Ep34. 澱みの糸
# 「役立たず聖女と追放された私、実は神様に愛された最強治癒師でした」
## 第3章 王都奪還 第34話「澱みの糸」
五色の光を纏うアズマリアの前に、ガルシュタインが、静かに進み出た。
玉座の間は、もはや最初の面影をほとんど残していなかった。崩れかけていた壁も、無数の光の粒子に照らされ、まるで幻想的な神殿のように様変わりしている。だが、その美しさの奥底には、確かな緊張が張り詰めていた。額に滲む汗の粒、荒くなり始めた呼吸、そしてアズマリアの纏う光の輪郭が、時折、不安定に揺らめくのが、その場にいる誰の目にも見て取れた。空気には、これまでの甘い香りに混じり、微かに、鉄錆に似た、緊迫の匂いが忍び込んでいた。
「――ここからが、正念場だ」
ガルシュタインが、低く、重々しい声で告げた。
◇ ◇ ◇
「我らが差し出す力は、これまでのものとは、質が違う」
彼は、自らの掌を見下ろしながら続けた。
「千年間、《虚無》を代わりに引き受け続けたことで蓄積された、澱んだ魔力。……美しいものでは、決してない」
「構いません」
アズマリアは、荒い息の合間に、それでもはっきりと答えた。
「傷ついているものなら、何でも。……それが、私の力ですから」
◇ ◇ ◇
その決意に、ガルシュタインは、深く目を伏せた。
「――では、始めよう」
彼の背後、円陣を組んでいた魔族たちが、それぞれの手を重ね合わせる。黒く爛れた皮膚、歪んだ角、獣じみた瞳――その一体一体から、これまで見たどんな光とも違う、濁った、しかし確かな熱を持つ闇色の光が、立ち上り始めた。
◇ ◇ ◇
「――《澱魂献奏》」
ガルシュタインの詠唱と共に、その闇色の光が、一本の太い糸となって、アズマリアへと繋がった。
触れた瞬間――アズマリアの体を、これまでとは比較にならない衝撃が貫いた。
「――っ、ぐ……!」
思わず膝が崩れかける。流れ込んできたのは、千年分の苦しみそのものだった。
◇ ◇ ◇
同胞が醜く変貌していく姿を、なす術もなく見守り続けた絶望。理解されることのないまま、対話の余地すら与えられず、剣を向けられ続けた孤独。そして、それでも尚、諦めきれずに《神癒》を探し続けた、途方もない忍耐。
「――苦しい」
アズマリアの声が、掠れた。だが、その苦しみの奥に、確かな願いの光が、微かに灯っているのを、彼女は感じ取っていた。
◇ ◇ ◇
「アズマリア!」
ヴィルヘルムが、堪えきれずに叫んだ。今にも駆け寄ろうとする彼を、ハロルドが強く押しとどめる。
「待て! 今、術式の途中で乱せば、彼女自身が危険だ!」
「分かっている! だが……!」
ヴィルヘルムの拳が、痛いほど強く握りしめられていた。信じて見守ることの困難さが、彼の全身から、痛烈に滲み出ていた。
◇ ◇ ◇
「――大丈夫、です」
膝をつきかけながらも、アズマリアは、なんとか体を支え直した。
「この痛みは……皆さんが、千年間、耐え続けてきたものの、ほんの一部です。……これくらいで、音を上げるわけには」
その言葉に、円陣を組んでいた魔族たちの間から、驚きと感動の入り混じったどよめきが漏れた。
◇ ◇ ◇
「――人間の娘が、我らの苦しみを、そこまで慮ってくれるとはな」
甲冑を纏った、あの魔族の男が、震える声で呟いた。
「これまで、誰一人として、我らの痛みを理解しようとする者などいなかったというのに」
その声に応えるように、アズマリアの中で、闇色の光が、少しずつ、その質を変化させ始めた。
◇ ◇ ◇
澱み、腐り、絶望に染まっていたはずのその魔力が、アズマリアの力によって、ゆっくりと、しかし確実に、清められていく。
「――これは」
アロセールが、目を見張った。
「根源魔力への還元が、進んでいる。……澱んだ魔力が、本来の、清らかな性質を取り戻しつつある」
フェリクスが、震える手で記録を取りながら、興奮した声を上げた。
「千年間、誰も成し得なかった浄化が、今、まさに起きています……!」
◇ ◇ ◇
闇色だった光は、やがて、深い紫から、澄んだ藤色へと、静かに色を変えていった。それは、これまでのどの色とも違う、悲しみと希望が同居したような、複雑で美しい輝きだった。
「――ありがとう、アズマリア様」
ガルシュタインの声が、初めて、大きく震えた。
「千年、待ち続けた、その答えを……今、確かに、この目で見た」
◇ ◇ ◇
六色目の光が、アズマリアの中に完全に溶け込んだとき、彼女の体は、もはや自力で立っていることすら、困難になっていた。
「――アズマリア、もう」
ヴィルヘルムが、耐えきれずに、一歩、前へ踏み出した。
「あと、少しです」
アズマリアは、震える声で、それでも微笑んだ。
「あと、人々の祈りを繋げば……終わります」
◇ ◇ ◇
その言葉に、その場の誰もが、言葉を失った。彼女がどれほどの限界を超えて、なお前へ進もうとしているのか、痛いほど伝わってくる。
だが、止めることは、もう誰にもできなかった。
最後の糸――王国中に広がる、無数の人々の祈り。それを繋ぐ瞬間が、静かに、しかし確実に、迫っていた。
その先に待つものが、救いなのか、それとも、さらなる代償なのか――誰も、まだ、正確には知らなかった。




