EP33. 精霊と聖獣の糸
三色に染まった光を身に纏うアズマリアの前に、小さな影が、ひらひらと舞い降りた。
玉座の間の空気は、これまでにない密度で満たされていた。焦げた石の匂いに代わって、今は花の蜜にも似た、甘く優しい香りが漂い始めている。壁に反射する光は、七色に揺らめき、まるでこの場所全体が、巨大な万華鏡の中にあるかのようだった。かすかに、鈴の音のような、澄んだ音色が耳の奥に届いてくる。
「――あたしの番だね」
フィーだった。いつもの人懐っこい笑みを浮かべながらも、その声には、これまでにない真剣さが滲んでいる。
◇ ◇ ◇
「アズマリア、大丈夫? かなり、辛そうだけど」
「大丈夫です。……お願いします、フィー」
フィーは、小さく頷くと、両手を広げた。その体から、これまで見たどんな光とも違う、透き通るような緑と金の光が溢れ出した。
「精霊界の力を、ここに」
◇ ◇ ◇
その光が触れた瞬間、アズマリアの中に流れ込んできたのは、これまでの人間の記憶とは、全く質の異なるものだった。
言葉にならない、風の記憶。木々のざわめきの記憶。何百年、何千年という時をかけて、この世界を見守り続けてきた、精霊という存在そのものの、悠久の想い。
「――大きい」
アズマリアは、思わず声を漏らした。
「時間の流れ方が、違うんですね。……精霊にとっては、千年という時間も、そんなに、長くはないのかもしれません」
◇ ◇ ◇
『そうだよ』
フィーの声が、頭の中に直接響いた。
『だからこそ、あたしたちは、ずっと見てきたんだ。人間と魔族が、意味もなく傷つけ合い続けてきたのを。……本当は、もっと早く、誰かが気づくべきだった』
その言葉には、これまでの人間関係の和解とは違う、もっと大きな、世界そのものへの哀しみが滲んでいた。
◇ ◇ ◇
精霊の光が完全に馴染むと、アズマリアの纏う光に、透き通るような緑が加わった。四色に彩られたその輝きは、まるで極光のように、複雑に、しかし美しく絡み合っている。
「――次は、我の番だ」
低く、重々しい声と共に、白煌が、静かに歩み出た。
◇ ◇ ◇
白銀の毛並みが、これまでにない強い光を帯びている。額の聖印が、静かに脈動していた。
「そなたに、我が生命そのものを捧げよう」
「……生命、ですか」
アズマリアの声に、緊張が滲んだ。
「案ずるな。我が生命は、神代より受け継がれし、尽きることのないもの。捧げたところで、消え失せることはない」
白煌は、静かにそう告げると、額の聖印から、これまでで最も強く、そして温かい光を放った。
◇ ◇ ◇
その光に包まれた瞬間、アズマリアの中に流れ込んできたのは、これまでとは比較にならないほどの、根源的な安堵感だった。
まるで、母親に抱きしめられているかのような、原初的な温かさ。神代から今日まで、この世界を見守り続けてきた存在だけが持つ、揺るぎない安定感。
「――ありがとうございます、白煌」
アズマリアの声が、微かに震えた。それは、これまでの疲労とは違う、感動による震えだった。
◇ ◇ ◇
「――大丈夫か、アズマリア」
少し離れた場所から、ヴィルヘルムが、思わず声をかけた。
彼女の体を包む光は、今や五色に彩られ、これまでにない眩さを放っている。だが、その輝きとは裏腹に、アズマリアの足取りは、明らかに覚束なくなり始めていた。
「――まだ、です」
息を切らしながらも、アズマリアは、はっきりとそう答えた。
「まだ、魔族の皆さんの力と、たくさんの方々の祈りが、残っています」
◇ ◇ ◇
その言葉に、フェリクスが、震える声で呟いた。
「――これほどの規模の術式を、これほど短時間で処理し続けている。……理論上の限界値を、既に大幅に超えているはずです」
「それでも、彼女は、止まろうとしない」
アロセールが、静かに、しかし確かな緊張を滲ませて呟いた。
◇ ◇ ◇
五色の光を纏ったアズマリアは、それでも、まっすぐに前を見据えていた。
まだ、繋ぐべき糸が残っている。まだ、届けるべき想いが残っている。
その決意だけが、限界に近づきつつある体を、辛うじて支えていた。
だが、その決意すらも、次に待つ試練――魔族たちの、千年分の澱んだ魔力を前にして、これまで以上の代償を求められることになる。




