EP37. 繋がる手
純白の光と、渦巻く漆黒の《虚無》とがせめぎ合う中心で、アズマリアとヴィルヘルムは、なおも押し寄せる圧力に耐え続けていた。
玉座の間の空気は、もはや呼吸をするだけでも困難なほどの密度を持っていた。肌を刺す冷気と、燃えるような熱が、交互に押し寄せてくる。耳の奥では、無数の悲鳴にも似た音と、それを打ち消すような、澄んだ鈴の音が、絶えず反響していた。鼻の奥には、焦げた匂いと、雨上がりの土の匂いが、奇妙に入り混じって漂っている。
「――まだ、足りない」
アズマリアが、掠れた声で呟いた。
◇ ◇ ◇
「アズマリア、俺だけじゃ足りないっていうのか」
ヴィルヘルムが、彼女の手を強く握りしめたまま、問いかける。アズマリアは、荒い息の中、それでも小さく首を振った。
「そういう、意味じゃありません。……ただ、《虚無》の核が、思っていたより、遥かに深い」
その言葉に、少し離れた場所で見守っていたガルシュタインが、はっとしたように顔を上げた。
「――もしや」
◇ ◇ ◇
「我らの想いも、まだ、十分には届いていないのかもしれぬ」
ガルシュタインは、静かにそう告げると、円陣を組んでいた魔族たちを振り返った。
「皆、行くぞ。……我らの体そのものを、その光の中心へ」
「――魔王様、それは」
「案ずるな。危険は承知の上だ。……千年、待ち続けたこの瞬間を、他の誰かに委ねきりにするわけにはいかぬ」
◇ ◇ ◇
ガルシュタインを先頭に、魔族たちが、次々と光の奔流へと足を踏み入れていく。その姿を見て、エレオノーラが、真紅の髪を翻しながら、迷いなく駆け出した。
「――あたしも行く!」
「私もだ」
アロセールが続く。
「あたしだって……!」
リザも、拳を握りしめながら、光の中へと飛び込んでいった。
◇ ◇ ◇
フィーが、ひらひらと舞いながら、アズマリアの肩の上へと戻ってくる。
『あたしも、ずっとそばにいるよ』
白煌もまた、低く唸りながら、光の中心へと歩み寄った。
『我が生命、すべてこの場に捧げよう』
◇ ◇ ◇
一人、また一人と、光の中心に集まっていく仲間たちの姿を見つめながら、アズマリアの胸に、これまでにない、確かな力が満ちていくのを感じた。
「――皆、さん」
声が、震えた。涙が、頬を伝う。だが、それは、悲しみの涙ではなかった。
「ありがとう、ございます」
◇ ◇ ◇
全員の手が、あるいは、それぞれの想いが、アズマリアを中心に、一つの円環となって繋がっていく。
その瞬間、これまでとは比較にならない規模の光が、彼女の中から、そして、彼女を取り囲む全員の中から、同時に溢れ出した。
「――《万象、あるべき姿へ》」
これまで誰も口にしたことのない、最後の詠唱が、アズマリアの唇からこぼれた。
◇ ◇ ◇
その言葉と共に、放たれた光は、これまでのどんな輝きも凌駕する、圧倒的な奔流となって、《虚無》の核を、真正面から包み込んだ。
「――ぐ、う……!」
闇の奥から、これまで聞いたことのない、悲鳴とも唸りともつかない音が響いた。まるで、世界そのものについた傷が、初めて「痛み」を訴えているかのようだった。
◇ ◇ ◇
「押している……!」
ハロルドが、思わず声を上げた。
黒く渦巻いていた闇が、その中心から、少しずつ、しかし確実に、光へと塗り替えられていく。まるで、長年凍りついていた大地に、初めて陽光が差し込むように。
◇ ◇ ◇
フェリクスが、涙を流しながら、震える声で呟いた。
「――千年、誰も為し得なかった浄化が。……今、まさに」
その言葉が終わるより早く――
《虚無》の核が、まばゆい光の中に、完全に包み込まれた。
◇ ◇ ◇
次の瞬間、玉座の間全体を、これまでのどんな光よりも強い、しかし、どこまでも優しい輝きが満たした。
その光は、玉座の間だけに留まらなかった。
魔王城の窓という窓から、崩れた壁の隙間から、その輝きは、外の世界へと、静かに、しかし確実に、広がり始めていた。
◇ ◇ ◇
千年間、誰も辿り着けなかった答えに、今、確かに、手が届こうとしていた。
だが、この光が、世界全体に何をもたらすのか――その全貌を、この場にいる誰も、まだ、目にしてはいなかった。
次に訪れる瞬間こそが、この長い物語の、本当の意味での結末を、静かに、しかし確実に、告げようとしていた。




