EP48. 枯れ木の記憶
王都大神殿、聖樹の間。
久しぶりに足を踏み入れたその場所は、記憶にあるものとは、まるで違う姿になっていた。かつて淡い金色の光を湛えていたはずの聖樹は、今も、灰色に変色したまま、静かに立ち尽くしている。差し込む陽光が、乾いた枝葉の隙間から、埃っぽい筋を描いていた。石床には、以前ほどの温かさはもう感じられない。空気は、どこか、時が止まったような、ひんやりとした静けさに満ちていた。
アズマリアは、その枯れ木の前に立ち、静かに、複雑な想いを噛み締めていた。
◇ ◇ ◇
「――まだ、こんな状態だったのですね」
「はい」
傍らに控えるグレゴリウスが、深く頭を垂れた。
「世界の傷は癒えても、この聖樹だけは、未だ、以前の姿を取り戻せずにおります。……もしや、そなた様の力でも」
その問いかけに、アズマリアは、静かに枯れた幹に手を触れた。
◇ ◇ ◇
詠唱を紡ぎ、淡い光を送り込む。だが、聖樹は、わずかに震えるように反応するだけで、以前のような輝きを取り戻すことはなかった。
「――難しい、ですね」
アズマリアは、困惑した様子で呟いた。
「これまでの傷とは、何か、質が違う気がします」
◇ ◇ ◇
傍らで様子を見ていたフェリクスが、老眼鏡を押し上げながら、興味深そうに幹を観察した。
「――もしや」
「何か、分かりましたか」
「この聖樹は、単なる植物ではありません。……代々の聖女の祈りそのものが、長い年月をかけて宿った、いわば、王国そのものの『記憶の器』なのです」
◇ ◇ ◇
「記憶の、器……」
「はい。そなた様の《神癒》は、対象を『あるべき姿』へ戻す力。……しかし、この聖樹の『あるべき姿』とは、単なる健康な木としての姿ではなく、千年分の祈りと記憶を宿した、特別な存在としての姿なのです」
フェリクスは、震える手で、古い記録を捲りながら続けた。
◇ ◇ ◇
「――おそらく、一度の治癒では、足りないのでしょう。この聖樹には、代々の聖女たちが、毎晩、少しずつ祈りを捧げ続けることで、その力が育まれてきました」
「つまり、また、時間をかけて、祈りを積み重ねる必要がある、ということですね」
アズマリアの問いに、フェリクスは、深く頷いた。
◇ ◇ ◇
「――それなら」
少し離れた場所から声を上げたのは、王都に滞在していたエレオノーラだった。彼女は、真紅の髪を揺らしながら、まっすぐに歩み寄ってきた。
「あたしたちも、手伝う。……祈りなら、一人より、皆でやった方が、早く育つでしょ?」
◇ ◇ ◇
その提案に、アロセールも、静かに頷いた。
「理に適っている。……属性の異なる祈りが重なることで、より複合的な回復が期待できるかもしれない」
「あたしも、やる」
リザも、迷いなく続いた。
その光景に、アズマリアの胸に、温かいものが込み上げてきた。
◇ ◇ ◇
「――ありがとうございます、皆さん」
その日から、王都の聖樹の間には、新しい習慣が生まれることになった。アズマリアが辺境から通える範囲で、そして、王都に残る三聖女たちが、それぞれの時間の合間を縫って、聖樹への祈りを捧げる日々が始まった。
◇ ◇ ◇
「――それにしても」
ある日の祈りの後、エレオノーラが、ふと思い出したように呟いた。
「聖樹の記憶の中に、もしかしたら、まだ知られていない、王国の歴史とか、隠されてるのかな」
その言葉に、フェリクスが、興味深そうに目を輝かせた。
「あり得る話です。……代々の聖女たちの祈りが宿っているのなら、この聖樹こそが、この国で最も古い『生きた記録』と言えるでしょう」
◇ ◇ ◇
その考察に、アズマリアの胸に、静かな好奇心が芽生えた。
「――もし、聖樹が完全に蘇ったら、何か、新しいことが分かるかもしれませんね」
「かもしれません。……気の長い話にはなりますが」
フェリクスの言葉に、アズマリアは、静かに微笑んだ。
「気の長い話は、慣れています。……辺境の発展も、和平交渉も、すべて、時間をかけて積み重ねてきたものですから」
◇ ◇ ◇
夕暮れ時、聖樹の間を出たアズマリアは、王都の空を見上げた。
枯れた聖樹には、まだ、以前の輝きは戻っていない。だが、その根元には、以前より、確かに、微かな温もりが宿り始めているのを、彼女は感じ取っていた。
◇ ◇ ◇
「――少しずつ、ですね」
傍らに寄り添うヴィルヘルムが、静かに頷いた。
「あんたらしいやり方だ。……一度に何もかも変えようとせず、時間をかけて、一つ一つ、積み重ねていく」
「それしか、私には、できませんから」
その答えに、ヴィルヘルムは、優しく目を細めた。
◇ ◇ ◇
聖樹が完全にその輝きを取り戻すまで、まだ、長い時間がかかるだろう。
だが、その記憶の奥に眠る、まだ知られざる王国の歴史――それがいつか明らかになる日を、アズマリアは、静かに、楽しみに思い始めていた。
彼女の物語は、まだ、多くの謎と、可能性を、その先に残している。




