↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
41/148

EP41. お断りします

謁見の間に満ちる沈黙は、これまでのどんな静寂よりも、重く、そして長く感じられた。


 修復途中の天井から差し込む光が、床に、不揃いな影を落としている。灯された燭台の炎が、時折、風もないのに小さく揺れた。誰も、身じろぎ一つしない。衣擦れの音すら、この場では憚られるような、張り詰めた空気だった。アズマリアの耳には、自分自身の心臓の鼓動だけが、やけにはっきりと聞こえていた。


 「――お答えします」


 その一言に、謁見の間全体の視線が、一斉に、彼女へと集まった。


   ◇ ◇ ◇


 「至高聖女の位も、王位継承の話も」


 アズマリアは、静かに、しかし迷いのない声で告げた。


 「お断りします」


 その返答に、貴族たちの間から、驚きのざわめきが広がった。国家史上最高の栄誉を、これほどあっさりと退ける者がいるとは、誰も予想していなかった。


   ◇ ◇ ◇


 「――アズマリア」


 グランツが、動揺を隠しきれない様子で、身を乗り出した。


 「なぜだ。そなたほどの功績があれば、当然に受けるべき栄誉のはずだ」


 「陛下」


 アズマリアは、まっすぐに玉座を見上げた。


 「私が欲しかったのは、称号でも、地位でもありませんでした。……ただ、自分の存在を、誰かに必要としてもらうこと。それだけです」


   ◇ ◇ ◇


 「王都にいた頃、私は、傷を癒やす力しかない、役立たずと呼ばれ続けていました。……でも今、辺境には、私を、能力ではなく、私自身として必要としてくれる人たちがいます」


 彼女の声には、これまでの人生で培われた、静かな、しかし確かな強さがあった。


 「その場所を、称号や地位と引き換えにするつもりは、ありません」


   ◇ ◇ ◇


 その言葉に、グレゴリウスが、深く目を伏せた。


 「――我々の申し出は、そなたにとって、なおも空虚なものだった、ということですな」


 「いいえ」


 アズマリアは、静かに首を振った。


 「今回の申し出には、確かに、誠意を感じました。……でも、誠意と、私自身が望む場所は、別のものです」


   ◇ ◇ ◇


 その時、謁見の間の隅から、一歩、進み出る人影があった。第二王子ユリウスだった。


 「――アズマリア」


 彼の声には、これまでにない、切実な響きがあった。


 「もう一度、私の婚約者に――」


 その言葉が終わるより早く、アズマリアは、静かに、しかしはっきりと答えた。


 「お断りします」


   ◇ ◇ ◇


 ユリウスの表情が、大きく崩れた。予想はしていたものの、これほど迷いなく拒絶されるとは、思っていなかったのだろう。


 「――なぜ、だ」


 「殿下」


 アズマリアは、静かに、しかし確かな距離を保ったまま答えた。


 「あなたが、あの日、婚約破棄を告げたことを、恨んではいません。……でも、今の私には、隣を歩きたいと思う人が、他にいます」


   ◇ ◇ ◇


 そう言うと、アズマリアは、静かに歩き出した。


 謁見の間の後方、控えていたヴィルヘルムの隣へと、迷いなく歩み寄っていく。


 「――私を必要としてくれる人たちが、ここにはいます」


 そこで、彼女は、少し考えるように間を置いてから、小さく笑った。


 「それに――私も、ここにいたいんです」


   ◇ ◇ ◇


 その光景に、謁見の間全体が、水を打ったように静まり返った。


 誰もが、その言葉の意味を、はっきりと理解していた。役立たずと呼ばれた聖女が、これほど堂々と、自分自身の意思で、自分の未来を選び取っている。その姿は、これまでこの国が作り上げてきた「聖女」という存在の在り方そのものを、静かに覆すものだった。


   ◇ ◇ ◇


 「――そうか」


 グランツは、しばらくの沈黙のあと、静かに、しかし確かな敗北感を滲ませて呟いた。


 「そなたの意思、確かに受け取った。……もう、無理強いはすまい」


 その言葉に、アズマリアは、深く頭を下げた。


 「ありがとうございます、陛下」


   ◇ ◇ ◇


 謁見が終わり、王城の廊下を歩くアズマリアの隣に、ヴィルヘルムが、静かに並んだ。


 「――良かったのか。あれだけの栄誉を、迷いなく蹴って」


 「良かったです」


 アズマリアは、迷いなく答えた。


 「私が本当に欲しかったものは、あの場所には、ありませんでしたから」


 その答えに、ヴィルヘルムは、静かに、しかし確かな温かさを込めて微笑んだ。


   ◇ ◇ ◇


 王城の窓の外、修復途中の王都の街並みが、夕陽に照らされていた。


 この選択が、これから先の自分の人生に、どんな意味をもたらすのか――アズマリアには、まだ、その全貌は見えていない。


 だが、確かなことが、一つだけあった。


 自分の居場所は、もう、決まっている。


 その確信を胸に、アズマリアは、静かに、辺境への帰路を見据えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。