EP73.波間の使者
# 「役立たず聖女と追放された私、実は神様に愛された最強治癒師でした」
## EP73.波間の使者
外洋に出た船は、これまでリザが知るどんな景色とも違う世界を進んでいた。
見渡す限り水平線が広がり潮の匂いが強く鼻を突く。帆布が風を孕んで軋む音と波が船腹を叩く音が絶え間なく響いていた。甲板に立つと霧のような潮しぶきが頬に張り付き塩辛い味が舌先に残る。
「――こんな景色、初めて見た」
リザは、手すりを握りしめながら、思わず呟いた。
「戦場でも、こんなに、何もない場所は、見たことなかった」
傍らに立つ異国の商人が、穏やかに微笑んだ。
「海は、時に、何もないからこそ、恐ろしい場所でもあります。……ですが、それゆえに、美しくもある」
その言葉に、リザは、静かに頷いた。
航海七日目、突如として、海面が大きく波打った。
「――何かが、来る!」
見張り役の船員が、叫び声を上げる。海中から、巨大な影が、ゆっくりと浮かび上がってきた。かつて、航路を阻んでいたという、海の魔物の一体だった。
「戦闘準備を――」
叫びかけた船員を、リザが、片手で制した。
「――待って」
「リザ様?」
「あの魔物……様子が、おかしい」
リザは、目を凝らした。かつて戦場で数え切れないほどの魔物と対峙してきた経験が、その違和感を、鋭く感じ取っていた。
「――苦しんでる、みたいに見える」
その言葉に、船員たちが、戸惑いの表情を浮かべた。
巨大な魔物は、体の一部が、黒く爛れていた。かつて、国境で出会った、あの《虚無》に蝕まれた魔物たちと、よく似た姿だった。
「――アズマリアから、聞いた話を、思い出す」
リザは、船の縁に立ち、静かに、魔物へと語りかけた。
「――お前も、虚無に、苦しめられてたのか」
その声に応えるように、魔物が、低く、悲しげな唸り声を上げた。
「――治療師は、乗っているか」
リザの問いに、船員の一人が、慌てて頷いた。エルグラードから同行した、若い治療師だった。
「基礎的な浄化術式なら……でも、これほどの規模には」
「やってみてくれ。……あたしも、できる限り、力を貸す」
リザは、衝撃波の術式を、これまでとは違う使い方で、慎重に練り上げた。攻撃としてではなく、魔物の体表に絡みついた、穢れの層だけを、そっと砕くように。
その繊細な制御に、治療師が、驚いたように目を見張った。
「――リザ様、そんな使い方が」
「アズマリアと一緒にいて、少しは、学んだんだよ。……力の使い方は、一つじゃないって」
二人の連携した術式が、魔物を包み込む。しばらくの間、緊張した沈黙が、甲板を支配した。
やがて、魔物の体表を覆っていた黒い穢れが、少しずつ、剥がれ落ちていく。その下から現れたのは、青みがかった、美しい鱗を持つ、巨大な海竜の姿だった。
「――浄化、できたのか」
リザの呟きに、海竜が、静かに首を垂れた。まるで、感謝を示すかのような仕草だった。
その光景を、船員たちが、息を呑んで見守っていた。
「――《虚無》の影響は、本当に、海にまで、及んでいたんだな」
リザは、静かに、確信を込めて呟いた。
海竜は、しばらく船の傍らを泳いだあと、静かに、海の底へと姿を消していった。
「これで、この航路は、以前より、ずっと安全になるはずです」
異国の商人の言葉に、リザは、深く息を吐いた。
「――アズマリアに、早く、このことを伝えたい」
その決意を胸に、船は、再び、グランディア諸島連合を目指して、進み始めた。
波間に揺れる船の上、リザは、これまでの自分では、決してできなかったであろう解決を、確かに、成し遂げていた。
力とは、破壊するためだけのものではない。それを、身をもって示せたことに、彼女は、静かな誇りを感じていた。
この航海の先に、どんな出会いが待っているのか。その答えを求めて、船は、なおも、水平線の彼方へと、進み続けていく。




