EP55. 新しい光
# 「役立た朝の光が、窓辺の小さな薬草鉢を、優しく照らしていた。
乾いた薬草の匂いに混じって、微かに、蜂蜜を溶かしたような、甘い香りが漂っている。外からは、水路を流れる水音と、遠くで囀る小鳥の声が、絶え間なく届いていた。診察台に腰掛けたアズマリアは、ここ数日、続いていた体調の変化に、静かに、しかし確かな戸惑いを覚えていた。
「――少し、疲れやすくなった気がします」
「魔力残滓の蓄積、というわけでもなさそうですね」
診察していたのは、辺境で医術を学んだ、若い女性の治療師だった。彼女は、アズマリアの脈を確かめながら、慎重に言葉を選んだ。
◇ ◇ ◇
「――もしや、と思うのですが」
その言葉に、アズマリアは、思わず息を呑んだ。
「まさか……」
「はい。……おめでたなのではないか、と」
その診断に、アズマリアは、しばらく、言葉を発することができなかった。
◇ ◇ ◇
自分の体に、新しい命が宿っている――その事実を、頭では理解しながらも、実感として受け止めるまでには、少し時間が必要だった。
「――確かめる方法は、ありますか」
「私の見立てでは、ほぼ間違いないかと。……ですが、念のため、こちらも」
治療師は、微かな検知術式を、そっとアズマリアの腹部にかざした。淡い光が反応し、確かな脈動を、静かに示した。
◇ ◇ ◇
「――間違いありません。新しい命が、宿っています」
その言葉に、アズマリアの目に、じわりと涙が滲んだ。それは、これまでのどんな涙とも違う、深く、温かい感動だった。
「――ヴィルヘルムに、伝えなければ」
思わず立ち上がろうとして、彼女は、足元がふらつくのを感じ、慌てて座り直した。
◇ ◇ ◇
「無理は禁物です。……今のあなた様は、お一人の体ではありませんから」
治療師の優しい注意に、アズマリアは、静かに、しかし確かに頷いた。
その日の夕方、ヴィルヘルムが執務を終えて戻ると、アズマリアは、少し緊張した面持ちで、彼を出迎えた。
◇ ◇ ◇
「――どうした。何か、あったのか」
その様子を見て、ヴィルヘルムが、心配そうに尋ねる。アズマリアは、深呼吸をしてから、静かに告げた。
「――赤ちゃんが、できました」
◇ ◇ ◇
その一言に、ヴィルヘルムの表情が、大きく固まった。しばらくの間、彼は、何も言葉を発することができずにいた。
「――本当、か」
「はい。……治療師の見立てでも、確かでした」
その答えに、ヴィルヘルムは、震える手で、そっとアズマリアの肩に触れた。
◇ ◇ ◇
「――そうか」
その声には、抑えきれない喜びと、それ以上の、深い感動が滲んでいた。
「――俺たちの、子供」
「はい」
二人は、しばらくの間、言葉を交わさず、ただ、互いの温もりを、静かに確かめ合っていた。
◇ ◇ ◇
その知らせは、瞬く間に、村中に広がっていった。
「――お姉ちゃんに、赤ちゃん!?」
真っ先に飛び込んできたセーラは、興奮のあまり、涙目になりながら、アズマリアに抱きついた。
「わ、私、絶対、お世話係になる! いっぱい、可愛がるから!」
「セーラ、まだ生まれてもいませんよ」
その微笑ましいやり取りに、周囲から、温かい笑い声が起きた。
◇ ◇ ◇
ハロルドは、いつもの仏頂面のまま、それでも、隠しきれない喜びを滲ませて頭を下げた。
「――おめでとうございます。……次代の辺境伯となれば、我々も、気を引き締めねばなりませんな」
「気が早いぞ、ハロルド」
ヴィルヘルムの苦笑に、フィーが、ひらひらと飛び回りながら、はしゃいだ声を上げた。
『やった! 新しい命が、この土地に宿るなんて! あたし、ちゃんと祝福の祈りを捧げるからね!』
◇ ◇ ◇
白煌も、静かに、アズマリアの傍らに寄り添った。
『――神代の血を継ぐ我が身として、この子の健やかな成長を、見守らせてもらおう』
その言葉に、アズマリアは、深い安堵と、確かな幸福感を覚えていた。
◇ ◇ ◇
王都に滞在する三聖女からも、すぐに、祝福の手紙が届いた。
エレオノーラからは、「絶対に、出産祝いは盛大にやるから、覚悟しといて!」という、いつも通り元気いっぱいの一文。
アロセールからは、「新しい命の誕生を、心より祝う。何か困ったことがあれば、いつでも頼ってほしい」という、静かながらも確かな心遣い。
リザからは、「絶対、いい母親になれるよ。あんたなら」という、飾らない、しかし力強い言葉が綴られていた。
◇ ◇ ◇
その夜、二人きりになった部屋で、アズマリアは、そっと自分の腹に手を当てた。
「――これから、この子と一緒に、どんな日々を過ごしていくんでしょうか」
「――さあな」
ヴィルヘルムは、隣に座り、静かに彼女の肩を抱いた。
「だが、どんな日々になっても、俺たちなら、きっと、乗り越えていけるはずだ」
◇ ◇ ◇
その言葉に、アズマリアは、静かに頷いた。
王都で「役立たず」と呼ばれ、追放された日から、これほど多くの温かい日々に辿り着けるとは、あの頃の自分には、想像すらできなかった。
◇ ◇ ◇
新しい命の誕生を前に、アズマリアとヴィルヘルムの物語は、また一つ、新しい章を、静かに開こうとしていた。
この子が、この世界に生まれ落ちる日まで、まだ、いくつもの季節が巡っていくことだろう。その一日一日を、大切に、丁寧に、紡いでいく日々が、これから始まろうとしていた。




