EP53. 訪れた伯爵
エルグラードの街道に、この土地では見慣れない、洗練された装飾の馬車が、静かに近づいてきた。
道の両脇には、色づき始めた麦穂が、風にさわさわと揺れている。井戸端では、澄んだ水を汲む村人たちの声が、朗らかに響いていた。焼きたてのパンの匂い、庭先で摘まれた薬草の香り、そして、遠くの孤児院から漂ってくる、子供たちの賑やかな笑い声。すべてが、この土地の、確かな豊かさを物語っていた。
馬車から降り立ったブランシュ伯は、その光景を前に、しばらく、言葉を失っていた。
◇ ◇ ◇
「――これは」
出迎えたヴィルヘルムに、ブランシュ伯は、困惑した様子で問いかけた。
「聞いていた話以上だな。……水路の整備状況も、畑の実りも、私の領地とは、まるで比較にならん」
「――ご案内します」
ヴィルヘルムは、静かに、しかし確かな誇りを込めて、彼を村の中へと導いた。
◇ ◇ ◇
水路のほとりでは、若い職人たちが、慣れた手つきで、新しい水路の分岐を組み立てていた。
「――これが、あの水路の技術か」
「はい。……最初は、アズマリアが浄化した水源から、単純に水を引くだけでした。ですが、今では、傾斜を利用した自然な分岐と、濾過の仕組みを組み合わせています」
案内していたハロルドが、淡々と説明を加える。
◇ ◇ ◇
「濾過の仕組み、というのは」
ブランシュ伯の問いに、通りがかった若い職人が、誇らしげに答えた。
「砂利と炭を重ねた層を通すことで、水を、さらに清らかにするんです。アズマリア様の浄化と組み合わせれば、この土地の外に運んでも、長く水質を保てます」
その説明に、ブランシュ伯は、感心したように頷いた。
◇ ◇ ◇
薬草園に案内されると、そこには、色とりどりの薬草が、整然と植えられていた。
「――この配置には、何か、意味があるのか」
「はい」
案内していたアズマリアが、静かに答えた。
「薬効の強い品種と、弱い品種を、あえて隣り合わせに植えることで、互いの成長を助け合うんです。……一種の共生術式、とでも言うのでしょうか」
◇ ◇ ◇
「共生、術式……」
ブランシュ伯は、その言葉を、静かに繰り返した。
「――なるほど。競わせるのではなく、支え合わせる、というわけか」
「はい。……これも、私の力の在り方と、同じだと思っています」
アズマリアの答えに、ブランシュ伯は、深く考え込むような表情を浮かべた。
◇ ◇ ◇
視察の最後、村の広場に案内されたブランシュ伯は、そこで、生き生きと遊ぶ子供たちの姿を目にした。
人間の子供と、旅の途中で留まった魔族の子供たちが、区別なく、共に駆け回っている。その光景に、彼は、深い感慨を覚えたようだった。
◇ ◇ ◇
「――正直に言おう」
ブランシュ伯は、静かに、しかし確かな重みを込めて切り出した。
「私は、この訪問の前まで、そなたらの提案を、どこか、疑っていた。……美辞麗句の裏に、何か、企みがあるのではないか、と」
「――今は」
「今は、違う。この目で見た光景は、嘘をつかない」
◇ ◇ ◇
彼は、深く息を吐くと、まっすぐにヴィルヘルムを見た。
「――技術共有の申し出、正式に受けさせていただきたい。我が領地にも、この繁栄の一端を、分けていただけるだろうか」
「もちろんです」
ヴィルヘルムは、迷いなく答えた。
◇ ◇ ◇
「――一つ、条件を出させてほしい」
ブランシュ伯が、続けて言った。
「技術を受け取るだけでは、対等な関係とは言えぬ。……我が領地からも、何か、貢献できるものを、探させてほしい」
その申し出に、ヴィルヘルムとアズマリアは、顔を見合わせ、静かに微笑んだ。
◇ ◇ ◇
「――ありがとうございます」
アズマリアが、深く頭を下げた。
「一方的に与えるだけの関係より、お互いに支え合える関係の方が、きっと、長く続きますから」
その言葉に、ブランシュ伯は、初めて、心からの笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
視察を終え、帰路につくブランシュ伯を、村人たちが、温かく見送った。
「――また、お越しください!」
セーラの元気な声に、ブランシュ伯は、少し驚いたように、しかし嬉しそうに、手を振り返した。
◇ ◇ ◇
馬車が遠ざかっていくのを見送りながら、ヴィルヘルムが、静かに呟いた。
「――一つ、片付いたな」
「はい。……でも」
アズマリアは、静かに、しかし確かな実感を込めて続けた。
「これで終わりじゃないですね。これからも、色々な繋がりが、生まれていくんだと思います」
◇ ◇ ◇
その言葉通り、エルグラードを中心に広がる、分かち合いの輪は、これから先も、少しずつ、しかし確実に、周辺の領地、そして、この世界全体へと、広がっていくことになる。
アズマリアとヴィルヘルムの物語は、まだ、その先に続いていく。まだ見ぬ出会いと、まだ紡がれていない絆が、静かに、彼らを待ち受けていた。




