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EP54. 千年前の答え

聖樹の間は、以前にも増して、確かな生気を取り戻していた。


 灰色だった幹の表面には、うっすらと、若葉を思わせる緑が広がりつつある。差し込む陽光が、その葉の隙間を通り抜け、床に、揺らめく木漏れ日を落としていた。空気には、以前の乳香の匂いに加え、瑞々しい若葉の香りが、確かに混ざり始めている。石床から伝わる温もりも、今では、以前の輝きに近いものへと戻りつつあった。


 アズマリアは、その日も、静かに聖樹の前に膝をついていた。


   ◇ ◇ ◇


 「――今日は、続きが見えるでしょうか」


 その呟きに応えるように、聖樹の幹から、再び、淡い光が溢れ出した。今回は、以前よりも、はっきりとした光景が、彼女の脳裏に映し出されていく。


   ◇ ◇ ◇


 千年前の巫女は、聖樹の前で、一人の青年と、静かに語り合っていた。


 青年の姿形は、はっきりとは見えない。だが、その佇まいから伝わる温かさは、どこか、ヴィルヘルムを思わせるものだった。


 『――このまま、共に生きてはくれないか』


 青年の問いかけに、巫女は、悲しげに首を振った。


   ◇ ◇ ◇


 『私には、務めがあります。……この世界の傷を、癒やし続けなければならない』


 『務めなど、他の者に譲ればいい。お前は、お前自身の人生を、生きるべきだ』


 その言葉に、巫女は、涙を流しながら、それでも、静かに答えた。


 『――私が、それを選ばなかったから。だからこそ、今、あなたと出会えたことが、何よりの救いなのです』


   ◇ ◇ ◇


 記憶は、そこで、静かに途切れた。


 アズマリアは、涙を流していることに気づき、慌てて頬を拭った。


 「――今のは」


 傍らで見守っていたフェリクスが、震える声で尋ねた。アズマリアは、震える声で、今見た光景を語った。


   ◇ ◇ ◇


 「――その巫女は、自らの意思で、務めを選び続けた、ということですね」


 フェリクスの言葉に、アズマリアは、複雑な感情を抱えながら頷いた。


 「はい。……でも、その選択が、幸福だったのかは、分かりません」


 「幸福では、なかったと?」


   ◇ ◇ ◇


 「――いいえ」


 アズマリアは、静かに首を振った。


 「あの方の表情には、確かな悲しみと同時に、揺るぎない確信も、あったように見えました。……務めを選んだことを、後悔してはいなかった」


 その言葉に、フェリクスは、深く考え込むように、目を伏せた。


   ◇ ◇ ◇


 「――私と、あの方は、違う選択をしました」


 アズマリアは、静かに続けた。


 「私は、務めよりも、自分自身の幸福を、選びました。……それは、あの方の選択を、否定することになるのでしょうか」


 その問いに、フェリクスは、しばらく沈黙したあと、静かに答えた。


   ◇ ◇ ◇


 「――そうは、思いません」


 「そう、ですか」


 「時代が違えば、選ぶべき道も、違って当然です。……あの方が生きた時代には、代わりを担える者が、他に誰もいなかったのかもしれません。ですが、そなた様には」


 フェリクスは、優しい眼差しで、アズマリアを見た。


   ◇ ◇ ◇


 「そなた様には、共に力を分かち合える、多くの仲間がいます。……四聖女、精霊、聖獣、そして、和解した魔族たち。誰か一人がすべてを背負う必要のない、そんな世界を、そなた様自身が、作り上げたのです」


 その言葉に、アズマリアの胸に、静かな安堵が広がった。


   ◇ ◇ ◇


 「――ありがとうございます、フェリクスさん」


 「なんの。……老いぼれの、勝手な考察に過ぎません」


 フェリクスは、謙遜するように微笑んだ。だが、その言葉には、確かな重みがあった。


   ◇ ◇ ◇


 その夜、辺境へ戻ったアズマリアは、ヴィルヘルムに、今日見た記憶について、静かに語った。


 「――千年前の巫女も、あんたと同じように、誰かを愛していたのか」


 「はい。……でも、その方は、務めを選び、その人とは、共に生きる道を選ばなかったようです」


   ◇ ◇ ◇


 その話に、ヴィルヘルムは、しばらく黙り込んでいた。


 「――もし、あんたが、その巫女と同じ道を選んでいたら」


 「――今頃、私は、この場所にはいなかったでしょうね」


 アズマリアは、静かに、しかし確かな温かさを込めて答えた。


   ◇ ◇ ◇


 「でも、私は、選ばなかった。……あなたと、この土地の人々と、一緒に生きる道を、選びました」


 その答えに、ヴィルヘルムは、優しく彼女を抱き寄せた。


 「――その選択に、感謝している」


   ◇ ◇ ◇


 千年前の巫女が選んだ道と、アズマリアが選んだ道。


 どちらが正しい、というものではない。それぞれの時代、それぞれの状況の中で、精一杯、選び取られた、かけがえのない答えだった。


   ◇ ◇ ◇


 聖樹の記憶には、まだ、明らかにされていない、多くの物語が眠っている。


 その一つ一つが、アズマリア自身の選択を、静かに、しかし確かに、肯定してくれているように感じられた。


 この先も、聖樹が紡ぐ記憶の物語は、少しずつ、明らかにされていくことだろう。そして、その度に、アズマリアは、自分自身の生き方を、改めて見つめ直すことになる。

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