃ」
サイードはそう言って、短剣からさりげなく手を離した。
俺は無事な方の車輪を手帳にスケッチし、具現化した。
「ほら、これでいいだろ」
車輪をサイードに渡す。サイードは車輪を丹念に確認し、「ああ」と頷いた。
「これで無事に砂漠を渡り切れる。ありがとうな、マレヒト」
「別に、仮を返しただけだ」
「それもそうだ」
サイードは、白い歯を見せて笑った。
「ところで、お前さんこれからどうするつもりだ? 見たところ随分と軽装備だし、冒険者か? パーティーメンバーと逸れたか?」
「元から一人だ。正直、どこに行けばいいかもわからない。目が覚めたらここにいたんだ。とりあえず今は、町を目指す」
「なら、町まで連れて行ってやろうか」
ありがたい提案に、腰が浮きかけるが思いとどまる。
「……また何か条件をつけるつもりか?」
「わかってるじゃねえか。俺が町までお前さんを連れていく代わりに、道中のオアシスで興行をやる。その手帳を使った客寄せさ、それでどうだい?」
「いい。一人で行く」
俺は立ち上がり、日陰を出ようと歩き出す。
「どうやって? 地図もないだろ」
背後でサイードが言う。
「それは……」
「それに、町までは馬車を使ってもあと三日はかかるぜ」
俺は後ろ向きに歩いて、日陰に座り直した。
「それを早く言え」
サイードは「かかか!」と笑う。
「じゃあ改めてよろしくな、マレヒト」
サイードが手を差し出す。
「わかった。よろしく」
俺は渋々、その手と握手を交わした。
サイードが馬車の修理を行っている間、俺はレポートを書いた。
町までとは言ったが、レポートさえまとまれば途中で帰れる。あんな胡散臭いやつと一緒にいて、面倒に巻き込まれるのはごめんだ。
どうせもう会うこともないだろうし、早々に現実世界へ帰ろう。
ペンを走らせていると、ゴムベラのような感触が頭をこづいた。
「うわ!? な、なんだお前……」
そこにいたのは、巨大な鳥のような生き物だった。アヒルの雛をそのまま巨大にして、さらに脚の筋肉を異常に発達させた姿、と言えばいいのだろうか。つぶらな黒い瞳は、俺を興味ありげにじっと見つめてくる。
「どうしたー?」と、車輪をはめ終えたらしいサイードがやって来る。
「な、なんか変な魔物が……」
頭を小突いてくる、鳥のような生物を指さす。
「オモアを見んのは初めてか? よっぽど箱入りなんだな、お前さん」
「オモア? 危険なのか?」
サイードは驚いたように笑った。
「まさか。こいつは俺の相棒、リドだ。馬車を引いてくれる」
「なんだ、そうだったのか」
ほっとして立ち上がると、リドが顔を寄せてきた。
「よろしくな、リ──」
「ペッ」
生臭い粘液が、ベシャリと顔にかかる。
「……え」
リドは満足したのか、軽い足取りで馬車の元へ向かった。
呆れた声でサイードが俺の肩を叩いた。
「リドの中じゃ、お前さんはカースト最下位だってことだ、どんまい新人。これで顔ふけ」
「なんなんだよ……」
サイードからもらった布で顔ふき、俺は幸先の悪さに不安を覚えた。
○
走り出した馬車の中は、とても快適だった。
馬車の中を、カラッとした風が爽やかに通り抜ける。日差しの中は鼻血が出そうなほど暑かったが、日陰は心地よい。少し揺れるが、どうってことない。
サイードは馬車前方に座り、手綱を握っている。俺は積荷の箱の横で、体育座りしていた。
「行商人って、具体的にどんなことしてるんだ?」
俺の質問に、サイードは前を向いたまま答える。
「人によってさまざまだろうが、行商人ってのはまあ、一処に止まらず物を売ってる奴らだ。俺の場合は、南国で買い付けたスパイスや工芸品を他国に売ったり、日用品を砂漠のオアシスの住民に売ったりして稼いでる」
「へえ……」
こんな広大な砂漠を一人で進んで……途方もないけど、それだからかあんまりピンとこない。
そんな俺の心が伝わったのか、サイードがこちらを振り向いた。
「お前さん、世界地図は見たことあるか?」
「ないけど」
「これだ、見てみろ」
サイードは一枚の紙を、どこからともなく取り出した。積荷の箱の上で開くと、サイードが言う。
「大陸の三分の一が、この砂漠だ」
たしかに、地図の右下にある大陸の真ん中が丸い空白になっている。でも……。
「スケールがデカすぎて、よくわからない」
サイードの軽い笑い声が聞こえた。
「そうかそうか、まあこれから分かるだろ」
そのまま地図を見続けていたら、だんだん気分が悪くなってきた。
遠くの景色を見ようとすると、砂漠の向こうに巨大な壁のようなものが目に映った。
「なんだあれ……」と、開いた口が塞がらない。
「砂嵐だ、巻き込まれたらやばい。隠れられる場所を探そう」
サイードの土地勘は、凄まじいものだった。
砂嵐が到達するよりも早く、馬車ごと入れそうな大きな洞穴を見つけ、退避することができた。
「助かった」
ほっと息を吐いたところで、サイードが背中を叩いてきた。
「まだ終わりじゃないぜ」
サイードは馬車の中から大きな白い布を取り出し、入り口に張り始めた。
「何ぼーっとしてんだ、お前さんも手伝いな」
俺は慌てて、白い布を持った。
「これ、なんなんだ?」
「防砂布だ。入り口に張っておかないと、中まで砂が来て最悪の場合、生き埋めになる」
さらっと怖いことがわかった。
防砂布を張り終えたら、今度はランタンを持って洞穴の奥へと進んでいく。
「洞穴は魔物が巣にしていたり、戦争遺構が残っていたりして危険だ。油断はできない」
サイードは飄々とした口調はそのままに、テキパキとした動きで仕事をこなしていく。
「よし、特に危険はなさそうだ」
馬車の近くに戻ったサイードは、「どっこいせ」と岩肌に背中を預けた。
結局、作業のほとんどはサイードがやっていたのだが、なぜか俺もどっと疲れた。
地面に置いたランタンの明かりが、岩の壁や天井を揺らしている。入り口を見ると、夜でもきたのかと思うほど真っ暗だった。轟々と、吹き荒ぶ風の音が獣の方向のように洞穴に響いている。
「あとどれくらいでここを出られる」
「さあな、早けりゃ三時間。長けりゃ一日かな」
俺は居ても立っても居られない感情に、駆り立てられていた。
「くそ、まさか足止めを喰らうなんて」
こんなことになるなら、家で持ち帰りの残業を片付けるほうがずっと有意義だ。
「まあ焦りなさんな、自然には敵いっこない」
「それはそうだけど、時間は限られてるだろ?」
「敵いっこないことに腹を立てても、体力の無駄だ。こういうときは、大人しく寝て待つに限る」
ぐうの音も出ない正論だ。俺はイラつきをぶつけるように、地面に腰を下ろした。
「ほれ、これでも食っとけ」
サイードはカバンの中から、小袋を取り出してひょいと寄越した。中には、小さくて固い何かが無数に詰まっている。
「人間ピリピリしてる時は大抵、眠いか腹減ってるか、暑いか寒いか、なんかしら不快な時さ」
袋の中は、ひまわりの種に似たものが入っていた。
「ダルツっていう、南の国の菓子だ。つまみに最高」
サイードはいつの間にか酒を飲み始めている。さっきまではあんなに動いていたのに、だらしなく地面に寝そべって飲酒とは。
呆れつつ、俺はダルツを一口かじった。
「うまっ」
甘じょっぱさと、豆の香ばしさが口の中を満たす。確かに、これは酒のつまみになりそうだ。
あとでレポートに書こ……あ、そうだ、レポートを書けばいいのか。
なんて単純なことに気が付かなかったのだろう。
俺はダルツをかじりながら、レポートを作成していった。ついでに、オアシスでやるショーの下準備もこなした。
サイードは地面に絨毯を敷き、その上で寝っ転がっている。
そういえばこいつ、俺がどこから来たのか、とか聞かないんだな。俺もサイードのことは怪しんでるけど、俺だってあっちからすれば、明らかに怪しいやつなのに。
そんなことをぼーっと考えていると、サイードの瞳がこっちを向いた。
「俺の顔になんかついてるか?」
不意打ちのことで、言葉が辿々しくなる。
「いや、別に、あの、えっと」
何をいうべきか、言わざるべきか、悩んでいるうちに出た言葉は。
「俺のこと、ちょっと信用しすぎじゃないか?」
「……どうした急に?」
「あ、いや、なんでもない」
俺は顔を背けたが、飄々とした口調でサイードが言った。
「別に信用もクソもねえよ、砂漠じゃあ力を合わせなきゃ、人間なんて簡単に死んじまう。それだけさ」
「そうか」と俺は応えた。
出会ってからやたら怪しいやつだと思っていたが、とても合理的な人間らしい、ということがわかった。
砂嵐が去ったら、すぐに洞穴を出発した。
太陽が、砂漠の地平線の向こうに沈んでいく。
「もうすぐ夜だ、寒くなるから気をつけろ」
「わかった」
俺は手帳で、サイードが着ているようなマントを具現化し、そのまま着込んだ。
「見えたぞ、オアシスだ」
馬車の前側にいくと、深い藍色に染まっていく大地の中で、琥珀色のものが眩しく輝いていた。
大きな細ながい泉をふち取るように、緑の木々が茂っている。そこを中心としてたくさんのテントが立ち並び、ちょっとした町が形成されているようだ。
夕焼けの色と相まって、幻想的な光景が広がっている。
思わず見惚れていると、サイードが言った。
「飛ばすぜ、しっかり掴まれよ」
手綱が振られ、リドのスピードがぐっと上がった。
「うわあっ!?」
俺は後ろにすっ転んだ。
○
町の中は、夏祭りのような賑わいを見せていた。篝火が焚かれ、通路には露店が立ち並び、人々の雑踏が楽しげに響いている。
たぶん、こっちの世界で初めて見る町だ。
鎧を着た冒険者のような格好の男と、露店で武具を売っている髭面の背が低い男が話し込んでいる。その横の飲み屋らしき建物では、耳の長い金髪の女が、涼しげな顔で樽のようなジョッキに注がれた酒をグイグイ飲んでいる。周囲にいる他の客は、もれなく全員地面に伸びている。
砂漠にも、こんな人がたくさんいるのか。それに、背が小さかったり、耳が長かったり、いかにもファンタジーな世界に来た感がある。
サイードについていくと、コインパーキングほども無い、小さな空き地に辿り着いた。林の向こうから、水の音が聞こえてくる。
「ここにテントを張る。早く飯にしたいから、お前も手伝え」
「ああ、わかった」
今までの異世界でもそうだったけど、やたら協力することが求められる。もちろん、こちらもそうしなければならないことは分かっているが、現実世界とはまた質が違う関係だ。
なんと言えばいいんだろう、この違いは。
テントを張り終えた俺たちは、食事に出かけた。
迷わず歩いていくサイードの背中に聞く。
「どこか行きつけの店でもあるのか?」
「まあな、ここには仕事で結構来てるし、大体のやつとは顔見知りさ」
「すごいな」
「二十年も同じことやってりゃ、嫌でも顔は覚えられる。……お、ついたぜ、ここだ」
そこは、白い煉瓦でできた煙突がある建物だった。中からは、得体の知れない良い香りがしてくる。入り口に置かれた看板には、『黄金亭』と書かれていた。
風が吹き、篝火がパチパチと爆ぜた。マントを貫くような冷たさが、肌に触れてくる。
「うわ、寒っ」
「早く入ろう」
『黄金亭』の店内は、オアシス中から人がやってきてるのかと思うほど賑わっていた。
「あら、サイードさんいらっしゃい!」
「お、サイードじゃねえか! こっちで飲もうぜ」
「サイードさま!」
入店するなり、各テーブル、各スタッフからサーイドが声をかけられた。
店の奥のテーブルに腰掛けて、俺はサイードにヒソヒソと話す。
「すごい人気だな」
「まあ、砂漠で行商人やってるの、俺くらいだしな」
「そうなの!?」
「他の奴らはだいたい、砂漠のダンジョンの盗掘屋か、他の国や街に後ろめたい奴、その両方さ。人種もさまざま」
ってことは、ものすごく治安が悪いのか、ここ。
周囲にいる人間たちを気にしていると、サイードが無邪気に笑う。
「安心しろ、悪い奴ばかりじゃ無いし、オアシスにだってちゃんとルールがある」
「そ、そうか、なら──」
「やんのかごらぁ!」
「あぁん?」
納得しかけたところで、隣の席で呑んでいた男二人が掴み合いの喧嘩を始めた。
ほんとに安心できるか?
料理の注文は、サイードに任せた。
「ここは奢ってやる代わりに、さっき言ってたこと覚えてるよな」
「ショーのことか?」
「忘れてなかったみたいだな」
サイードは不敵に笑うと、席を立ち上がった。
「おいみんな、今日は道中で拾った面白いやつを紹介するぜ! 魔法の手帳からなんでも取り出す、正体不明のシャイボーイ、マレヒトだ!」
「おー! 見せ物か!」
「いいぞ!」
「魔法の手帳!」
サイードが「ほら」とウィンクする。
ほら、じゃねえよ。何をいきなり始めていやがる。
内心でブチギレつつ、グッと堪えて立ち上がった。
店中から歓声が上がる。その熱気に思わず後ずさるが、前に出た以上、怖気付くのは格好が悪すぎる。
俺は手帳を開き、車輪をイメージした。
「ふう」と白紙のページに息を吹きかける。すると、先ほど描いた車輪が紙面の底から浮かび上がり、ふわりと宙を舞った。
それを片手でキャッチすると、質量と質感を持った車輪がそこに現れた。
「おお!」
「今のどうやった!」
「すげえ」
ついでマントを具現化し、手帳ごと全身を隠す。その隙に、手帳にすばやくあるものを描く。
観客の沈黙と注目が、マント越しに熱く感じられた。
今だ!
マントを脱ぐと、手帳の上には、真っ赤なドラゴンの頭が乗っかっていた。
「うわあ!?」
「ど、ドラゴンだ!!」
ドラゴンの口が大きく開き、空中に炎を撒く。
観客の叫び声が大きくなったのを聞いて手帳を閉じると、ドラゴンの頭も、炎も何事もなかったかのように消えていた。
最後、再び手帳に息を吹きかけると、店内に無数の青い花びらが舞った。
店内は、水を打ったように静かになった。次第に興奮混じりの呟く声が聞こえだす。
「な、なんだ今の……!」
「うおおおっ!」
「すげえ!!」
手帳をしまうと、たくさんの拍手と歓声に包まれた。
お辞儀をすると同時に、サイードが前へ出た。
「さあさあ、余興も終わりましたところで、サイード商会の商品をご紹介!」
聞いたこともない猫撫で声だ。
それより、こいつ俺をダシにしやがった! 最初からそれが狙いだったのか!
呆然とサイードを見ていると、厨房から一人の女が現れた。太くて血管が浮き出たその手には、フライパンを持っている。影が濃くてよく見えないが、険しい顔つきなのはわかった。
女は音もなく、サイードの背後をとる。
「さあさあ、今ならやす──ゴフッ!?」
がごん! と大きな音が天井まで跳ね返った。フライパンで殴られらサイードの頭から、煙のようなものが見える。
「うっさいわね! ここで商売始めんじゃないわよ!」
「ご、ごめんなさい……」
女の怒声に、サイードは机に突っ伏してそう溢した。
「あとアンタ」
女の鋭い視線が俺に移る。
「は、はい」
「床、片しておきな」
「すみませんでした」
俺は床に散らばった花びらを片付け、サイードはふらつきながら席に戻った。
○
目が覚めると、テントの中だった。ズキズキと痛む頭を持ち上げ、曖昧になった記憶を振り返る。
昨日の夜のことは、怒られた後の詳細があまり思い出せない。見たことない料理と、見たことない酒をしこたま胃に入れて、騒いで怒られて……。
「目、覚めたか。おはよう、マレヒト」
「サイード、おはよう……いたた」
「二日酔いか、だらしねえな」
サイードが差し出したコップを「うるさいな」と受け取る。
支度を終えたら、朝食を食べに露店街へと出かけた。
「あんまり腹減ってないや」
「無理にでも詰め込んどけよ、砂漠の昼は過酷だからな」
サイードの案内で、テラス席がある露店にした。
「ほら、ギョザランだ」
サイードが持ってきた木のプレートには、白いクレープのようなものが乗っていた。
「ギョザ、ラン?」
「小麦粉と水で焼いた、パンみたいなやつだな。南国ではよく食う」
「へえー」と生返事をして、ギョザランとやらにかぶりつく。
しっとりした感触が唇に触れた。具材はスパイスで炒めたひき肉らしい。口を離そうとしたら、熱いものが伸びた。
「ん!?」
チーズだ。濃厚なコクが、スパイスの辛さと絡み合う。腹は減っていなかったはずなのに、スパイスの匂いで胃が目覚めたように鳴り出した。
「おお、すげえ伸びてる」と言いつつ、サイードもチーズを伸ばしている。
「うまい、これなら食えそう」
「ならよかった」
食後、サイードは昨晩の続きと言ってキャンプを出て行った。仕事らしい。
俺も暇になったので、スケッチがてらオアシスを散策することにした。
泉のほとりに生えている木の下に座って、通りをスケッチしてみる。
夜とは打って変わって、昼のオアシスにはどこか落ち着いた空気が漂っている。道行く人も、荒くれ者のような立ち振る舞いではなく、動作が小ぶりで静かだった。
昨晩の豪快に酒を飲んでいたエルフの女性を見つけた。ローブに身を包み、昨晩のような涼しげな表情で露店を物色している。
異世界にも、バケモンみたいに酒に強い奴がいるんだな。
こっそりと、彼女の涼しげな横顔もスケッチした。
「あら、昨日の芸人さん? 上手にかけてるわね」
耳元で声がして飛び上がった。
「うわ!?」
「まあ、ごめんなさい。驚かせちゃったわ」
そこにいたのは、涼しげな顔のエルフだった。
「なんでここに」
「散歩よ。仕事はもう終えたし。それよりすごかったわよ、昨日のショー」
「ああ、どうも」
「どうやったの? 私、魔術師をやってるんだけど、すごく気になっちゃって、どんな魔術を使ったの? 特にドラゴンのあれ!」
「あー」
しまった。褒められるのはありがたいけど、説明は色々と面倒くさい。
ドラゴンの仕掛けは、以前出会ったドラゴンのレイを元に作ったハリボテだ。あとは口にガスバーナーをつけて、点火しただけ。
しかし、どう答えたものか。
頭の中のわずかなはぐらかし技術をひっくり返し、俺は応えた。
「き、企業秘密……」
「あらそう、じゃあ気が向いたら教えてね」
「ああ、わかった」
エルフに手を振って、俺はスケッチに戻った。
気がつくと、ずいぶん長いことその場にいたらしく、喉の渇きと空腹でふと我に返った。
「そろそろ、キャンプに戻ろう」
立ち上がり、尻の砂を叩いたところで、「あ」と気がついた。
手が、透け始めている。
帰還の時間だ。
手帳はもう満足したらしい。キャンプの方角と、自分の両手を交互に見た。
この砂漠から自分の家に帰れる。それは、ずっと望んでいたことだった。そのはずなのに、ここで帰ってしまうのは何かが違うと思えてならない。
サイードの顔が浮かんだ。義理もあるだろう。急にいなくなったら心配させてしまうし、それで時間をとらせてしまうのは申し訳なさもある。
だけど、それ以上に何か、離れがたい感じがしてならない。
どうせもう会うこともないだろう、そう思っていた。実際にそうだ。次にこの砂漠に来られる日は、ずっと先かもしれない。サイードや、リドや、このオアシスの人間たちとは二度と、出会えないかもしれない。
どうせもう会わないから、じゃない。もう会えないからこそ、この出会いを大事にしたい。
俺は手帳にペンを走らせた。
「調査続行」
すると透け始めていた身体は、パッと不透明度を取り戻した。
俺はうんと伸びをしてから、キャンプに戻った。
「おう、マレヒト、どこ行ってた」
「ちょっと散歩だ。そっちはどうだった」
「ばっちりよ」
サイードは白い歯をみせて笑った。
その晩も黄金亭で宴会をして、暴飲暴食ののち、キャンプで朝を迎えた。
朝、宴会の様子を記録したレポートを見てみると、ガッタガタの線で落書きじみた模様だけが描かれていた。
キャンプを出た俺たちは、再び広大な砂漠を馬車で進んだ。
数時間進んでは、岩の陰で休息を取り、魔物をやり過ごし、ちょっとずつだが、着実に目的地へと近づいていった。
「そういえば、目的地ってどこなんだ?」
陽が落ちた砂漠の中、焚き火の灯りが影を揺らしている。
「あそこらへんだな。砂漠の終わりだ」
サイードは、砂漠のずっと奥に見える切り立った山脈のあたりを指さした。
「遠いな」
「着けばあっという間さ」
旅の終わりが近づいている。そんな予感がして、夜空に浮かぶ黒々とした稜線が少し怖くなった。
きらり、と夜空を白い光が一筋流れた。見上げると、底なしの星空が広がっていた。
「オアシスじゃ意識しなかったけど、星すごいな」
「普通だろ」
「俺がいた場所じゃ、普通じゃないんだよ。綺麗だなあ~……」
「ずいぶん都会にいたんだな」
「まあな」
そう言われ、東京の空を思い出す。黒のベタ塗りみたいにのっぺりとした、ただの闇。たまに月が見えるけど、高い建物と消えない街明かりで星なんてほとんど見えない。
たくさんの星がいるはずなのに、他の明るい存在に消されて見えていないなんて、そんな光景と自分が置かれている現実が重なるみたいで、腹が立っていた。
けど、こうしてみると他の明るい存在がなくても、星同士の明るさでよくわからない。ただ綺麗という印象しか受けないらしい。一つ一つの星が見えるのは、むしろ東京の夜空だ。
「砂漠の行商人って、星で自分の位置とかわかるの?」
ふと、そんなことを思い出して聞いてみる。
「ある程度はな」
「じゃあ、こんな無数に星があっても、どれがどの星だってわかるんだな」
「わからん」
「え?」
「わかってるのは、目印としての機能だけだ。俺は天文学者じゃないからな」
サイードは酒を一口飲んだ。
「俺の師匠が、そのまた師匠が、じっくり夜空を見て、どれがどう動くか観察し、仕事に役立つようにまとめたに過ぎない。行商人の星読みは、そうやって受け継がれてきた技術だ」
ひどくあっさりとした答えだ。結局、星なんてどれも同じように、夜空で光っている小さな点に過ぎないのだろう。
そう思うと、虚しさが込み上げてきた。
どれだけ輝いたって、誰にも見つけられないか、見つけられても役割でしか判断されない星もあるのだ。
「けど、あの星が特別好きだ、とか思う奴もいるだろ。物の見方なんて、人それぞれだからな」
サイードの言葉に、ハッと息を呑んだ。どういうわけか、女神の顔が脳裏に浮かぶ。
俺は、胸の中に広がる気持ちを隠すように、身体を縮めて寝転んだ。
「そうだな」
○
翌日も、馬車は砂漠の中を進んだ。
飽きが来るように思えた砂漠の光景も、観察によっては砂の影のでき方や面白い岩を見つけたりして、なかなか楽しい。
「あ、そうだ、ちょっと寄り道していこう」
サイードはそう言って、手綱を振った。
馬車が止まったのは、今まで見てきた中でも一際大きな岩だった。くびれたような形の岩で、根元にはパックリと大きな洞穴が口を開けている。
「ここは?」
「ダンジョンだ」
「危なくないのか?」
「大丈夫、何度も来たことある」
サイードは、ランタンを持って洞穴に入っていく。まさか手帳を奪おうとしたりしないだろうな、と頭の隅で思いつつ、サイードの背中についていった。
「なんでダンジョンなんかに来たんだ?」
「ちょっと、お前さんに見せたいもんがあってな」
「俺に?」
サイードは洞穴の奥まで進んだ頃に、「ここか」と立ち止まった。細長かった洞穴は、大きな広間のような場所へと出た。
何をする気だ? 訝しむ俺をよそに、サイードはランタンを消した。
途端に、視界が真っ暗になる。
「え、なに、なんで!? なんも見えない!」
「落ち着け、マレヒト。上を見てみろ」
「はあ? 上って……なんだこれ」
天井で、巨大な魔法陣が蒼白い光を落としている。静かに、しかしとてつもない大きさだからか、胸が苦しくなるような気配を覚えた。
「ここは、かつて使われていた避難所だ」
「避難所?」
「そもそも、この砂漠がなぜできたのか知ってるか?」
「いいや何も」
「戦争さ。何千年も昔、この砂漠は『黄金郷』と呼ばれる一つの国だった。それがたった一夜にして、砂漠に姿を変えた」
それって前にオスカーが言っていた、大戦か。
「なんでそんなことに」
「さあね、そこまでは知らん。だが、ここに逃げ延びていた黄金郷の民は、この砂漠になった祖国を守ると決めた」
オアシスの人々を思い出した。だから、あそこで暮らしていたんだ。
「ちなみに俺の祖先も、この黄金郷の住民だったらしい」
「そうなんだな」
俺はその場に座って、魔法陣を眺めた。
前のダンジョンの時も思ったけど、この世界の人はそんな大昔に起きた戦争のことも忘れまいとしているようだ。
命と一緒に、記憶も繋ぐ。バトンのように渡されていくその輪の中に、自分も今いるのだと思うと、なんだか誇らしい気持ちになった。
「教えてくれてありがとう、サイード」
「なあに、ショーのお釣りだ」
サイードは笑って応えた。
○
いよいよ、山が近づいてきた。見れば見るほど、高く険しい姿をしている。剣のように尖った稜線は白い雪を被っており、さらに誰も寄せ付けない雰囲気を纏っている。
俺は馬車の前に行き、サイードに聞いた。
「どうやってあんな山越えるんだ」
「いや、超えないぞ?」
「は?」
「あ?」
馬車は、山の麓にある赤い岩場で止まった。
「これは、人工物か?」
岩場には、門のようなものが彫られている。四角い枠線に、複雑な模様が施されており、中央には先ほどのような魔法陣が大きく描かれている。
「大戦の時に使われていたゲートだ」
「ゲート……って、あれか? 離れた場所同士を繋ぐ、みたいな?」
「まさしくそれだ」
サイードは魔法陣に手を触れて、何かヒソヒソと呟く。眩い光が門から放たれた。
目を開けると、枠の内側が白い光のベールのようなもので覆われていた。
「さ、いくぞ」
サイードはリドと共にゲートへと入っていく。
なるほど、これで山を抜けるんだな。
感心しながら、俺もゲートを潜った。
波の音と共に、爽やかな風が頬を撫でる。そしてほのかにしょっぱい匂いが、肺を満たした。
「ここは……」
ゲートの先は、黒っぽい砂が広がる浜辺だった。
「ここは西国の沿岸部だ」
サイードは地図を示していった。
その指先は、砂漠があった山の際ではなく、そこから海を跨いで別の大陸にある海辺を指していた。
「あの山を越えるんじゃなかったのか?」
「超えないって言ったろ。山向こうの東国に用事はねえよ」
山脈を越えると思っていたのは、とんだ勘違いだったようだ。常識的な頭じゃ、とても追いつかない。
しばらく海沿いに歩くと、海上に黒くて大きい山のようなものが見えた。
「見えたぞ。あれが目的地、ソリスだ」
テレビ番組なら、海の上に浮かんだ島を丸ごと城にリフォームした一軒、なんてテロップが入りそうだ。
けれど、なんにせよゴール。ほっと胸を撫で下ろした。
「サイードはこれからどうするんだ」
町に向かいながら、聞いてみる。
「とりあえず宿で休む、疲れた。夕方に起きて飯食って女のところに行こうかな」
「仕事は?」
「それは明日からだ。マレヒトはどうする」
目の前で消えるのは、驚かせてしまうしな。ちょうど、ここら辺なら人目にもつかないだろう。
「俺はこの浜辺でとりあえずいいかな。町には行かない」
「ここまで来たのにか?」
「どうせ、いつか行けるしな。今はいい」
「そうか、まあおまえさんが良いならいいか」
サイードが、手を差し出す。
「じゃあ達者でな、マレヒト」
「サイードも気をつけて」
俺は手を握り返した。
「リドも、元気で」
「クア」
一人と一匹の影を見送って、俺は手帳を出した。
「さて、俺も帰るか……」
おっとその前に、あの町をスケッチしておこう。
波の音に混じって、ペンが紙の上を走る音が響いた。




