レポート4「旅人たち」
「おー、今日もよう来たな、マレヒト」
女神は金色の髪をポニーテールに結び、白いTシャツと短パンを着ていた。仰向けに寝そべって、漫画を読んでいる。
「お前が呼んだんだろうが。ていうか、人を呼びつけておいてなんだその態度は」
女神は起き上がり、俺の胸の辺りをぽんぽんと叩く。
「まぁまぁ落ち着けよ、なっ?」
「なっ? じゃねえよ。友達か」
女神は、何を言ってるんですかこの人? とでも言わんばかりにきょとんとしている。
「お主、心のバリア硬すぎんか? 心アダマンタイトか?」
「うるせえな! 急に異世界っぽい喩え出しやがって」
「異世界っぽくていいじゃろ別に! そうじゃなくて少しは心開いたらどうじゃって言ってんの! レポートにもそういうところ出てるぞ!」
「ハァ? どこに?」
カッチーンと頭に血がのぼる。
「出会った人間のこと、あんまり書いてない! 食べたものと景色ばっかり!」
「文句言うなよ! お前がやれって言ったんだろ?」
「ふーん、そうか、できんのか、人と話すの怖いのか」
「別に怖くねえし、できるわそんくらい! ていうかできてたし!」
「上等じゃ、やってみろ!」
「やってやるよ! もう異世界に通い始めて一ヶ月だし、余裕だそんくらい!」
こうして今日も、異世界に飛んだ。
○
みずみずしい風に、頬を撫でられた。ひんやりとした土の匂いに、草が足元で揺れる音。
そこは、広大な草原のど真ん中だった。なだらかな傾斜が波のように広がっており、ひときわ盛り上がった丘の上に、一本の木がポツリと佇んでいる。
「砂漠の次は草原か。暑くないだけマシだな」
まず自分の位置を確認するため、サイードからもらった地図を開く。
「さてと、いま俺がいるのは……」
地図には大陸の輪郭と共に、有名なのであろう山や湖、町の名前が記されている。
ところが、それらの実際の景色や地形はまったく分からない。おまけに現在地も把握する術がないため、どれだけ地図を見てもまったく意味がない。
「ったく、使えなきゃ意味ないだろ」
自分への悪態を吐いて、地図をポケットにしまった。
草がたなびく地面に、自分の影が情けなく落っこちている。
くそ、女神にあんな啖呵切ってきたのに、ひとりじゃ何にもできないなんて。
あまりの羞恥心と呆れに、膝から崩れ落ちた。
「おーい! だいじょうぶー?」
背後から女の声が響いた。
驚いて振り向くと、ポツリと馬車が一台。人影がふたつある。
逃げる……のも変だな。しかしサイードの時みたいに脅されるケースもある。慎重に行こう。
手帳をいつでも出せるように手を腰の後ろに隠しつつ、俺は馬車に近づいていく。
馬車の近くにいたのは、まるまるとした優しそうな青年と、赤い肌の少女だった。
「キミ、こんなところでなにしてんのー?」
赤い肌の少女が言った。額には二本の赤い角、背中にはコウモリのような翼、腰からは尻尾が生えている。
見たことない人種だけど、こういう人もいるのか。何族なんだろう。
「すみません、草原に一人でいたのが気になりまして」
まるまるとした優しそうな青年は、エルフでも隣の子のようでもない、ただの人間のようだ。その糸目をさらに細くして、人当たりの良さそうな笑みを浮かべている。
「あ、あの!」
ポケットにしまっていた地図を見せる。
「ここどこか知らないか? 今いるのは、地図のどこらへんだ」
青年は「ふむ」と地図を受け取る。
「今いるのは西大陸の、この部分ですね。リベラ平原」
青年のひとさし指は、地図の左上部をぷにっと指す。少女が俺を覗き込んだ。
「きみ、もしかして迷子?」
「まい……」
言われて初めて気がついた。俺、迷子だ。
現在地もわからない。行き先もわからない。思えば、これまでの旅も迷ってばかりだった。
「もしよければ、町までご一緒しましょうか。この道の先に、大きな町があるんです」
青年の提案に、心に立ち込めていた暗雲がスゥと晴れていく。
「いいのか?」
「もちろん!」と少女も頷いた。
「ありがとう、助かる」
青年はイエオリ、少女はベルと言った。
「私は西大陸内で行商人をやっています。主に扱っているのは、小麦と紙です」
「あたしは旅しながら歌を歌ってるー!」
ぽろろん、とベルがギターを鳴らす。
さわやかな風に当たりながら、馬車はのんびりと緑の中を進んでいく。雲の影が、船のように草原を動いている。
そういえば、このふたりはどういう関係なんだろう。カップル? いや、いきなりそう聞いてしまうのは、なんか気まずいな。
「ふたりは、パーティメンバー的な感じなのか?」
ベルが角の生えた頭を振る。翼と尻尾も、頭と連動するかのように揺れた。
「ぜんぜん? 一ヶ月ぐらい前に知り合って、途中まで一緒だから行こうぜ! ってなった」
「軽いな」
「まあ、旅なんてそんなもんですよ」
イエオリは笑って答えた。
「それより、マレヒトはなんであんなとこいたの? なんかすごい魔力が空から降ってきたと思ったら、急にマレヒト出てきたし、マジびっくりしたんだけどウケる」
ケラケラと笑うベル。
「旅にしては、荷物が少ないですよね。まさか、野党やモンスターに襲われたとか?」
「そんな物騒なもんじゃないよ。俺、ちょっとお使いみたいな感じで、世界中に飛ばされてるんだ。行き先はいつも分からないから、今回みたいになることも多くて」
「ふーん……」
「ほぉ……」
嘘はついていないし、なに一つ誇張なしの事実だ。誤魔化してはいるが。
沈黙で、車輪が軋む音が荷台の白い天幕に跳ね返る。
「おもろ!」
「興味深い!」
ふたりの声が同時に響いた。
「これまでどんなとこ旅してきたの?」
「特に美味しかったものはなんですか?」
「待ってくれ、一度にたくさん言われても困る!」
そんなふたりからの質問に、順番に答えていると馬車は巨大な門の前に到着した。
「身分証です」
イエオリが、カードのようなものを懐から出す。それを、槍を持った鎧の男が受け取った。
「拝見する」
検問的なやつか。
まてよ、俺は身分証明できるものなんて何一つないぞ……。
「うわっ!?」
男の声が隣で響いた。
まずい、不審者がいるとバレたか。
振り向くと、門番が驚いていたのは俺ではなく、ベルにだった。
咄嗟にイエオリが言う。
「この女性は私の連れです」
「ちゃんと身分証もあるよー」
ベルが渡した銀色のカードを見て、門番は動揺を隠すように笑った。
「し、失礼。魔族は初めて見たのでな」
「よく言われるー」とベルはケラケラ笑う。
そんなに珍しい種族なのか、魔族って。
とか思っていると、門番が俺に気がついた。
「ところで、その男の身分証は?」
○
イエオリが門番に小袋を渡して、ひそひそと何かを話したところ、無事に町に入ることができた。
「さっき、なんて話したんだ?」
「異邦人ですって答えましたよ。まずかったですか?」
「いや、ありがたいんだけど、異邦人ってなに?」
「こことは違う、別の世界から迷い込んできた人です。たまにいるんですよ」
ドッ、と心臓が肋の裏で跳ねる。
バレてる? いや、文脈的にはバレてないか? でも結果的にはほぼ事実だし……。
「へっ、へぇー、そうかー」
「汗すごいですよ? 大丈夫ですか?」
「ねぇー、はやく行こうよー!」
町の中は、とてつもない賑わいを見せていた。城門を抜けるとすぐに、大通りがまっすぐ伸びている。そこをたくさんの馬車や人が行き交い、通り沿いに立ち並ぶ屋台にも人が群がっている。たぶん異世界で見てきたなかで、もっとも人口密度が高い光景だ。
「これ、祭りでもあるのかー!」
雑踏に負けじと声を張り上げる。
「これが普通ですねー!」
「やばぁーいっ、めっちゃテンションあがるー!」
イエオリは大通りをそれた場所にある宿に、馬車を止めた。通りが一本違うだけで、あたりはかなり静かになる。
「ひとまずは宿の確保。これが旅の鉄則です」
「あれ、ベルは?」と俺は振り向く。
イエオリはいつものことのように言う。
「ギターを持って、歌を歌いに行ったのでしょう。夕方は帰ってきますよ」
「野良猫みたいだな」
「あはっ、たしかに」
宿に残っていても暇なので、イエオリと行動を共にすることにした。
「マレヒトさん、冒険者ライセンスを作りませんか?」
馬車を宿に置き、町を歩いているとイエオリが提案してきた。
「あー、さっき門番に見せてたやつ?」
「そうです。あれは身分証にもなるので、町に入るときには便利なんですよ」
今回はイエオリがいたから助かったが、今後どうなるか分からない。持っておいた方がいいな。
「作っておきたい。教えてくれないか」
「もちろん」
イエオリの案内で冒険者ギルドに向かった。
冒険者ギルドは、ちょっとした要塞のような雰囲気の建物だった。だだっ広いロビーは、鎧や武器を装備した人々がたむろしており、物々しい雰囲気だ。
カウンターにいる受付に話をすると、ロビーの隅にある小さなコーナーに案内された。
「それでは、こちらの水晶玉に手をかざしてください」
こんなセリフを言うのは、占い師かギルドの受付ぐらいだろう。
言われた通り手をかざすと、水晶玉は淡く光出した。三秒ほどで、光は消える。
「はい、これで登録完了です」
受付嬢から渡されたカードには、『マレヒト・ワタリ 冒険者 ランク1』と刻印されていた。
他に用事もないため、俺とイエオリはそのままギルドを出た。
カードを、陽にすかしてみる。紙と同じ質感だが、妙に厚みがあり曲げられない。
おお、これがこっちで初めての身分証か。
ふと、疑問が浮かび上がる。
「あれ、身分証なのにあんな簡単に取れるの危なくないか? 犯罪に使われたら大変だろ」
「そうならないよう、細工がされてあるんですよ。詳しいことは分かりませんが、魔術で持ち主が登録されているらしいです」
「すごいな、魔術」
「すごいですよね」
またしても俺の中で魔術の株が上がった。
しかし女神の株は上がらなかった。
「マレヒトさん、次は装備品を見ましょう」
「え?」
イエオリの提案で、今度は大通りの商店街に来た。
「なんで装備品まで?」
「マレヒトさん、ほとんど手ぶらで冒険してるでしょう?」
「まあ」
これまでは揃い用がない旅、もとい迷子だったし。
「いざと言うときに使える道具を揃えておくのも、旅の鉄則であり醍醐味。あと普通に、町の外じゃ手ぶらの人間は目立ちます」
「なるほど」
正直、手帳で具現化すれば問題ないのだが、手帳の力に頼りすぎても何か大事なものを失ってしまう気がする。ここは、乗ることにしよう。
「これなんかどうですか?」
イエオリが片手に持っているのは、革の片手鞄だった。
「両手が空くやつがいいな」
片手に持つタイプだと、いざというとき手帳が使えない。
「でしたら、こっちとか」
イエオリは、隣にあった斜めがけのショルダーバッグを取る。試しに肩からかけてみると、吸い付くように馴染んだ。これなら長時間、背負っていても肩が痛くならなそうだ。
「かなり良い」
「ではこれにしましょう」とイエオリはそのまま店主に話しかけ、懐から硬貨を渡した。
「あ、俺が払……」えないんだった。
この世界に来てからなんの職にも就いておらず、ただ放浪しているだけで、俺は一文なしだ。
「そちらは私からのプレゼントです」
イエオリが、にこやかに言う。
「え、いいのか?」
「はい、いいですよ」
「ていうか、宿代まで出してもらって……なんで、そんな優しいんだ?」
「優しいつもりはありませんよ。これは投資、マレヒトさんを見込んでのことです」
「見込みなんてあるか?」
「ありますよ。先ほど、サイードさんとの話を聞いて思いつきました。よければ、これからも旅先で私のことを宣伝してください」
「わかった。そうしよう」
のほほんとした見た目の割に、抜け目のないやつだ。しかしサイードより優しいから、結構好きになりつつある。
「それにしても、前の旅から続いてまた行商人と出会うなんてな。商売となにか縁でもあるのかね」
「危険な町の外を移動する人なんて、限られていますからね。行商人、冒険者、あとは巡礼者など。確率は高いでしょうが、きっと偶然ですよ」
「そっか。なんにせよ、今回は出くわすのがモンスターじゃなくてよかった」
「あは、そうですね」
軽く食事でも取ろうということになり、そのままふたりで屋台街に赴いた。
「やはり、この町に来たら屋台飯は欠かせませんね」
「有名なのか」
「もちろんです! この町は世界三代都市のひとつ、あらゆる情報と共に、あらゆる文化が交錯しています。特に屋台街には、それが如実に現れているのです!」
「はあ」
早口でまくし立てられ、とりあえず返事だけする。
「西大陸の中でも、北部と南部では油が異なるんですよ。寒冷な北部はバターやラードなど動物由来の油が多いのですが、温暖な南部は植物性の油が多く使われるんです。普段はそれぞれの地方でしか味わえないものですが、ここではなんとそれらが同時に味わえるっ!」
「ほう」
「行きましょうマレヒトさん、早くしないとご飯が逃げます!」
逃げることはないだろう。
イエオリのオススメ……という名目の、彼が食べたいものが簡易テーブルにずらりと並ぶ。軽く、というはずだったのだが、どうしてこんなに。
「こちらが北部料理で、こちらが南部料理ですね」
北部は、肉と細かく刻まれたパスタが入ったパイ。一方南部は、スパイスの効いたトマトのスープとパンだった。
「いただきましょふ」
イエオリは言い切る前にパイに齧り付いた。その丸い頬がふがふがと働き、ほのかに色づく。俺も手を合わせてパイを齧った。
「おいひい……コク深く、しっかりと味付けされた肉の旨み、さらに肉汁を吸ったパスタがまた良い。主食と主菜を同時に食べられるお得感が、童心をくすぐります!」
「うん、うまい」
「さて、お次は南部料理ですね」
イエオリは嚥下すら味わうように飲み込むと、スープを啜った。
「ふわぁ~……素朴だぁ、とても良い……トマトの酸味に、これは唐辛子かな、すごく噛み合っています。硬い乾燥パンも、スープにつければ味を吸って柔らかくて美味しくなる……パンに練られたオリーブの香りも良い! マリアァァジュッ!!」
「うん、うまい」
その後も一口食べるたびにコメントしていくイエオリを横目に、黙々と食事をした。
やかましさと恥ずかしさもあったが、周りに気にしてる人もいないみたいだしもう放っておいた。一応、奢ってもらってる身だしな。
「あーっ! ふたりだけで美味しそうなもの食べてる! ずるい!」
途中でベルも合流し、そのまま食事を済ませて宿に戻った。
○
翌日。イエオリは商談のため、俺はベルと行動することになった。
革のギターケースを背負ったベルは、鼻歌を歌いながら日差しが差し込む路地を歩く。風と戯れるように、ベルの尻尾が揺れている。
いま歩いているのは住宅地らしく、建物の二階では洗濯物を干す人影が見えた。
「これから何しにいくんだ?」
軽い足取りで進むベルに訊ねる。
「んー? 歌を歌うよ」
「昨日も歌ってなかったか?」
「今日も歌う、つか毎日歌う!」
「好きなんだな、歌うの」
「めっちゃ好き!」
ベルは屈託のない笑顔で言った。
「他の町でもこんなふうに暮らしてたのか」
「うん、だいたいね。毎朝どこかで歌って、たまに冒険者ギルドで仕事して、夕飯はイエオリと合流したりしなかったり」
ベルの背中で、翼がパタパタと揺れている。足取りは軽やかで、今にも空に飛んでいきそうだ。
爽やかな風が通りを抜けていった。
ふと、ベルに初対面のとき言われたことを思い出す。
「迷子だなって思ったりしないのか? 自分のことを」
「え、なんでー?」
俺は大人なので、初対面でお前が言ったんだろう、というお気持ちにはいったん蓋をする。
「行き先が決まってないのに世界を放浪するのは、旅というより迷子みたいで、怖いと俺は思ったから」
「たまに寂しいけど、怖くはないかな。たとえ目的地が無くたって、迷子じゃないっしょ!」
「じゃあ、なにがあれば迷子じゃないんだ?」
「それは人それぞれじゃない? ちなみにあたしは、たのしむ心! マレヒトは?」
俺にないもの、考えるまでもなくすぐに出てきた。
「たったいま明確に無いのは、自分の現在地だな。わからないと不便だし」
「それもある! けどマレヒトって理屈っぽいよね、ウケる」
「バカにしてるのか」
「してないよ~だ、ほら早く行くよ」
ベルの足取りに任せていると、噴水のある広場に出た。大通りから流れてきたのか、人もそれなりにいる。冒険者らしい集団や、広場を駆け回る子どもたちなど、賑やかながら長閑な空気だ。
「今日はここにしよっと!」
ベルは噴水に腰掛け、ギターケースを地面に置く。出てきたのは、アコースティックギターだった。
「今日は、って昨日とは違うのか」
ベルはギターを膝の上で抱え、慣れた手つきでチューニングしていく。
「うん、ライブの場所は毎日変えてるよ。いつも同じ場所で同じことやるなんて、つまんないっしょ?」
勢いよく、弦が弾かれた。ベルは周囲にいた人々に向かって語りかける。
「やっほーみんな、あたしベルって言います! 今から歌いまーす、よかったら聴いていってね!」
「なんだぁ今の?」
「あの子が? しかも魔族だ」
周囲の人々も点と点が繋がるようにして、徐々にベルへと注目していく。
ふっと息を吸ったベル、その声が沈黙を切り裂いた。
晴れ渡った青空のように、よく飛ぶ声だ。
普段、音楽は聴く方じゃない。
上手いとか下手とかはわからないが、これは良いものだと、ベルの声に思わされた。
心の底から、元気が湧き出てくる。ベルの声を、ギターの音色が胸の中で無数の光に変わって、心の奥底に暗く沈んだ場所を照らしてくれる。
曲が終わると、歓声が起こった。
「みんなありがとーう!」
俺もみんなに混ざって拍手していると。
「騙されるなっ!」
しわがれた声が、聴衆の人混みを割るように響いた。それまで賑わっていた熱気が、萎むように緩くなった。
一人の小柄な老爺だった。杖をつき、くたびれたシャツを着ている。
「ごめんなさい、迷惑でしたか?」
ベルは前に出て老爺に頭を下げた。
「近寄るな魔族! その禍々しいツノと翼、尻尾……かの大戦を引き起こした蛮族め! 罪を償わずにのうのうと昼間から歌など歌いおって!」
ベルの顔が硬直した。
「何事だ!」と遠くから金属質な足音がやってくる。
「やべ、衛兵だ!」
人混みの誰かが囁いた。老人はお構いなしに、ベルに文句を投げつけている。
くそ、トラブルはごめんだぞ。
俺はベルの手を掴もうと振り向いた。
はずだった。
いま俺の視界は、地面の石畳と向かい合っている。
「……あれ?」
「ごめん! ちょっと緊急事態だから」
俺は米俵のように、ベルに担がれていた。
「どうしてこうなっ」
「逃げるよ、マレヒト!」
ガクン、頭に衝撃が落ちた。と思ったら今度は、内臓がひっくり返るような浮遊感。
地面がやけに遠い。ベルの背中の翼が大きく羽ばたいている。
俺は空を飛んでいた。
「歯あ食いしばって!」
「へあぇっ!?」
情けない声が腹から出てくる。
ベルは屋根の上を軽やかに走る。
「ひゃっほーう!」
振動は俺の腹をつたい、あうぇうぇうぇ、と変な声を吐き出させる。
しかし景色は壮観だった。
よく晴れた青い空の光をいっぱいに受けて、レンガの屋根たちは鮮やかな赤色になっている。
ベルは俺を担いだまま、屋根の上を飛んだら走ったり、楽しそうに笑っていた。
やがて俺は、誰もいない裏路地にそっと下ろされた。
「はぁーびっくりした! けどたのしかった!」
「ほんとうに、びっくりした……」
途中、家の二階で洗濯物を干している女の人とばっちり目が合って、死ぬほど恥ずかしかった。
ベルの肩が突き刺さっていた腹をさすりながら、俺は聞く。
先ほどの老爺が言っていたことが引っかかるのだ。
「それより、今のどういうことだ? ……かの大戦を、引き起こしたって」
「あー、さっきの、マフト砂漠ができた、あの大戦のことね」とベルは息を整えながら言う。
「起こしたの、魔族なんだってさ」
「え?」
「本当かどうかは、わかんないけどね」
ベルは起き上がる。
「そろそろ行こっか」
「早くないか?」
「マレヒト、体力なさすぎ。てかめっちゃ軽かったし、もっと食べたほうがいいよ?」
「うるさい」
ベルと俺は裏路地を出て、あてもなく歩き始めた。
これまで見聞きしてきたものが、だんだんと繋がってきた。
大昔、魔族と人類の大きな戦争が起きた。その結果、黄金郷は砂漠と化し、多くの死傷者を出して戦争は終結。そんな業を魔族は、ベルは背負わされている。
腹の底で、怒りがちろちろと舌を出した。
とばっちりじゃないか。本当のところは誰も知らないのに憶測で片付けられて、嫌な役回りを押し付けられて、あんまりすぎる。
俺はベルに声をかける。
「なあ、ベル」
こういうとき、俺は気が利いたことを言えない。でも、落ち込んだ人に元気を出させる方法なら、ひとつだけ知ってる。
「うまいもの食べにいこう。なんか奢るよ」
「やったぁ! え、待って、でもマレヒトお金持ってなくない? 大丈夫? あたし出そうか?」
俺はカバンから、革製のがま口を取り出す。
「いや、あるから大丈夫だ」
何故なら、イエオリがお小遣いをくれたから。
「やりぃ! それじゃ、ごちになりま~す」
ベルは石畳でスキップを奏でながら歩き出す。俺はその後ろをついていく。
「それと、さっきおじいさんの言ってたことだけど、俺は気にする必要ないと思うぞ」
「ん? あー、あれか! 別に気にしてないよ」
ベルはあっけらかんと笑う。
「えっ?」
「そんな大昔に、家族かどうかもわからない人がやらかしたことなんて知らないよ。第一、あたしの責任じゃないし」
自分の顔が、真っ赤になっていくのがわかった。
なんて恥ずかしい勘違いだろう。
思えばそうだ。凹んでると見てたのは俺の色眼鏡で、実際はそんな素振りなかったんじゃないのか!? 第一、部外者の俺が何かしてやろうなんて考えるのは、おこがまし過ぎる。
俯いてると、ベルが覗き込んで笑った。
「でも、心配してくれてありがとね」
「ころしてくれ」
「なんでっ!?」
昼食は、ベルが決めた食堂で取ることにした。店内は満席のため、路地に面したテラス席に案内された。あたたかな日差しが心地よい。
「ベルは、どうしてこの暮らしをしてるんだ?」
「ん? 楽しそうだから」
コップに注がれたワインを一気飲みして、ベルが言う。
そう言うつもりで聞いた訳じゃなかったが、まあいいか。
「逆にマレヒトはどうして、ランダムで世界中に飛ばされてるの?」
切り返された質問に、女神の顔が浮かび上がった。
俺は当たりつけるようにパンを齧った。
「べつに? 事情があって外に出られない知り合いがいて、そいつのために旅で見たものや食べたものを、レポートにしてるんだよ」
「優しいじゃーん!」
ニヤケづらのベルに、俺は首を横に振った。
一番の原動力になったのは、あの言葉だろう。
──我はお主の絵が大好きなのじゃ。
「俺はただ……頼られて嬉しかっただけだ。あと、あいつの頼み方が姑息なんだよ! 泣き落としに詐欺に!」
「へー、その子のこと気に入ってるんだぁ」
「どうしてそうなる?」
「勘ってやつ?」
「酔っ払いめ」と呟き、俺も自分のコップをあおった。
○
翌日。宿屋の前には、気持ちの良い朝日が差し込んでいた。
「じゃ、行ってくる」
「一人で大丈夫ですか?」
心配そうなイエオリに「大丈夫」と言いかけたところ、ベルが遮る。
「大丈夫っしょ! 子供じゃあるまいし」
「ああ、大丈夫だ」
せめて自分で言いたかったが、まあいいや。
俺は手帳をシャツの胸ポケットにしまう。
「お気をつけて~」
「いってらー」
宿を後にして、俺は街中へと繰り出した。
もう日本に帰る、というわけじゃない。今日は一人で街を歩いてみようと思ったのだ。
そして、レポートのネタ探し以外にも重要な目的がある。
ベルとイエオリへのプレゼント探しだ。お世話になったふたりに、何か贈り物をしたいと柄にもなく思ったわけだが。
「何にするかなぁ」とぼやく。
路地を歩いていると、何やら曲がり角の向こうで賑やかな気配がした。
そこは、木と布で組まれたテントが無数に立ち並ぶ大きな広場だった。
「ねぇ、これもうちょっと安くならない?」
「無理だねえ。おまけするから許してよ」
「ちょっとそこ通してくれ」
「おうら調子よさそうだな!」
「まあまあさ」
見渡す限りの人と物、耳をすませど途切れることのない雑踏や話し声。何かを焼く香ばしい匂い。チャリン、どこかでコインが跳ねたらしい。「おっととと」「わりいな」そんなやりとりが、賑やかさの中に挟まれる。
あまりの情報量に、ぼーっとしてしまった。
さて、それにしてもプレゼントは何にしよう。
イエオリにはご飯? それとも実用的なもの? でも俺は行商人の仕事に明るくないし、やっぱりご飯か? ベルには音楽関係の道具だろうか? ギターのピックなんてあればいいな。
人混みに揉まれながら屋台を物色してみるが、どれもいまいちピンとこない。
「お兄さん、なにかお悩みですかい?」
少年のような声に呼び止められた。振り向くと、ひときわ怪しげな空気を垂れ流している屋台がある。そこにいたのは、一五歳くらいの耳の大きな少年だった。
「そんなに悩んでそうだったか?」
少年は自身の眉間を指さして言う。
「シワ、できてまっせ」
俺はシワができた自分の眉間に触れて「あ」とこぼす。
「ここは何を売ってるんだ? 見たところ、アクセサリーとか?」
「魔道具ですよ。ここにあるもんは全て、何かしら魔術がかけられたものでさァ」
少年は、人の良さそうな笑みを浮かべている。さっきから妙に貫禄があるし、本当に十五歳で商売人なわけがない。見習いか何かだろうか。
「もしかしてお兄さん、俺のことガキだと思ってますね?」
「なんでわかった!?」
「顔に出てますよう。けど安心してくだせえ、俺はノームなんで、見た目が若いんでさァ」
ノームって、たしか小人みたいなやつだよな。ファンタジー作品とかで出てくる。
「すまない」
「まあヒューマンからしたら、見分けがつかねえのも無理ねえっすわ! 俺も多種族の年齢とか見分けらんねえし」
少年、もとい店主のノームは笑って言う。
店主と雑談を交わし、俺は事情を説明した。
「……と言うわけで、世話になった友人たちのプレゼントを選びに」
「なるほど」
「ただ、ふたりとも好きなものは違うし、何を贈ればいいかわからなくて……」
「プレゼントなんて、相手が求めるものじゃなくてもいいでしょう」
店主はあっさりと答える。
「大切なのは、贈りたいって気持ちとかけた時間。それを大事にすれば、言わなくたって気持ちは伝わるもんっすわ」
どこかで聞いたことがある言葉だ。しかし、一理ある。
「つーわけで、うちの商品はいかがです? 相場よりだいぶ安いし、今ならサービスしときまっせ」
「性根たくましいな」と思わず笑ってしまう。
「当たり前でさァ、売れるときに売り込んどかなきゃ! 遠慮なんかしてたら餓死しちまう」
「そうかもな」
俺はテーブルに並べられた商品を眺める。ブレスレット、指輪、革装丁の古い本、得体の知れない植物が入った小瓶、どれも興味深い。その中でも、端に置かれた籠が目に留まった。
中には色とりどりの紐が敷き詰められている。
「それは?」
俺が聞くと、店主は籠の中から赤い紐を一本取った。
「これは厄除けのリボンでさァ。身につければ、一度だけ危険から守ってくれる」
悪くないな。二人とも街の外に行くことが多いし、何より贈り物の内容で差別が出ない。
「じゃあ、それをふたつ」
「まいどあり、一本おまけしとくよ」
「どうも」
店主から三本のリボンを受け取り、俺は市場を出た。
さっぱりとした風が頬を撫で、ふと思い出す。
そういえばさっき、店主にふたりのことを友人と言っていた。全く意識していなかったが、悪い気はしない。ちょっとばかり、照れ臭さが胸から込み上げてくるが。
照れくさついでに、もう少し街でも見て回るか。
鞄にリボンを仕舞い込んで、再び歩き出した。
○
宿に戻ると、ちょうどふたりも帰ってきたところだった。
さっそくプレゼントを渡そうと鞄に触れる。が、なんだか妙に恥ずかしくて手が止まる。
そうこうしているうちに、ベルが「飲みにいこー!」と騒ぎ出し、渡すタイミングは流れた。
酒場は今日も盛況らしい。隣の会話が聞こえないくらい、店内を飛び交う音たちは騒がしい。ガタつく木製テーブルの真ん中、長いロウソクに火がとろりと灯っている。
適当な雑談は、これまで経験した旅の思い出話へと転がっていった。
「あたしはね~、故郷の魔大陸から西大陸に来る途中の船で、幽霊船見たよ」
「それは興味深いですね」
「ほんとに? 見間違いじゃないのか?」
「いやガチで見たんだって! これ誰も信じてくれないのなんなの?」
「私は信じていますよ。それにしても魔大陸ですか、いつか行ってみたいものです」
「いいねえ、案内するよ! それでイエオリは旅の思い出、どんなのがある?」
「私は、やはり食事ですね。北大陸のさらに北に常冬の村があるのですが、そこで食べた魚のクリームスープが絶品でした。オーロラを見ながら食べたのが印象的です」
「オーロラと!? なにそれすっごくいい~」
「寒いとまた格別だろうな、スープ」
想像しただけでも、心が満たされそうだ。
「マレヒトは? 旅の思い出」
と、ベルが樽のジョッキをぐいっとあおる。
俺は頭の中から記憶をすくいとる。
「いろいろあったな。旅が始まってすぐ、ドラゴンに頼まれて卵の世話をしたり」
「ドラゴン!?」
「ほんとうですか!?」
「うん、え、なに?」
「すごいよ、よく無事だったね。意外とやるなあ~」
「ドラゴンの卵の世話なんて、たぶん誰も経験したことのない貴重な体験ですよ、詳しく教えてください」
「お、落ち着け」
酔いも進み、日も暮れていった。俺たちは酒と食事を肴に、たくさん笑って話した。
ふと気がつくと、テーブル中央のロウソクはいつのまにか短くなっていた。
「あー、そうだ」と、ベルが切り出す。
「あたし、もう明日にはこの街を出ていくよ」
それはあまりに唐突なことで、俺は遅れて「え?」と聞き返した。
「おや、急ですね」
「そうね。でも行きたい場所ができてさぁ、アラーチェルっていう町!」
「ほう、アラーチェル、芸術の町ですか。ベルさんにピッタリですね」
「でしょー?」
ふたりの会話が遠くに聞こえる。
何を呑気にしていたのだろう。そうだ、俺たちは目的地が一緒の仲間ではない。たまたま出会って、なんとなく一緒にいるに過ぎないのだ。
そう気がついたと同時に、自分にもタイムリミットがあることを思い出した。
「俺も、明日の朝には帰らなきゃだ」
「おや、そうですか。私はまだしばらく町に残って仕事をするので、今夜が最後になっちゃいますね」
ベルが勢いよく立ち上がる。
「それじゃ、三人の未来に健闘を祈って、乾杯しよう! おばちゃーん、酒おかわり!」
その後、飲みはじめてから何回目かわからない乾杯をして、中身も無いようなくだらない話で笑いあった。
けれど胸の奥には、寂しさがしこりのように小さな影を落としていた。
○
プレゼントを渡すのをすっかり忘れていた。
二日酔いでぼーっとしていた頭は、鞄に残していたリボンの存在で一気に冴えた。
宿を出ると、まだ空は染めたような深い紺色をしていた。
俺とイエオリは、馬車が集まっている城門の前でベルを見送ることにした。
「忘れ物はありませんか?」
「ふぁ~……イエオリ、なんかママみたい」
あくびまじりにベルが言う。
「わかる」と俺も頷く。
「ベルさんのママになったら大変そうですね」
「どーゆー意味よそれ」
「そのまんまですよ」
ふたりのやりとりを眺めて、心がほっこりしつつ、締め付けられる。
このやりとりを聞くのも、これで最後。
本当に、ここでお別れなんだな。
「なあ、ふたりとも」
ベルとイエオリが振り向く。
俺は、鞄から出したリボンを、ふたりに差し出した。
「これ、世話になったお礼。なんか、魔術がかかってるらしい」
小鳥のさえずりが空に高く響いた。
「えー! なにこれ、めっちゃ可愛い! ありがとうマレヒト!」
ベルはリボンを受け取り、目を輝かせる。イエオリも早速、手首に巻きつけて言う。
「ありがとうございます。なんだか仲間の証みたいで、ワクワクしますね」
俺は手首につけた自分のリボンを見せる。
「じつは俺の分もある」
「おそろっちだー! やったぁ!」
馬車の向こうで馬がいなないた。
「おっと、そろそろ時間か……その前に、マレヒト地図貸して!」
「え、ああ、いいけど」
地図を渡すと、ベルは右手をかざして何か唱えた。
「はい終わり」
「なにしたんだ?」
「地図に現在地の座標がわかるようにしたの」
地図を返して、ベルはイタズラっぽく笑う。
「これでもう、迷子じゃないね」
こいつと、思いつつ。俺は笑った。
「おかげさまでな」
「私も何か差し上げましょう」
イエオリが、袖やポケットをゴソゴソと漁りだす。
「いや、もう十分もらったから」
「ですが、流石に申し訳ないですよ」
「こっちのセリフだ!」
施そうとするイエオリを宥めていると、太陽が空を塗り替えはじめた。
俺の方も時間だ。
「じゃあね!」とベルが馬車に飛び乗る。
「私もそろそろ宿に帰ります、仕事の準備をしなければ」
ふたりがそれぞれの道へ進みはじめる。荷馬車や行き交う人々に混じって、俺たち三人の影が伸び、離れていく。
繋ぎ止めたい。この時間を終わらせるのが怖い。
だって、もうふたりとは会えないかもしれないから。
ということは、俺はこの二人とまた会いたいと思っているのか。
自分の右手首に巻きつけたリボンを見た。赤いリボンの結び目は、しっかりと固く交差している。
左手でそっと触れる。じんわりとあたたかい。
このまま進み続ける時間は止められないし、止めたって良いことはない。
だからせめて、この先の時間で再び道が交わることを祈ろう。
俺は大きく息を吸った。
「またな!」
ベルとイエオリの顔が振り向く。
ふたりの手首、赤いリボンが揺れた。
「またねー!」
「またどこかで!」
手を振るふたりに、俺も手を振りかえした。
ベルの背中が朝日に消えていくまで。イエオリが人混みに溶け込んでいくまで。
少し経って、俺も町を出た。
冷たい風が、太陽に温められた肌に触れる。朝露がキラキラと光る草原に佇み、手帳を開く。
そして、ベルとイエオリの似顔絵を描いた。簡単にだけど、けっこう似てると思う。
次会ったら見せてやろう。そのとき俺は、どんな旅を重ねているだろうか。
想像すると、胸がくすぐったくなった。




