↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/4

レポート2「ダンジョンマニア」


 気がつくと、見覚えのある白い部屋で立っていた。


「……またかよ」


 視界の下の方で、これまた見覚えのある金髪がひょこひょこと映り込む。


「一週間ぶりじゃな、マレヒト! この前のレポートすっごく良かったぞ!」


 女神は、青い瞳を星空のように輝かせていた。キンキン声も、前にも増してうるさい。

 俺は自分の目を擦った。


 さっき、仕事から帰ってきた俺は、家で靴を脱ごうとしていたはず……。また同じ光景ってことは、前回も本当に夢じゃなかったのか?


 ドラゴンの卵の手触りを思い出す。


「それで今回なのじゃが」


 いきなり本題に入ろうとした女神に思わず「おい」とストップを出した。


「え、またやんの?」

「当たり前じゃ。少なくとも、この手帳がいっぱいになるまではやってもらいたい」


 手帳を渡された俺は、女神を睨んだ。


「今回だけって、前に言ったはずだぞ」

「ああ、だから今回じゃ」

「は?」

「ん? 今回とは、この手帳一冊分までのことじゃろ?」


 やり口が悪徳商法のそれ過ぎる。


 きょとんとする女神に、俺は大きくため息をついた。


「あのさぁ、俺にも仕事があるんだよ。俺の絵が好きだと言ってくれるのはありがたいけど、俺はそんなに暇でもないんだ」


 女神は一瞬、何か言いたそうにしたが、すぐに俯いた。


「……そうか」


 気まずい沈黙が流れ始める。胸が焦がされるような苛立ちに、俺は今回も折れた。


「……ああもう、わかったよ。やるよ」

「やった!」


 さてはこいつ、しょぼくれればいいと思ってるな。

 けど、これもなんかの縁。ということにしておかなければ、精神衛生的によろしくない。


「そういえば、飛ばされる場所ってわかんの? 毎回ドラゴンの目の前とか嫌なんだけど」

「それは完全ランダムじゃからなあ……我にはどうすることもできん」

「最悪」

「それよりマレヒト、我はご飯についてのレポートがもっと読みたいぞ!」

「ごはん?」

「そう! 我、あの世界のご飯に興味があるのじゃ」


 食いしん坊なのか。


「我は食事というものを知らん。しかしご飯を見ていると、こう……とても、胸がきゅうっとなる」


 女神は、照れくさそうに笑みを落とした。


「……わかった。だったら、今回はなんか持ち帰ってやるよ」

「そうしたいのは山々じゃが、それはできん」

「なんで?」

「あちらからの物は持ち込むことができん。それと、お主が生まれた世界からのものもな。お主をここに呼んでいるのも、複雑なルールの隙間を針のように縫って、なんとか成立させているのじゃ」

「そうか」と、俺は口元に手を置く。


 神とは言えど、万能ではないらしい。


「けど、ありがとうなマレヒト。お主の気持ちだけは受け取っておく」


「ふん」と顔を背けるが、首の下からかああっと熱が昇ってきた。


「さ、そろそろ出発の時間じゃ」


 女神は自身の身体より大きなハンマーを、どこからともなく出す。


「ねえこれ、毎回やるの?」

「とくに飯に関して、詳細に頼むぞ!」

「人の話をき──」


 そして今日も、俺は吹っ飛ばされた。



○



 空気が肌をひんやりと湿らせる。額に落ちた冷たい水滴に、目が覚めた。

 辺りを見渡すと、そこは洞窟遺跡のような場所だった。

 石垣の壁や天井には、水の反射が怪しくたゆたっている。天井の中央には大きな穴が空いており、そこから陽光が差し込んでいる。その下には、透き通った水辺が広がっている。水際で、空色の花たちが小さく揺れている。


 また変なところに飛ばされたな……。


 起き上がると、薄い毛布が肩から落ちた。

 着ていたはずのパーカーや靴下は脱がされており、裸足にジーンズとタンクトップ姿になっている。


「目が覚めたか、よかった」


 声に振り向くと、焚き火に枝をくべている男がいた。

 明るい茶髪で、おっとりした顔立ちの青年だ。青年は、落ち着いた声音で訊ねる。


「怪我はないみたいだけど、気分はどうだ?」

「ああ、うん。大丈夫だけど……」


 俺のパーカーと靴下は、枝でできた物干し竿にかけられていた。スニーカーは足元で整えられている。


「君、あの高さから落ちてきて無傷なんて運がいいな。それに、見たことない服を着ているし、どこから来たんだ?」

「それは……」


 異世界から来たことも、女神の加護のことも、人相手には秘密にしておいた方がいいだろう。説明するのも面倒くさいし。

 そのとき、俺の腹が大きな音を立てた。


「あ……」

「詳しい話は、食事と一緒にしようか」


 青年はテキパキと、食事の準備を進めていく。リュックから鍋や包丁、そのほか調理道具が出てきて、ただの石畳の上があっという間に炊事場となった。


「ずいぶん慣れてるな」と思わず呟く。


「まあ、10年もダンジョンに潜っていれば、自然とこうなる」

「ダンジョン、えっ、ここダンジョンなの? ていうか10年!? いろいろ追いつかない……」


 青年は軽やかに笑う。


「そうだ、自己紹介がまだだったな。俺はオスカー。君は?」

「ま、稀人」

「マレヒト、よろしく」


 料理が出来上がるまでの間、オスカーから俺が見つけるまでの経緯を聞くことになった。


「俺、ダンジョンが大好きなんだ」

「はあ」

「小さい頃に、蟻が餌を巣に運んでいくのを見てものすっごく胸が高鳴った! あの穴の先にはどんな世界が広がってて──」

「あー、もう少し今の話をしてほしい」

「おっとすまない。ここに来たのは、偶然だったんだ。あるダンジョンの調査の帰りに、ここを見つけて入ってみたら、出られなくなった」

「出られないのか、ここ」

「ああ。入り口は魔法で塞がってしまっている。たまにある盗掘対策の罠だ」

「まじかよ……」

「けど、最深部までたどり着いて罠を解除できれば、脱出できるはずだ」

「そうなの?」

「10年もダンジョン潜ってるからな、そこは経験則」


 ドヤ顔で言うオスカーに、不安を覚える。


「とりあえずこの辺りの調査を終えて、休憩してたら、君があの穴から降ってきた、というわけだ」

「あの穴からは出られないのか?」


 水辺の真上で、穴はぽっかりと口を開けている。かなり高さはあるが、魔法があるならなんとかなるんじゃないか?


「無理だな、道具がない」

 即答。

「魔術は?」

「魔術は苦手なんだ。マレヒトは使えるのか?」


 とっさに手帳のことを思い浮かべたが、よく知らない人間の前で使うのは避けたい。俺は首を横に振った。


「使えない」

「というわけで、我々は地道にこのダンジョンを攻略するしかない」


 そう言ったオスカーの口元は、わずかに笑っているように見えたが、気のせいだと思うことにした。


 レポートさえ書けばダンジョンを攻略しなくても帰れるんだろうけど、飯まで作ってもらって何もしないのは、さすがに申し訳ない。

 俺は、オスカーのダンジョン攻略を手伝うことにした。


「ほら、できたぞ」


 オスカーが、湯気が立つボウルを差し出す。ボウルは、鶏肉の水炊きのようなスープで満たされていた。


「これは?」

「バジリスクと、さっきそこで見つけた藻のスープだ。あったまるぞ」

「バジリスクって、魔物だよな? 近くにいるのか?」

「このダンジョンの外だけどな。前の調査で食料切らしちゃったし、ちょうどいいから倒した」

「へえ……」


 バジリスクがどれだけ強いのかわからないけど、オスカーの腕っぷしはたしかなのかもしれない。


「いただきます」と、スープを一口飲む。


 あっさりとしててコク深い旨味が、口いっぱいに広がった。肉は少し獣くさいが、柔らかくてジューシーだ。


「うま! あったけえ……」

「そうだろう」


 オスカーは、得意げに笑う。


「それにしても、マレヒトは魔物食に抵抗がないんだな。前も食べたことあるのか?」

「いや、ないけど、そんなに抵抗ある物なの? うまいのに」


 俺はスープを啜った。


「魔物食は、食中毒や精神的な嫌悪感から、ほとんどの人間は嫌うんだよ」


 とっさにスープから口を離した。


「……それ食わせる前に言えよ」


 いざという時は、手帳を使ってどうにか逃げよう。

 そう、固く決心した。


 オスカーは何か思いついたように、水辺で大量に咲いていた空色の花をむしってくる。小ぶりながら鮮やかな色の花弁が、六枚連なっている。中心に行くほど色は白くなっている。


「付け合わせにこの花はどうだ? もちろん毒性はない」

「い、いらない」


 恐る恐るスープを胃に流し込み、俺たちはその場を後にした。


「靴下と靴はまあ履けるけど……さすがに服は乾かないか」

「濡れた服では体温が奪われて危険だ。俺の替えの服を貸そう」

「いいの?」


「いいよ」とオスカーはリュックから、ベージュのシャツを出した。


「ありがとう。けど、どうして俺にそこまでしてくれるんだ?」

「逆に聞くけど、相手を助けない理由がないのに助けないのかい?」

「それは……助けると思う」

「そういうこと。それに、ピンチのときはお互い様だし」


 オスカーの言葉を聞き、俺はシャツを着た。

 


○



 水辺を後にして、ダンジョンの廊下を歩いていく。石垣の壁には植物の根が張っており、人の手が加わっていない時間を感じる。根の隙間から見えた壁には、なにやら文字が刻まれている。


 オスカーはその文字に触れて、何かを独り言のようにぶつぶつと呟き始めた。


「……うん、壁の文字を読む限り、いま俺たちがいるのは第一層みたいだ。とりあえず最深部の三階層まで進んでみよう」

「そんなこと書いてあるの?」

「壁の文字を侮(あなど)るなかれッ!」

「うわなんか始まった」

「ダンジョンの壁には、そのダンジョンの来歴がほぼすべて描かれていると言っても過言では無い! どの言語が使われているか、どういう意図で作られた場所なのか、それらすべてを網羅しなければ、ダンジョンを攻略したことにはならんのだよ!」

「お、おう」


 これ以上は、深く突っ込まないでおこう。面倒くさいから。


 しかしその後も、止まることを知らないオスカーのダンジョンうんちくは、俺の頭を圧迫し続けた。俺は相槌(あいづち)を打つのもやめた。


「であるからして、ダンジョンのオスとメスは──止まって」

「え?」


 急に剣幕を変えたオスカーに戸惑う。

 相槌打ってないのバレたか?


「あれを見てくれ」


 オスカーは、道の先に立っている石の看板をそっと指差した。


「……罠の罠だ」

「なにそれ?」

「罠と書いて罠のように見せかけているが実際そこに罠はなく罠というその表記自体が罠であり間違った道へと誘う罠なのだよ」

「えっと、つまり?」

「罠じゃない」

「ややこしいわ!」

「そうだろう、そうだろう」


 得意げな笑みを浮かべるオスカーに、俺は呆れた。

 ダメだこいつ、ダンジョンのことしか考えてない。


「さぁ行こうマレヒト! まだ見ぬ冒険が俺たちを待っている!」


 オスカーは、こちらに振り向きながら歩きだす。

 ガゴンッ。オスカーの足元から、そんな音がした。


「おや?」

「え?」


 見下ろすと、オスカーが踏んでいる石畳が周りより一段、凹んでいる。

 廊下は、水を打ったように静まり返った。


「しまった、これ罠の罠の罠だ!」

「うるせえ!」


 俺たちは一目散に走り出した。

 どこからともなく、重たい振動が響き始める。心なしか、地面が傾いて下り坂になっていってる気がする。


「おい、マレヒト! あれを見ろ!」

「そんな余裕、えええええっ!?」


 オスカーが視線でさし示した背後から、巨大な影が迫って来る。

 岩だ。大きな岩が、転がってきている。

 言葉にならない叫び声をあげながら、俺は足を速める。


「おちつけー、マレヒト! パニックになると転ぶぞ!」

「そんなこっ、そんなこと言われたって!」


 すでに転ばないように精一杯だ。


「俺が罠を止めるから、マレヒトはそのまま走ってていいぞ!」


 オスカーはそう言って、腰に携えていた片手剣を抜くと、振り返った。

 振り返ったまま、走り続けた。


「うわきもっ!?」


 オスカーは姿勢をピンと伸ばし、ものすごい勢いで後ろ走りしている。その手足の残像が歪な渦巻きを描く。


「破壊は最終手段なんだけどっ……ここか!」


 視界の端で、オスカーの一突きが転がる大岩に刺さる。


 背後で何かが砕ける音が響いた。


「オスカー!?」


 激しい揺れが起き、俺は走りながら振り向く。


「もう大丈夫。罠の罠の罠は壊した」


 オスカーの言葉通り、岩は見事なまでにバラバラに砕け散っていた。


「どうやったんだ今の!?」

「古くて壊せそうだったし、試しに石目を一突きしてみた」

「すげぇ…………で、俺たちはどうやって止まるんだ?」


 動き続けている己の手足を見て言う。


「それは、わからない」


 俺は再び、叫び声をあげた。



○



 なんとかして減速に成功した俺たちは、その場に倒れて息を荒げていた。


「し、しぬかと、おもった……」

「坂自体も、罠になる、なんて、ダンジョンは、奥が深い、なぁ……」


 息を整えたら、再び歩き始める。


「結局、ここってどんなダンジョンなんだろう」


 加護が効かないか、俺も壁の文字に目を凝らしてみるが、さっぱりわからない。


「おそらく、墓地だな。それも身分が高い人の。けど一層の文字は、罠の罠の罠のせいでほとんど見逃してしまったから、詳しくはわからない」

「墓地って……お化けとか出ないよな」

「ゴーストかぁ。出る可能性もあるけど、普通の集団墓地とかじゃなさそうだし、大丈夫だろう」

「だといいな」


 ていうか、お化けってこっちの世界にもいるんだ。

 まっすぐ伸びた廊下を進むと、開けた場所に出た。

 部屋の入り口で、オスカーが急に立ち止まる。


「止まって」

「……今度はなんだ」

「静かに、部屋の中をのぞいて見て」


 部屋は、高校の体育館ぐらいの広さで円形に広がっていた。

 その広場の中央には男の石像が二体、そびえ立っている。何メートルあるんだ、潰されたらきっとひとたまりもない。


「ゴーレムだ」とオスカーが囁く。


「やつらの足元、白い台座はきっとゴーレムをなんとかするヒントがあるはずだ」


 オスカーの指が示したゴーレムの足元には、立派な西洋の墓石がひとつ置かれている。


「オスカー、なんか書いてあるぞ」

「あれは……ダメだ、ここからじゃ読めない」


 目を凝らして、オスカーは次第に前のめりになっていく。


「ええっと……『汝、勇者の願いを捧げよ』だってさ」

「だってさと言われても。謎解きもあるのか」

「ダンジョンだからな、ワクワクするだろ」

「しないよ」


 ドスン、ドスン、会話の隙間を破壊するかの如く、重たい足音が近づいてくる。

 二体の石像が、こちら目掛けて一歩ずつ歩いてきていた。


「まずいな、見つかった」

「どうすんだよ、ってうわあっ!?」


 地面が急にせり上がり、俺とオスカーは部屋の中に転がり込んだ。


「走れ!」


 オスカーが叫び、俺は何も考えず腕を振った。

 背後が爆発でも起きたみたいに、凄まじい衝撃で吹き飛ぶ。


 ゴーレムの拳が、床を抉っていた。

 あんなの食らったらペシャンコだ。

 俺は壁沿いにぐるりと走る。反対側を走っていたオスカーは、周囲を確認している様だ。

 白い墓石が視界に入る。


「勇者の願いってなんなんだよ!」


 力? このゴーレムを倒す? 手帳に何か書くか? いやそんな複雑なの今すぐ思いつかないし描けない!


 頭の中がいっぱいになったその時、オスカーの声が響いた。


「花だ、マレヒト!」


 振り向くと、オスカーは白い墓石の前で手を振っていた。


「一層で見たあの花! 見つけてくれ! 俺はゴーレムたちの注意を引く!」


 一層で見たあの花、あの付け合わせにされかけた青い花か!


「わかった!」と答え、俺は花を探し始める。


 何がどうして必要なのかわからないが、やってみるしかない。


 どこだ、どこだ青い花!


 走り回りながら探していると、青っぽいものが視界で揺れた。


「あった!」


 入り口があった場所、一輪だけ咲いている。

 ゴーレムを見ると、二体ともオスカーに注目している。


「キシャアアアアアアッ!!」


 オスカーは奇声をあげ、両腕を大きく振り回している。


 心の中で何か冷めるものがあったが、気にせず花の元まで向かう。


 ドガンッ! と一際大きな振動が広場を揺らした。


「マレヒト! 避けろ!」

「え?」


 瓦礫が宙を舞い、まっすぐこちらに向かってきている。

 スロー映像のように、巨大な影は俺の頭上を通り越して、花を潰した。


「あ……」


 あと少しだったのに、他に花は……ない。


 辺りを見渡しても、花らしきものはまるで見当たらない。あったとしても、この状況でまた取りにいけるか?


 ゴーレムの足音がしきりに広場を震わせる。

 俺は拳を握りしめた。


「……いや、なければ、描け!」


 手を開くと共に、手帳がどこからともなく現れる。


 たしか、見た目はネモフィラに似ていたな。けど花弁は六枚。空色の花びらは、中心に行くほど白くなってて……。


 脳裏にイメージを強く繋ぎ止め、描いていく。

 完成した絵に、色を思い起こして息を吹きかける。


「できた!」


 手のひらに飛び出したスケッチが、みるみるうちに立体的になり、色づき始める。


 そのまま中央に走り出し、花を墓石に叩きつけた。


「これで、どうだ!」


 ゴーレムたちの振動が、ぴたりと止んだ。


「……とまったか」


 両腕を高くあげた奇怪なポーズのまま、オスカーがつぶやく。

 ゴーレムたちは墓石の青い花を見ると、元いた場所に戻って行った。


「「たすかった……」」


 俺とオスカーは、その場に力無くへたれこんだ。


 石が引きずられる様な音が地面を震わす。

 部屋の奥壁が埃をこぼしながら開いていく。その先には、なだらかな階段が続いていた。


「三層への道だろう。けど、少し休んでから行こう。流石に疲れた」

「そうだな」


 俺たちは床に寝そべって、しばらく天井を眺めた。


「オスカーは、こんな危険なことばっかりで、嫌にならないのか? ダンジョンが」


「ならない」とオスカーは即答する。


「どんなに危険な目にあっても、俺はダンジョンが大好きだからな」


 素直にそう答えるオスカーに、眩しさすら覚える。

 漫画家になることを諦めてから、世界は嘘みたいに凪いだ。もうこれ以上、辛い思いをしなくていいと、許されたような気すらした。


 でも、どうしてだろう。胸の中には小さな穴がぷっつりと空いており、そこから虚無感が埃のように降り積もる。


「どうしたら、好きって気持ちのまま歩けたのかな」


 思わず呟いてしまった。聞かれていないか、と思ったがオスカーは答える。


「さあな」


 心底あっさりと。


「マレヒトは、何か諦めたのか?」

「まあな」

「ふーん……」

「聞いておいてそれかよ」

「あ、すまない。別に興味がないんじゃなくて、なんて言えばいいか、わからなくて」

「そうかい。別に大したことじゃないし、無理に話を繋げようとしなくてもいい」


 わかってる。今のは、ちゃんと答えない俺も悪い。詮索されたいわけでもないのに、蔑ろにされたと思うと腹が立つ。めんどくさいやつだな、俺って。


「さっきの呟きへの、俺なりの答えなんだけど」


 オスカーが、遠慮がちに言った。


「俺は、好きな気持ちって、変わっていくもんだと思うよ。ダンジョンに潜って、それまで見えてこなかった危険な部分とか、抱えてる歴史の重さとか、現実的なルールとか問題とか……そういう、いろんなことを知って、今はもう最初にダンジョンに抱いていた好きではなくなった」


 オスカーの声は、高い天井に反響している。


「でも、それでも俺は歩いてるわけだし。もしかしたらマレヒトは、好きじゃなくなったんじゃなくて、好きの形が変わったのかも、しれないな」


 変わった。そうだ。変化していく現実への解像度にだんだんついていけなくなって、気がついたら、俺は。


 情けなさが、心臓を小突くように湧き上がる。

 オスカーが起き上がった。


「偉そうなこと言ったな、すまん」


 そして、俺に手を差し伸べる。


「ううん……ありがとう」


 オスカーの手を取り、俺も起き上がった。


「行こう。いよいよ三層、このダンジョンの秘密が待ってる」


 と不敵に笑うオスカーに、俺も応える。


「ああ」


 どれだけ自分が情けなかろうが、いまは異世界で、ダンジョンで遭難中。前を向いて、先に進むしかない。



○



「そういえば、なんで鍵が花だってわかったんだ?」


 三層へ続く階段を降りながら、オスカーに聞いた。


「あの青い花の言葉は、平和なんだ」


 階段は、松明がなくても明るい。壁に灯るランプの様な装飾が、やわらかな光で照らしているからだ。


「そして、墓石に書かれていた“勇者の願い”。戦争に巻き込まれた人々が、まず願うのはなんだろう?」

「平和?」

「その通り。おそらく、一層の水辺に群生していたのも、この試練で使うからなんだろうな」

「なるほど」


 墓参りのたびにあんなことしてちゃ、たまったもんじゃないしな。

 ゴーレムたちの攻撃を思い出し、背筋が凍る。

 階段を降り切ると、眩しい光が俺たちを照らした。鳥のさえずりが頭上で歌う。


「そしてここの墓の主は、勇者だったと言うわけだ」


 そこは、陽の光が差す、静かな円形の広場だった。中央には、石碑がひとつ置かれており、そこを囲む様にやわらかい緑の植物が茂っている。あたたかい光が、広場全体を包み込んでいる。


「勇者って、なに?」


 脳内には「魔王を倒しに行こう」みたいなやつがチラついているが……。

 オスカーは落ち着いた声音で応える。


「かつての大戦で戦って死んでいった人たちの墓だよ。こういう勇者の墓は、世界各地にある。ここもそのひとつだろう」


 大戦、さっきのゴーレムの時と言い、よほど悲惨な戦争だったのだろう。戦争自体、悲惨なことだけど。


「マレヒト、歴史のこと知らなすぎじゃないか?」

「訳ありなんだよ。教えてくれ」


「しょうがないな」とオスカーは咳払いをした。


「大戦というのは、大昔に起きた人類と魔族の戦争だ。あ、今は魔族も人類だけどね。そして多くのダンジョンは、その大戦時代に造られたものなんだ」


 当たり前だけど、こっちにもそういう歴史があるんだな。

 人が社会を築けば、当然ながら争いも生まれるか。


「しかし、これまで完全な状態のものそうそうは無いよ。当時の文化や価値観を知れる、貴重な遺構だ」


 心なしか、オスカーの興奮は静かなものになっていた。流石にここで叫んだりするほど、サイコパスじゃないらしい。


 墓に手を合わせてから、オスカーは粛々と調査を始めた。

 その間に、俺もこれまでのことをレポートに書く。


 この場所の穏やかな空気もあってか、静かで、満たされた時間だった。


 それぞれのやることを終えたのち、俺たちは外に出た。

 オスカーが、広場の隅に外につながる階段を見つけたのだ。

 階段を登りながら、俺が言う。


「このダンジョン、報告したらお手柄じゃない?」


 オスカーは淡々と答えた。


「いいや、報告はしない」

「なんで」

「ここの人たちには、安らかに眠って欲しいからな」


 振り向くと、広場に差し込む穏やかな日差しが見えた。


「そっか」


 階段を上がると、薄暗い森の中だった。

 地図を広げたオスカーが聞く。


「マレヒトはこれからどうする?」


 どうするもなにも、レポートは書いたし、待っていれば自動で時間が来るだろう。

 しかし、こんな森の中で待つと言うのも変だ。


「とりあえず、ちゃんとした道に出たいかな」

「なら、一緒に行こう」


 うっそうとした森を歩いて、五分ほどで舗装された道に出た。

 人通りはなく、土を踏み固めた路面は夕日でオレンジに染まっている。


「このシャツ、本当にもらっちゃっていいのか?」

「いいよ、安物だし、裸で帰らせるのもあれだから」

「じゃあ遠慮なく」


 どうせ持って帰れないし、あのパーカーも現実世界に戻ったらぜんぶ元通りだし、いいか。

 オスカーが手を差し出す。


「それじゃあ達者で、マレヒト」

「オスカーも、気をつけて」


 俺はオスカーの手をとり、握手を交わした。

 互いに背を向けて、それぞれの道を歩きはじめる。

 身体が、夕日を透かしはじめる。帰還の時間らしい。


 最初はイヤイヤだったはずなのに、この時間になると、寂しさが胸に小さな影を落とす。


 オスカーには、またね、とは言わなかった。

 言えなかった。これから、またこの世界に来ることにはなるんだろうけど、どこに飛ばされるかもわからないし、会う前に彼がダンジョンでくたばる……なんてこともある。


 けど、もしまた会えたら、会えたら……。


『キシャアアアアアアッ!!』


『罠の罠の罠だ』


『壁の文字を侮るなかれッ!』


 ふと、これまでのオスカーの奇行が、脳裏で勢いよくフラッシュバックした。


 もしまた会ってしまったら、知らない人のふりをするかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。