Ep35. 万の祈り
六色の光を纏うアズマリアの体は、もはや、傍目にも分かるほど、限界に近づいていた。
玉座の間に満ちる光は、これまでにない密度で渦を巻き、まるで嵐の目の中に立っているかのような、圧倒的な気配を放っている。肌を撫でる空気は熱く、それでいて時折、ぞくりとするほどの冷気が混じった。焦げた匂い、花の蜜のような香り、鉄錆にも似た緊迫の気配――これまで積み重なってきたすべての感覚が、今、一つの場所に凝縮されていた。
「――最後の、糸」
アズマリアは、震える声で、そう呟いた。
◇ ◇ ◇
「アズマリア、無理は――」
ヴィルヘルムが、思わず声をかける。だが、アズマリアは、静かに首を振った。
「大丈夫です。……ここまで来て、止めるわけには、いきません」
その瞳には、限界を超えてなお消えない、確かな意志の光が宿っていた。
「フェリクスさん。……祈りを届ける術式は、準備できていますか」
「――はい」
フェリクスは、震える手で、最後の紋様を祭壇に描き加えた。
◇ ◇ ◇
「王都、そして辺境――王国全土に散らばる、数え切れないほどの祈り。それを一つに束ね、そなたへ届けるための、最後の術式です」
彼は、深呼吸をしてから、詠唱を紡いだ。
「――《万祈収束》」
その言葉と共に、玉座の間の天井に、これまで見たことのない、巨大な光の環が現れた。
◇ ◇ ◇
その環から、無数の、小さな光の粒が、まるで星々が降り注ぐように、アズマリアの周囲へと集まり始めた。
一つ一つの光は、あまりにも小さく、儚い。だが、その数は、数百、数千――いや、それ以上。王国中の人々の、名もなき祈りの一つ一つが、今、ここに集結していた。
◇ ◇ ◇
「――セーラ……」
その光の粒の中に、アズマリアは、確かに聞き覚えのある声を感じ取った。
『お姉ちゃん、頑張って……!』
辺境の村の広場で、必死に祈るセーラの姿が、脳裏に浮かぶ。
「――バルトロ様も」
城門で見送ってくれた、あの老兵の姿。彼が贈ってくれた、古い護符。その中に込められていた祈りが、今、確かに繋がっていることを、アズマリアは実感した。
◇ ◇ ◇
「――村長さんも、皆さんも」
水路を作った職人たち、孤児院の子供たち、旅の商人、そして、かつて自分を「役立たず」と呼んだ、王都の人々でさえも。
王都で自分を軽んじてきた者たちの祈りすら、その光の中に混ざっていることに、アズマリアは、複雑な、それでいて温かい感慨を覚えた。
「――皆さん、繋がって、います」
その声は、涙で震えていた。
◇ ◇ ◇
「これほどの規模の祈りを、一身に受け止めているというのか」
アロセールが、信じられないといった様子で呟いた。
「魔力量ではない。……純粋な、想いの総量だ。理論の外側にある現象だ」
ガルシュタインも、深く感嘆の息を漏らした。
「これこそが、《神癒》の真の姿なのだろう。……力ではなく、繋がりそのものを、体現する存在」
◇ ◇ ◇
無数の光が、アズマリアの体に、次々と溶け込んでいく。
六色に彩られていた光の輪が、今、すべての色を包み込むように、純白に近い、眩い輝きへと変わっていった。それは、これまでのどの色よりも、静かで、それでいて、圧倒的な存在感を持つ光だった。
◇ ◇ ◇
だが、その輝きが増すのと同時に、アズマリアの体は、限界を超えようとしていた。
「――ぁ」
小さな声を漏らし、彼女の膝が、崩れ落ちる。
「アズマリア!」
ヴィルヘルムが、堪えきれずに駆け寄り、崩れ落ちる寸前の体を、しっかりと支えた。
◇ ◇ ◇
「――大丈夫、です」
アズマリアは、朦朧としながらも、微笑んだ。
「すべて、繋がりました。……あとは、これを、世界へ返すだけです」
その声は、これまでのどんな瞬間よりも、静かで、しかし確かな充足感に満ちていた。
◇ ◇ ◇
ヴィルヘルムの腕の中、アズマリアは、自分の中に集まったすべての力――紅蓮、轟雷、衝撃、精霊、聖獣、魔族、そして万の祈り――が、一つの、大きな流れとなって、体の奥で脈打つのを感じていた。
この力を、今、あの《虚無》へと向ける。
その瞬間が、静かに、しかし確実に、訪れようとしていた。
すべての糸が、今、結ばれた。
残された最後の一歩――世界そのものを癒やす、その決定的な瞬間だけが、この物語の結末を、静かに待ち受けていた。




