EP95.島の傷
グランディア諸島の奥地深い森に覆われた谷間には重苦しい空気が漂っていた。
湿った土の匂いに混じって微かに腐敗にも似た異臭が鼻をつく。頭上の葉が風に揺れる音とともにどこか遠くで悲しげな獣の鳴き声が響いていた。
案内する島の若い衛兵に導かれセーラとダリオとナディアそして治療師たちがその谷へと足を踏み入れていた。
「――ここです」
ナディアの声が微かに震えていた。谷の中心地面には黒ずんだ亀裂が走り薄い霧のような気配が絶えず滲み出している。
「私が子供の頃から漁師たちがここには近づくなと言っていました。まさかこれが原因だったなんて」
その告白にセーラは静かに頷いた。
「誰も知らなかったんだから仕方ないよ。今こうして分かったことが大事なんだから」
◇ ◇ ◇
一行は事前に打ち合わせた通りそれぞれの位置についた。
「結節点は私です。皆さん私に力を預けてください」
ナディアの呼びかけにセーラとダリオそして同行した魔族の浄化術師が頷いた。
「――《潮の祝詞》」
ナディアが懐から取り出した海水入りの小瓶を掲げ古い島の言葉で詠唱を紡いだ。その声に応えるように瓶の中の水が淡く輝き始める。
「セーラ、ダリオ、今です」
「――《癒しの光》!」
セーラの回復術式とダリオの浄化の力がナディアを中心に絡み合っていく。三者三様の力が一つの流れとなって亀裂へと注がれた。
◇ ◇ ◇
「効いてる!」
ダリオの声に亀裂から滲み出ていた黒い気配が少しずつ薄れ始めた。だがその瞬間地面が大きく揺れ亀裂の奥から低い唸り声が響いた。
「何か出てきます!」
治療師の警告と共に黒く爛れた小さな獣が姿を現した。かつて国境で出会った魔物と同じ苦しみを抱えた姿だった。
「怯まないで。あの子も苦しんでるだけ」
セーラが冷静に声をかけると一同は動揺を抑え連携を続けた。ナディアが結節点として全員の力を丁寧に束ね直す。
「もう一度皆で!」
その号令に応じ三つの力が再び重なり合った。獣を包み込む光が少しずつその穢れを洗い流していく。
◇ ◇ ◇
しばらくの後獣の体表を覆っていた黒い染みが完全に消え去った。現れたのは島に伝わる伝承にある聖獣によく似た美しい姿だった。
「やった……!」
ダリオが安堵の息を吐いた。獣は静かに一同を見回すと感謝を示すように頭を垂れ森の奥へと帰っていった。
「皆さんのおかげです」
ナディアの声が涙で震えていた。
「私一人では絶対にできませんでした」
「そのための旅団だから」
セーラの答えにナディアは深く頷いた。
◇ ◇ ◇
谷を出た一行を島の長老イサベルが出迎えた。
「見事な働きでした。ナディアあなたの成長頼もしく思います」
「ありがとうございます。でもこれは皆で成し遂げたことです」
その答えにイサベルは静かに目を細めた。
「大陸から学んだ大切な教えのようですね」
その夜島では急遽祝いの宴が開かれた。太鼓の音と共に人々が踊りの輪を作りセーラとダリオもぎこちなくその輪に加わっていく。
「こういうのもう慣れてきたな」
ダリオの呟きにセーラは楽しそうに笑った。
「うん。島の皆ともすっかり仲良くなれた気がする」
◇ ◇ ◇
辺境へ届いた報告書を読みながらアズマリアは静かな安堵の息を吐いた。
「見事な成果ですね」
「あんたが育てた芽が確かに実を結んでる」
ヴィルヘルムの言葉にアズマリアは深く頷いた。
「これからもこうして多くの手で世界の傷を癒やしていけたら」
その願いを胸にアズマリアは窓の外遠い海の方角を見つめた。
海を越えた場所で紡がれた新しい絆と成果。それはこの物語がこれまで積み重ねてきた道のりの確かな結実だった。
次にどんな傷が見つかりどんな出会いが待っているのか。その答えはまだこれからの旅路が静かに語っていくことだろう。




