EP43. 流れ星の下で
水路のほとりに立つ二人を、満天の星が、静かに見下ろしていた。
澄んだ水音が、絶えることなく響いている。夜風は涼やかで、頬を撫でるたび、昼間の熱気が少しずつ拭われていくようだった。遠く、祝宴の賑わいが、風に乗って、途切れ途切れに届いてくる。近くの草むらからは、秋の虫たちの、控えめな鳴き声が聞こえていた。空気には、水の匂いと、夜露に濡れた草の、青々とした香りが満ちている。
ヴィルヘルムは、しばらく、言葉を探すように黙り込んでいた。
◇ ◇ ◇
「――俺は、口下手だ」
ようやく紡がれた言葉は、そんな、少し意外な切り出しだった。
「戦場での指揮なら、迷わず声を上げられる。だが、こういうことになると、途端に、言葉が出てこなくなる」
その様子に、アズマリアは、思わず小さく笑った。
「珍しいですね。いつも、堂々としているのに」
「あんたの前でだけは、そうもいかないらしい」
◇ ◇ ◇
ヴィルヘルムは、深く息を吸い込むと、まっすぐに、アズマリアを見つめた。
「――初めて会った日のことを、覚えているか」
「はい。……皆さんに、値踏みするような目で見られたこと」
「あの時、俺は、あんたを助けなければという気持ちより先に、あんたの目に、驚いていた」
「私の、目、ですか」
◇ ◇ ◇
「ああ。……散々傷つけられてきたはずなのに、その目には、まだ、誰かを信じようとする光が残っていた。それが、不思議で、まぶしくて」
ヴィルヘルムの声には、これまでにない、率直な響きがあった。
「あの日から、俺は、あんたのことばかり、考えるようになっていた」
◇ ◇ ◇
「治療院で忙しく働くあんたを見て、無理をしていないか気になった。畑に祈りを捧げるあんたの横顔に、見惚れていた。……気づいたら、あんたがいない日々を、想像できなくなっていた」
その一言一言が、アズマリアの胸に、静かに、しかし確かに、染み込んでいく。
「ヴィルヘルム……」
◇ ◇ ◇
「王都で、あんたが選ばなかったものが、たくさんある。称号も、地位も、王族としての未来も」
彼は、少し緊張した面持ちで、続けた。
「その代わりに、俺は、あんたに、何を差し出せるだろうか、と、ずっと考えていた」
「――ヴィルヘルムは」
アズマリアは、静かに首を振った。
「もう、十分すぎるほど、たくさんのものを、私にくれています」
◇ ◇ ◇
「――アズマリア」
ヴィルヘルムは、静かに、彼女の両手を取った。
「俺と、これからも、共に生きてくれないか。辺境伯として、というだけでなく……一人の人間として、あんたの隣にいたい」
その言葉に、夜空を彩る星々が、一層、輝きを増したように感じられた。
◇ ◇ ◇
アズマリアの目に、涙が滲んだ。だが、それは、これまでのどんな涙とも違う、確かな喜びに満ちたものだった。
「――はい」
その一言が、静かな夜気の中に、確かに響いた。
「これからも、隣にいさせてください」
◇ ◇ ◇
二人の頭上、また一つ、流れ星が、静かに輝きながら流れていった。
「――流れ星、二つ目ですね」
「そうだな」
ヴィルヘルムは、静かに微笑むと、アズマリアの手を、そっと握り直した。
「――一つは、あんたの願いに。もう一つは、俺の願いに」
「二人分の願いが、もう叶ってしまいましたね」
◇ ◇ ◇
その夜、二人は、しばらくの間、言葉少なに、ただ、寄り添うように、水路のほとりに佇んでいた。
これまでの十八年間、そして、この辺境での日々。積み重ねてきたすべての時間が、この静かな夜に、確かな結実を迎えていた。
◇ ◇ ◇
祝宴の灯りが、遠くで揺れている。
村の喧騒からは少し離れた、この静かな場所で、二人は、これから始まる新しい日々の、最初の一歩を、静かに踏み出していた。
王都で「役立たず」と呼ばれた聖女が、辺境で見つけた、本当の幸福。
その物語は、まだ、ここで終わりではなかった。
救われた世界で、これから紡がれていく、二人の、そして、この土地に生きるすべての人々の日々――その先の物語が、静かに、しかし確かに、始まろうとしていた。




