EP65. 建国の記憶
王都大神殿、聖樹の間は、かつての姿を完全に取り戻していた。
幹を覆う樹皮は艶やかな白銀に輝き、梢からは絶えず淡い金色の光がこぼれ落ちている。差し込む陽光と重なり合い、床一面に幻想的な模様を描いていた。空気には瑞々しい若葉の香りと、微かに甘い花の蜜のような匂いが満ちている。石床から伝わる温もりは、以前よりもさらに深く確かなものになっていた。
アズマリアは、その中心に膝をつき静かに祈りを捧げていた。
「今日は、どんな記憶を見せてくれますか」
その呟きに応えるように、聖樹の梢がひときわ強く輝いた。これまでとは比較にならないほど鮮明な光が、彼女の意識を、遠い過去へと誘っていく。
浮かび上がったのは、荒野に一本の若木が植えられる光景だった。まだ国という形すらなかった時代、傷ついた大地に、神々が最後の力を込めて授けた種。それが、この聖樹の始まりだった。
『この地に、争いを超えた場所を』
声にならない祈りと共に、若木は根を張り芽吹いていく。周囲には、種族を問わず、傷を負った者たちが集まり始めていた。
アズマリアは、その光景に、深い驚きを覚えた。この国は、初めから、誰かを排除するために作られたのではなかった。むしろ逆だった。あらゆる傷ついた者を受け入れる場所として、始まったのだ。
記憶は続く。集まった人々の中には、人間だけでなく、獣人や、精霊に近い姿をした者、そして――今の魔族とよく似た容姿の者たちの姿もあった。
『皆で、この地を、育てていこう』
誰かの声が、そう告げていた。その声の主は、はっきりとは見えない。だが、その響きには、確かな温かさがあった。
記憶が途切れ、アズマリアは静かに目を開けた。頬には涙が伝っていた。
「――今のは」
フェリクスが、震える声で尋ねる。アズマリアは、見た光景を丁寧に語った。
「この国は、最初から、あらゆる傷ついた者を受け入れる場所として始まった、ということですね」
フェリクスの言葉に、アズマリアは深く頷いた。
「はい。……でも、いつの間にか、その始まりの想いは、忘れられてしまったのかもしれません」
その考察に、傍らで聞いていたグレゴリウスが、静かに口を開いた。
「――千年という時の中で、多くのものが、失われていったのでしょう。純粋だったはずの理念も、いつしか、権力や、恐怖に、姿を変えていった」
老大神官の声には、深い自責の念が滲んでいた。
「だからこそ、そなた様が、この国の在り方を、再び、正しい方向へと導いてくださった。……これほどの巡り合わせが、あるでしょうか」
その言葉に、アズマリアは静かに首を振った。
「私一人の力では、ありません。……でも、もし、この国の始まりの想いを、もう一度、多くの人に伝えられるなら」
彼女は、まっすぐにグレゴリウスを見た。
「それは、これからのこの国にとって、とても大切な指針になると思います」
その提案に、グレゴリウスは、深く頷いた。
「――記録を、正式に、後世へ残しましょう。この国が、何のために始まったのか。……その原点を、忘れないために」
フェリクスが、震える手で、すでに記録の準備を始めていた。
その日の夕方、聖樹の間を辞したアズマリアは、王都の空を見上げながら、静かに思いを巡らせていた。
自分がこの世界で果たしてきた役割は、単に、目の前の危機を救うことだけではなかったのかもしれない。この国が、そして、この世界が、本来あるべき姿へと、少しずつ、戻っていく。そのための、小さな、しかし確かな一歩を、自分は歩み続けているのだと、改めて実感していた。
辺境へ戻る馬車の中、アズマリアはヴィルヘルムに、今日見た記憶について語った。
「――この国の始まりが、争いを超えた場所だったとはな」
ヴィルヘルムは、感慨深げに呟いた。
「あんたが辺境で作り上げてきたものと、驚くほど、似ている」
「はい。……もしかしたら、私は、知らないうちに、この国が本来あるべきだった姿を、辺境で、再現していたのかもしれません」
その気づきに、二人はしばらく、言葉少なに、静かな余韻に浸っていた。
聖樹が明かした、この国の本当の始まり。それは、アズマリア自身が歩んできた道のりが、決して偶然ではなく、この世界そのものが、長い時をかけて、再び辿り着こうとしていた場所だったことを、静かに示していた。
この物語は、まだ、その先に続いていく。まだ見ぬ記憶、まだ紡がれていない未来が、彼女を、静かに待ち受けていた。




