EP87.燻る力
学び舎の裏庭には放課後の柔らかな西日が差し込んでいた。
乾いた土の匂いに混じって夏を先取りするような草いきれが漂っている。遠くで蝉に似た虫の声が響き木々の葉が風にそよぐ音が絶え間なく届いていた。
その裏庭でゲイルが一人しゃがみ込み苦しげに胸を押さえていた。
「――ゲイル?」
通りがかったエリアーナが声をかけると彼はびくりと肩を震わせた。
「――何でもない。放っておいてくれ」
その声には隠しきれない苦痛が滲んでいた。エリアーナが駆け寄ろうとした瞬間ゲイルの体から黒みがかった靄のようなものが微かに立ち上った。
「――これ……」
エリアーナはその気配に見覚えがあった。かつて母から聞いた《虚無》の残滓とよく似た色をしていた。
「先生を呼んでくる!」
その言葉にゲイルが慌てて首を振った。
「――やめろ。皆に、化け物だって思われる」
その叫びにエリアーナは足を止めた。
「――化け物なんかじゃない。ちゃんと話して」
ゲイルはしばらく黙り込んでいたがやがて絞り出すように語り始めた。
「――俺の家系には代々虚無の穢れが少しだけ残ってるらしい。普段は問題ないけど時々こうやって抑えが利かなくなる」
その告白にエリアーナは静かに耳を傾けた。
駆けつけたセーラとナディアがその場に到着した頃にはゲイルの様子はさらに悪化していた。
「――これは、まずいですね」
ナディアが冷静に状況を確認しながら呟いた。
「私の島の技法なら穢れを和らげられるかもしれません。でも、一人では足りません」
その言葉にエリアーナが即座に手を挙げた。
「――あたしも手伝う」
「危険かもしれませんよ」
セーラの心配にエリアーナは首を振った。
「――ゲイルは友達だから」
その決意にセーラは深く頷いた。
「――分かりました。皆で力を合わせましょう」
ナディアが懐から取り出したのは小さな貝殻に汲んだ海水だった。
「――潮の力を、まず注ぎます。エリアーナさんは、私の後に続いて回復の光を」
「うん」
ナディアが海水をゲイルの体にそっと垂らすと穢れの靄が一瞬怯むように揺らいだ。その隙を突きエリアーナが両手をかざし祈りを込めた。
「――治って」
二つの異なる力が絡み合いながらゲイルを包み込んでいく。完全な浄化には及ばないもののその靄は少しずつ薄れていった。
「――楽に、なってきた」
ゲイルの声に安堵の色が滲む。その様子を見届けたセーラが慌てて治療院へと使いを走らせた。
到着したアズマリアがゲイルの状態を確認すると静かに息を吐いた。
「――もう、大丈夫です。子供たちの応急処置のおかげで、悪化を防げました」
その言葉に三人の子供たちは互いに顔を見合わせ安堵の笑みを浮かべた。
「――ゲイルの家系のこと、詳しく調べさせてください。根本的な治療法が、見つかるかもしれません」
アズマリアの言葉にゲイルの父――かつて国境で謝罪をしたあの甲冑の魔族の男が駆けつけ深く頭を下げた。
「――お恥ずかしい話です。この子には、まだ何も、伝えておりませんでした」
「隠す必要はありません。……この土地では、誰もが、何かしらの傷を抱えています。それを、一緒に、癒やしていけばいいんです」
その言葉に男は静かに涙をこぼした。
その夜エリアーナとナディアとセーラは治療院でゲイルの様子を見守っていた。
「――ありがとう、二人とも」
ゲイルの礼にエリアーナは少し照れくさそうに笑った。
「――友達なんだから、当たり前だよ」
「私の島の知恵も、少しは、役に立てたようで、良かったです」
ナディアの言葉にゲイルは深く頷いた。
「――お前らがいなかったら、俺、本当にやばかったと思う」
その素直な感謝の言葉に三人は静かに笑い合った。
この出来事は次の世代が互いの力を持ち寄り一つの危機を乗り越えられることを示す確かな証となった。
ゲイルの家系に残る穢れの根本的な治療という新しい課題を胸にアズマリアたちの物語はまた一つ次の段階へと進んでいく。




