EP62. 境界の卓、再び
国境の交易地に設けられた円卓の周囲に、以前よりもさらに多くの人々が集まっていた。
白い天幕が風にはためく音を立てている。周囲には人間側、魔族側双方の代表者たちが緊張した面持ちで席についていた。焼けた大地に、今では若草が確かな緑を広げている。その土の匂いに、双方が持ち寄った香草の匂いが複雑に混ざり合っていた。遠くから市場の喧騒が微かに届いてくる。
円卓の中央には、ガルシュタインと国王グランツの名代として訪れた大臣の姿があった。
◇ ◇ ◇
「本日は、双方の『不安』を正式な議題として扱う場です」
議長役を任されたアズマリアが静かに切り出した。
「隠すのではなく正面から向き合いましょう。まずは魔族側の方々からお聞かせいただけますか」
◇ ◇ ◇
自衛組織を作ろうとしていた、あの魔族の男が少し緊張した面持ちで口を開いた。
「我らは千年間、人間に恐れられ蔑まれ続けてきた。和平が結ばれた今も、その恐怖の記憶は簡単には消えぬ」
「もしまた人間側が手のひらを返すようなことがあれば――我らは、それに備えておきたいだけだ」
◇ ◇ ◇
その言葉に、人間側の大臣が慎重に応じた。
「その懸念は理解できる。だが逆もまた然り。我々もまた、魔族が再び牙を剥くのではないかという不安を拭いきれずにいる」
「牙など剥かぬ」
「――過去、剥いてきたのは事実だろう」
その応酬に、円卓を囲む空気が再び張り詰め始めた。
◇ ◇ ◇
「お待ちください」
アズマリアが静かに、しかし確かな声で割って入った。
「過去の傷をなかったことにはできません。でも、その傷をこれからも互いへの攻撃材料として使い続けるのなら、この対話には意味がなくなってしまいます」
◇ ◇ ◇
その一言に、両者がしばし沈黙した。
「提案があります」
アズマリアは静かに続けた。
「不信そのものをなくすことは、今はまだできません。でも、その不信を監視し合うのではなく、互いに『伝え合う』仕組みを作れないでしょうか」
◇ ◇ ◇
「伝え合う、というのは」
ガルシュタインが興味深そうに尋ねる。
「例えば双方から対等な人数の見張り役を、この交易地に正式に配置するのです。監視のためではなく、何か不穏な動きがあれば、すぐに双方へ知らせるための橋渡し役として」
◇ ◇ ◇
「秘密裏の自衛組織ではなく、公認の共同の見張り、ということか」
人間側の大臣が考え込むように呟いた。
「悪くない提案だ。少なくとも隠れて動かれるよりは、はるかに健全だろう」
◇ ◇ ◇
その提案に、魔族の男もしばらく考え込んだあと、ゆっくりと頷いた。
「それなら我らも受け入れられる」
「こちらもだ」
双方の合意に、円卓を囲む空気が少しずつ和らいでいった。
◇ ◇ ◇
「一つ、付け加えさせてください」
アズマリアがさらに続けた。
「見張り役には、できれば人間と魔族双方から、若い世代を選んでいただきたいのです」
「若い世代というのは、なぜだ」
◇ ◇ ◇
「憎しみの記憶がまだ深く根付いていない世代だからです。彼らが共に働き、共に問題を解決していく経験を積めば、それはこれから先のより確かな信頼へと繋がっていくはずです」
その考えに、ガルシュタインが静かに感嘆の息を漏らした。
「未来を育てる、というわけだな」
◇ ◇ ◇
「はい」
アズマリアは静かに、しかし確かな想いを込めて頷いた。
「今の私たちが完全な和解を成し遂げられなくても構いません。その土台を次の世代に丁寧に引き継いでいければ」
その言葉に、円卓を囲む双方の代表者たちが静かに、しかし確かに頷いた。
◇ ◇ ◇
その日の議論は完全な解決には至らなかった。だが対立から共に問題を解決する関係への確かな一歩が、また一つ刻まれていた。
◇ ◇ ◇
議論を終え天幕を出たアズマリアに、ガルシュタインが静かに歩み寄ってきた。
「そなたのやり方はいつも遠回りに見えて、実は一番確かな道を歩んでいるのだな」
「そうでしょうか」
「ああ。即効性のある解決策ではなく、時間をかけて根から育てる。まるでそなたの力そのものだ」
◇ ◇ ◇
その言葉に、アズマリアは静かに微笑んだ。
「時間をかけることを恐れなくなったのは、この土地に来てからです」
夕暮れの光の中、二人の影が境界の地に長く伸びていた。
この対話の積み重ねが、いつか本当の意味での平和をこの世界にもたらすことを信じて、アズマリアの物語はこれからも静かに続いていく。




