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レポート1「おかあさんドラゴン」

 ドラゴンの咆哮は、前髪がチリチリになるほど熱い。きっと炎を吐くからだ。


 切り立った岩石地帯のド真ん中、俺はドラゴンとふたりきりだった。なんなら、ドラゴンの前足と地面の隙間に、すっぽりと収まっていた。


 大きすぎる赤い目玉に、俺の全身が映っている。このファンタジーな光景とは不釣り合いな、いかにも部屋着っぽいパーカー姿の男。


 いや、冷静に情景描写してる場合じゃない。

 早くここから、この目の前のドラゴンから逃げなければ!


 俺は必死にもがいた。が、いくら力を入れても、岩の下敷きになったみたいにびくともしない。


 ドラゴンの口が、ばっくりと開いた。滴り落ちる大粒のよだれが、地面をジュワジュワと焦がす。その吐息は、予熱したオーブンの三倍くらい熱い。痛い。思わず目を瞑った。


 結局なにも叶わない、なにも成さないまま終わるのかよ俺の人生。


 すべてを諦めた俺は、こうなった元凶の顔をまぶたの裏に思い浮かべた。


「あのクソ女神め……」



 ○



 五月某日。午後十時、退勤。


 これが、俺の人生か。

 退勤するといつも、そんな薄灰色の曇った感情が胸の辺りにぼんやりと広がる。


 コンビニの前には、高校生ぐらいの少年たちがなにやらふざけあっている。店内から漏れる白い光が、目に突き刺さるようだった。


 ほらほら、何者にもなれないまま大人にちまった成人男性が通りますよー、と高校生たちを横目に頭の中でつぶやいた。


 薄暗い気持ちを引きずりながら、職場から電車で三十分揺られ、散らかったワンルームの自宅に帰った。


 入浴はシャワーで済ませたら、白いパーカーの部屋着に着替える。そして、コンビニで買った割引のり弁当をレンチンし、腹を満たした。


 これも、昨日と同じ作業。


 時計を見ると、もうすぐ日付を越えようとしていた。

 まだ仕事は残っているが、満腹になったせいで眠気がひどい。


 五分だけ、横になろう。

 そう思い、布団の上で目を瞑った。


「ワタリ! ワタリマレヒト! 目覚めんか!」


 少女の声が、キンキンと頭に響いた。


「んあ?」


 目が覚めると、金髪碧眼の少女が俺を覗き込んでいた。


「だ、だれ?」

「我は女神じゃ」


 俺は周囲を確認する。そこは、真っ白な四角い部屋だった。右側に、大人一人くらいの高さがある窓が一つ。あとは何もない。あきらかに非日常な光景だ。


 さっきまで、自分の家にいたはず。それがなぜか、こんな真っ白な部屋に、女神を名乗るイカれた少女とふたりきり……。


「うん、夢だな」

「夢じゃないぞ!」


 白いワンピース姿の少女は、そう叫んで両腕をブンブン振り回す。見たかぎり、中学生ぐらいだろうか。幼さが残る頬の横で、おろした金髪が滑らかに揺れている。青い目は、俺をじっと睨むように見つめていた。


 俺は頭を抱えた。


「これは、あれか? 異世界転移ってやつか?」

「察しがいいのう」

「クソが」

「なんでぇ!? てかひどっ! クソってお前、我うんこじゃないし!!」

「そこじゃねえよ! 俺、異世界に飛ばされんの? なんで? 無理なんですけど!」


 てか色々とすっ飛ばしすぎだろ、最近の異世界モノの方がまだ説明してるわ。


 少女は腕を組み、「うーむ」と唸った。


「流石にそうじゃな。説明なしに飛ばすのも、不義理がすぎるな」

「急に冷静になるな、つか説明なしに飛ばそうとすな異世界に!」

「ごほん!」と、自称女神? の少女はその場に正座した。俺も、何となく合わせて座る。

「お主に頼みたいのは、世界の調査じゃ」

「調査?」


 少女は部屋の右奥にある窓を指差す。


「最近、あの窓から新しく世界を見つけてな。お主が暮らしている世界を甲とすれば、見つけたのは乙の世界、つまり異世界じゃ」

「世界線的なやつか……?」

「まあ、そこら辺の理解は適当で良い」

「いいのかよ」

「本当は我が直々に赴きたいところなのだが、神としてこの場から離れることができん。そこで、お主に頼んだというわけじゃ」


 一人で納得したように頷いている少女に、首を傾げる。


「なにも、わからないんだが?」

「何がわからん?」

「すべて、何もかも」


 こいつが女神というのも信じられない。そもそも、これは現実なのか? 疲れすぎて見ている幻覚とかじゃないのか?


 カオスな状況に煮詰まってきた頭を振り、改めて女神を見る。


「だいたい、なんで俺なんだよ? 忙しいんだけど!」


 女神は神妙な顔をして、首を縦に振る。


「たしかに、今のお主は忙しいだろう。漫画家を目指して上京したが芽は出ず、そのまま就職。それから社畜暮らしじゃ」


 気持ち悪いぐらい、すべて当たっていた。もしこれが夢じゃないのなら、こいつは本当に女神か何かなのだろう。


 ひとまず、湧き上がっていた溜飲(りゅういん)を下げる。


「そんだけわかってるなら、他の人に当たってくれ。俺には時間がないんだ」


 まだやらなくちゃいけない仕事がたんまり残ってる。こんなふざけたことに使える時間はないのだ。


 少女が、額をその白い床にそっとつけた。


「頼む」


 それは異様な、下手すると犯罪臭すらありそうな絵面だった。

 二十四を過ぎた男が、中学生くらいの女の子に土下座させている、なんて。


「いっ、いやいや何やってんの!?」

「見ての通り土下座じゃ」

「見りゃわかる! そうじゃなくて、なんでそこまでして、俺なんかに頼むんだよ……?」


 賞に出しても良くて佳作、連載はおろか読切すら掲載されなかったのに。こんな、何者でもない俺に、どうしてそこまで頼むんだ。


 少女は勢いよく顔を上げた。


「お主を選んだのには、二つ理由がある。ひとつは、レポートに重要な絵が描けること。そしてもう一つは……我はお主の絵が大好きなのじゃ」

「は、なんで?」


 少女は顔を赤らめて、床を人差し指でぐるぐるといじる。


「……むかし、ツイッターで見たのじゃ。なんて繊細な絵を描くんじゃろうと」


 驚いた、神もツイッターをやるのか。


「お主の絵が、我の心を射抜いたのじゃ! 我は他でもない、お主の絵で、お主の目で見たあの世界を見たい!」


 思わず目を逸らそうとしたが、できなかった。言葉か視線か、そのどちらもか、俺は少女の瞳に釘付けにされていた。


 ああ、この感じ、知ってる。自分という人間の輪郭を与えてもらったような、胸の内に湧き上がってくる幸福感。自分が、何かになれるかもしれないと思えた瞬間の……。


 沈黙が煮詰まる頃、俺は大きくため息をついた。


「……わかったよ、今回だけなら」


 少女を見ると、信じられない、という顔になっていた。


「…………本当に?」

「めんどくせえな! やっぱやめるぞ!」

「あ、ごめん! 嬉しいのじゃ! 嬉しいあまり現実が、こう……なっ?」


 少女に宥められ、俺はこの調査のルール説明を受けた。


「レポートは、この手帳とペンで作成する。手帳が十分に知識を得たと判断したら、勝手に元の世界に戻るだろう」


 赤い革製の小型手帳と、黒い万年筆を手渡される。開いても触っても、普通の手帳とペンだ。


「これに加え、我が与えられる限り全ての加護をつける。現地での会話をフルオート翻訳するやつとか、ダメージに上限を設定するやつとか、色々な!」


 それなら大丈夫なのだろうか。


「だからお主が死ぬようなことはないぞ! こういうの、てんぷらいあんすっていうんじゃろ?」

「コンプライアンスな」


 やっぱ不安になってきた。


 少女は窓辺に立ち、こちらに振り向いた。


「ほれマレヒト、こっちにこい」


 少女に言われるがまま、俺は窓の前にたった。

 雲の中にいるような、曖昧なパステルカラーの光景が広がっている。近づいて気がついたが、窓ガラスがない。窓自体の大きさもあるし、うっかりすれば、このまま落ちてしまいそうだ。


「それで? これから──」

「よいしょっと」


 少女はその身体よりずっと巨大なハンマーを、どこからともなく持ち出していた。


「なに持ってんの!? てかどこから出した!」

「それも些末なことじゃ」


 そう言ってハンマーを構える。ずっとニコニコしたままの目が怖い。


「それじゃ、いってこーい!」

「うそ!? いや、待って、まっ──」


 俺は勢いよく、窓の向こうに吹っ飛ばされた。


 そうして、現在に至る。



○



「起きなさい、起きなさいってば」


 真っ赤なドラゴンが、人の言葉を喋っている。それも女の人の声。

 パソコンの待機画面の如き青空に、ドラゴンの顔がどーんと浮かんでいるのは、かなりシュールな光景だ。


「…………夢?」

「夢じゃないわよ、しっかりしなさい」


 そう言われ、弾かれたように慌てて飛び起きた。


「……いっ、俺生きてる!? え、なんで!?」

「あんた、潰しても燃やしても死なないくせに、ずっと気絶してるから、諦めたのよ」


 周りを見ると、凄まじい攻撃の跡があった。

 バターのようにえぐり取られた岩石は、その荒々しい断面を晒している。ところどころ黒く焦げている。


 うわ……加護ってマジなんだ。いや、マジじゃなかったら困るけども。あと今さらだが、通訳の加護とやらも効いているようだ。


「あんた、何者なの? すごい勢いと魔力で空から降ってきたと思ったら、頑丈なくせにぜんぜん強くはないし」


 俺の横で香箱座りになったドラゴンは、ぶつくさと文句を垂れる。

 なんで説明すればいいんだろう。派遣社員? アルバイト? 強いて言うなら……。


「えっと、俺はこことは違う世界から来た、何でも屋みたいな?」

「……は? 今なんて?」

「いっ、いやぁ、なんでも……」


 しまった、異世界のことは迂闊だったか。

 ドラゴンは、顔を近づけて再び訊ねる。熱い鼻息が、俺の前髪を吹き飛ばす。


「なんでも屋、って言った?」

「……言いました」


 引っかかるのそこなんだ。もしや、異世界人って日常的なのか?


「それって名前通りなんでもしてくれるの?」


 そう聞いてくるドラゴンの瞳は、キラキラと輝いている。

 誤魔化すと、また何されるかわからんな。


「……まぁ、俺にできる範囲なら、不本意だけど」

「あらそうなの! だったらうちにいらっしゃい! お願いしたいことがあるの」

「え?」


 ドラゴンは話も聞かずに前足で俺をひょいっと掴むと、翼を広げて飛び立つ。


「うわああっ……!?」


 内臓がふわふわと浮くような感触に、情けない声が漏れる。

 のっけから、ハードな調査になりそうだな。

 俺はすべてを諦めて、遠くの山々を見つめていた。


「ついた、ここが私の巣よ」

「遺跡?」


 先ほどの場所から、山脈ひとつ越えた先に広がる平野の中。要塞だろうか、作りかけのプラモデルのような煉瓦の廃墟がポツンとそびえ建っている。


「便利なのよね~、人間の巣」

「巣て」

 巣だけども。


 久々の地面に足と尻をつけて、ほっと息を吐いた。


「じ、地面おちつくぅ~……」

「さ、休んでる暇ないわよ、忙しいんだから。こっちいらっしゃい」


 しぶしぶ立ち上がり、よろけながら聞く。


「そういえば聞いてなかったけど、お願いって何すれば?」


 ドラゴンに案内されるまま、廃墟の中に入る。そこにあったのは、人間の胴体ぐらいはある真っ赤な卵だった。それも、ふたつ。


「お願いは、この子達の世話よ」



 ○



 ドラゴンの卵の世話をやったことがある日本人は、どれだけいるのだろうか。

 いや、日本どころか世界でも一人としていないだろう、そんな人材。


「俺、子供の世話とかしたことないし、ましてや卵の世話なんて……」

「それもそうね、人間は卵産まないものね」

「そうだけどそうじゃなくて……まあ、いいや」


 色々考えた挙句、説明を諦めた。


 卵の世話は、掃除と温度管理が主な仕事になるらしい。卵を汚す埃やら鳥のフンやらを掃除し、胚の癒着を防ぐため、定期的に位置を変える。聞いているだけでも、繊細で面倒臭い作業だ。


「私は餌を探してこないといけないの。もうかれこれ、一週間はものを食べられてないわ」


 卵の隣で体育座りして聞いていたが、以前読んだファンタジー漫画を思い出した。


 ドラゴンの卵って、かなり貴重なのでは?


「あのさ、よく考えたら、卵って俺みたいな部外者が触っていいものなの?」

「ダメよ。盗みにくるやつも多いし。だからここしばらく飲まず食わずだし」

「じゃあ何で俺が?」

「弱くてチョロそうだから」


 舐めてんのか。


「ていうのは半分で、一番は危害を加えなさそうだからよ。さっき、ちょこっと脅しただけで気絶してたんだもの」

「それだと弱くてチョロそうと変わらないのでは」

「そうかしら」

「とりあえず、わかったよ。俺も別に卵をどうこうしたいわけじゃないし」

「じゃあ、お願いするわね。夕方には帰ってくるから。あでも、割ったりでもしたら、ただじゃ置かないから」

「は、はい……それはもちろん、承知しております」


 ドラゴンを見送った俺は、早速仕事に取り掛かった。


「とは言ったものの、掃除道具がないな」


 周囲を見渡してみる。

 崩れた煉瓦の破片、壁を覆う蔦、地面は土だ。

 これといって、使えるものはない。


「あ、そういえばあの女神がこんなこと言ってたな……」


『どうしても道具が必要となった時は、この手帳に絵として書き起こすと、一定時間具現化されるぞ!』


「たしか、手帳とペンの出し方は……」


 と右手を視線の高さでギュッと握る。

 頭の中に手帳とペンをイメージして勢いよく、開く。

 紙がめくれる音と共に、手帳とペンが右手に収まった。


「おお、本当に出た」


 次は具現化したい物の絵を描く。

 ちゃんと絵を描くのは、いつぶりだろう。

 手帳を開き、少し震える手で四角く線を引いていく。


 長方形にして、対角線上に点線を描けば……。


「雑巾のできあがり。意外と悪くない、か?」


 あとは、この絵に息を吹きかける。


 ページを水平にしてふううと息を吹いたら、絵が飛ばされるように舞い上がった。


 手帳を飛び出した雑巾の絵は、空中で次第に膨らみ、地面にはらりと落ちる。


「できた! これで掃除が楽になるぞ」


 俺はさらに水が入ったバケツと、雑巾をもう二枚具現化した。


「ダメ元でやってみたけど、水も具現化できるんだ……どういう原理だ?」


 これもすべて、レポートに支障が出ないための計らいか。便利だけど、俺が描けるものしか出せないっていうのは、妙に現実的だ。


 そうこう考えつつ、水で濡らした雑巾で卵を丹念に拭いていった。


「うお、固い、あとしっかりあったかいな」


 ドラゴンの卵は、普段使っている鶏の卵なんかよりずっと固い。そういう岩だと言われても納得できる。近くで見ると、赤い殻に黒っぽい斑点がついているのがわかった。


 そして温度。熱の時の人肌くらいはある。拭いた側から、雑巾がぬるくなっていくのがわかった。


 青い匂いをはらんだ風が、汗ばんだ頬に触れた。


 崩れた壁の向こうで、一面の草原が波のように揺れている。そのずっと遠く、先ほど超えてきた山々が空の色と近い青に染まっている。


 牧歌的、というのはこういうことだと思った。

 たまに遊びにくる爽やかな風を感じて、どこまでも開けた自然を眺め、黙々と卵を拭いた。


 手のひらで、卵の真っ赤な殻に触れてみる。熱いくらいの温もりと一緒に、とくん、とくん……と小さな鼓動が伝わってきた。


 この卵も生きている。その実感が、物理的な重たさとはまた違う重量を与える。


「よいしょっ……だっは、むりだ……」


 位置を変えるために持ち上げようとしたが、少し浮かすだけで限界だ。


「体力、つけなきゃな……いやでも、ドラゴンの卵持ち上げるとか、人生で想定してないわ」


 結局持ち上げるのではなく、転がす形で位置を変えた。


 そこでふと、二つの卵にも違いがあることに気がついた。


「右のお前はすこし丸いな、あと色が濃い。斑点も細かい」


 と右側に転がっている丸めの卵に語りかける。


「左のお前は綺麗な卵形だな。色は薄くて、ちょっと斑点が大きい」


 左側に佇む卵にも、言葉をかける。

 数時間しかいないし、卵だから喋らないけど、大事に扱っていると自然と愛着が湧いてくるものだ。


『弱くてチョロそう』


 ふとドラゴンの言葉を思い出し、咳払いをした。


「……チョロくないし」


 気がつくと、太陽は山脈の向こうに顔を隠していた。


 夜になっても気がつかなかったのは、太陽に変わって煌々と平原を照らす月のせいだろう。


「月明かりって、意外と明るいんだな」


 昼間とは変わって、ひんやりとした風が草原を切っている。


「ていうか、星もすごい……」


 それは浮遊感すら覚えてしまうほどの、見事な星空だった。


 青紫の光が、水彩絵の具のようにやわらかく広がっている。そこに集まっている、無数の星々。

 ため息すらも反響して、夜空の底に落ちていきそうだ。


 昼は太陽がひとつで全てを照らしてるけど、夜は月と星がそれぞれ輝いて、世界を照らしてるのか。

 家で仕事をしているだけじゃ、知りもしなかった。


 ガサガサ、突然聞こえた人の足音が俺を硬直させた。複数人の喋り声もする。


 俺は慌てて壁に背中を合わせ、外を見た。


 ランタンを持った人々が、歩いてきている。数は三、いや四人。全員、鎧を着た男たちだ。


 明らかに冒険者っぽい集団。改めて、ここは異世界なんだと実感させられる。


「誰かいるぞ」と先頭の男が言う。いかにも剣士っぽい格好だ。


 集団は廃墟の前で立ち止まった。


「先客?」


 弓兵の青年が言う。その横で初老のローブを着た男が言う。


「先ほど、男が一人攫われてきていたぞ」

「ドラゴンに襲われて無事なやつがあるかいな」


 と最後尾では、肩をすくめる眼帯の男。

 剣士の男は剣を鞘に収めた。


「出てきてくれ、俺たちは君と争いたいわけじゃない」


 俺はゆっくりと廃墟から顔を出した。


「目的はなんだ?」


 俺の問いに、剣士の男は両手をあげる。


「俺たちは、ギルドに雇われた討伐隊だ。ここに棲みついたというドラゴンを狩にきた」

「ドラゴンさんが何かしたのか」

「さ、さん? ……いや、具体的な報告は何も来ていないが」

「なら、帰ってくれ。ドラゴンさんは何もしていない。ただ、卵を守ってるだけだ」

「しかし、ドラゴンは危険で」

「おいおい待てよ、お前一人で俺らに指図できる立場だと思ってんのかい?」


 剣士の男を遮って、後ろから弓の青年が出てくる。


「こっちは四人、大してお前は一人。言うことを聞かないんなら、痛い目見ることになるぜ?」


 そう言って、青年は矢をつがえた。


「よせ! 相手は一般人? だぞ、たぶん」


 剣士の男が止めようとする。


「知るもんか。ドラゴンに敬称つけるやつなんて一般人じゃねえ、異常者だ」


 揉め始める集団に、俺は真っ直ぐ言い放つ。


「断る」

「……あ? 断るって、なにを?」

「お前たちの要求すべてだ。ドラゴンさんは、討伐させない」


 卵から感じた温もりと鼓動を、手のひらに思い出す。


 もしドラゴンが死んだら、あの卵たちはどうなる? 


 どうせ、この冒険者たちによって町だか都だかに持ち替えられて、金に換えられる。


 せっかく、生まれるのを待っているのに。それをこんな身勝手で曖昧な理由で、奪われてたまるかよ。


「冗談きついぜ、お前なんなんだよ」


 矢をこちらに向けたまま、青年がキッと睨みつける。


 そういえば、なんで名乗ればいいんだろう。漫画家? いや、今の俺は漫画を描いていないし、たぶん伝わらない。強いて言うなら。


「俺は、子守りだ!」


 びゅうっ! と強い風がその場にいた全員の頭を抑えつけた。


「よくぞ言ったわ!」


 頭上から響く聞き覚えがある声に、安心感が込み上げてくる。


「ドラゴンさん!」


 ドラゴンは俺に被さるように着陸し、冒険者たちを鋭く見下ろした。


「貴様ら、今回はこの人間に免じて命は助けてやる。私は、お前たち人間に危害を加えるつもりはない」


 ドラゴンが一言発するたび、肌が痺れるほどの重たい気迫を感じる。


「ただし、それはお前たち次第だということを忘れるな?」


 冒険者たちは、四人で寄せ集まってぷるぷると震えている。


「返事は!」


 ドラゴンにそう言われ、男たちは叫びながら夜の平原を駆け出す。そのうち一人が背負っていたズタ袋が、草の上にポトリと落ちる。


「ひぃぃぃぃ!!」


 暗闇に逃げ惑う背中を見送って、ドラゴンはふんと鼻を鳴らした。


「よく討伐に来たわ、あんなので」

「そうだな」


 星空の下に、情けない叫び声がこだましていた。



○



 焚き火の明かりが、廃墟の煉瓦に影をつくりだす。


 冒険者の一人が落としたズタ袋の中には、干し肉とチーズ、硬いパンが入っていた。


「いただきます」


 焚き火で炙ったパンとチーズに干し肉を乗っけて、かぶりつく。全体的にパサついていて、やたら酸っぱい。ロマンはあるけど携帯食料だし、そりゃこんなもんか。


 一方、俺の横に座ったドラゴンは、熊のような巨大な獣の腹を噛みちぎっている。モツとか色々見えそうだから、そっぽ向いておこう。


「さっき、卵を守ろうとしてくれて、ありがとう」


 ドラゴンの声が、廃墟に響いた。俺は酸っぱいパンを齧って答える。


「別にどうってことない。俺、あんたに燃やされても潰されても無事だったんだろ? じゃあきっと無事だった」


「そうじゃない」と、ドラゴンは首を横に振った。


「命に別状がどうとかは関係なくて、これは母親としてするべき感謝なの。子供達と巣を守ろうとしてくれてありがとう」


 なんといえばわからなくて、俺はただ。

「おう」と返した。


 沈黙が、焚き火の爆ぜる音をなぞる。

 何か、話さなくちゃいけないような気がして、俺は浮かんだ質問をひとつ投げてみた。


「辛くないの?」

「なあにが?」

「子育てってさ。俺なんかに仕事を任せるくらいだし。それも久々の食事なんだろ」


 ドラゴンは食べるのを止めた。


「そうね。お腹は空くし、あまり眠れないから、たまにライラしちゃう。さっきもあなたを見るなり攻撃したし……」


 あれって寝不足ゆえだったんだ。


「でもね、子供の顔が見たいの。そのためだったら、どんなに辛くてもね、頑張りたくなっちゃうの」


 そう話すドラゴンは、見たこともない柔和な表情を浮かべていた。


「ただ、無事に生まれてきて私に顔を見せてくれるだけで……いいえ、だけなんかじゃない。それが、いちばん嬉しいわね」

「そっか」


 漫画家になると家を飛び出したとき、母が「いってらっしゃい」と声をかけてくれたのを思い出した。


 深夜だった。何も言わずに家を出て行こうとした俺に、母は止めるでもなく、どこに行くか問いただすわけでもなく、まっすぐそう言った。


 俺は、返事をしなかった。


 今、どう言うわけか、それがものすごく悔しい。どうして俺は、返事をしなかったんだろう。たった一言、頷くこともしなかったのが、胸を掻きむしりたくなるほど悔やまれた。


 ドラゴンが寝息を立て始める頃、俺は手帳にレポートを描いた。


 ドラゴンと出会ったときの絶望感。

 卵の世話の仕方。

 草原の美しさ。

 夜の美しさ。

 冒険者とのやりとり。

 実際の冒険者メシの不味さ。

 ドラゴンの柔和な表情。


 気がつくと、平野に眩しい光が訪れていた。朝だ。

 加護のおかげだろうか、不思議と疲れはなかった。


 廃墟の崩れた壁の前に立ち、うんと伸びをする。自分の体を見ると、平野を照らす朝日が、胸の辺りをすり抜けていた。


「うわっ!?」


 思わず叫ぶと、ドラゴンが目を覚ました。


「あら、どうしたの」


 俺の身体が透けている。帰還の時について、女神から詳しい話を聞いていなかったが、おそらくこれが帰還の合図なのだろう。


「俺、そろそろ行かなきゃ」


 朝日に背を向け、ドラゴンに向き直る。


「あら、身体が透けてる」


 俺は深々と、ドラゴンに頭を下げた。


「お世話になりました」

「あんたの世話はしてないわよ。けど、元気でね」

「うん、ありがとう。えっと、そういえば名前は?」

「レイよ。あなたは?」

「俺は、マレヒト。ワタリ、マレヒト」

「マレヒトね、覚えたわ。またどこかで会った時は、この子たちをよろしくね」


 廃墟の中の卵たちに、朝日が輝いている。

 その光景に、そうか、もう会えないんだ、と思った。


 俺は胸に込み上げてきた寂しさを飲み込んで、笑って見せる。


「仕方ないな、やるだけやるよ」

「約束よ」


 ドラゴンの声に、「ああ」と頷いた。


 視界がゆっくりと揺れはじめた。

 硬く結ばれていた紐が解けていくように、意識が遠くなっていく。

 朝日の白い光と熱に溶けていく。それはとても、あたたかかった。



 ○



 目覚めると、くたびれた布団のだった。カーテンの隙間からは、新鮮な朝の光が差し込んでいる。時計は六時を指している。どうやら寝ていたらしい。


「夢、だったのか?」


 身体の感覚を確かめてみるが、特に違和感はない。それどころか、悪い姿勢で寝ていたから痛い。


 ふと、胸に手を当ててみた。

 母のことが、声が、薄ぼんやりと思い浮かんだ。


 俺はスマホをつかみ、電話をかけた。


「あ、もしもし、母さん」

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