EP31. 轟雷の糸
紅蓮の温もりを内に抱いたまま、アズマリアは、次に進み出たアロセールと向き合った。
玉座の間に満ちる光は、先ほどよりもさらに明るさを増している。だが、その中心に立つアズマリアの額には、うっすらと汗が滲み始めていた。呼吸は、まだ落ち着いているものの、体の奥に、これまで感じたことのない重さが、静かに蓄積し始めている。空気を吸うたび、肺の奥に、微かな痺れのような感覚が残った。
「――辛くはないか」
アロセールが、静かに、しかし気遣うように問いかけた。
◇ ◇ ◇
「大丈夫です。……続けてください」
アズマリアの答えに、アロセールは、しばらく無言でその表情を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「――《轟雷献奏》」
彼女の掌に、これまでの荒々しい雷撃とは違う、静謐な光の粒子が集まっていく。パチパチと、微かに空気が帯電する音が、その場に響いた。
◇ ◇ ◇
放たれた雷の糸が、アズマリアへと繋がった瞬間、彼女の視界に、これまでとは違う種類の記憶が流れ込んできた。
厳格な家庭に育ち、感情を表に出すことを、ずっと抑え込んできた少女時代。誰よりも公平でありたいという、頑なとも言える信念。そして――アズマリアが追放されたあの日、何かを言いかけて、結局、口を噤んでしまった、あの一瞬の後悔。
「――アロセール様は」
アズマリアは、震える声で呟いた。
「あの日、私を庇おうとしてくださったんですね。……でも、何を言っても無駄だと、分かっていたから」
◇ ◇ ◇
アロセールの表情が、初めて、大きく揺れた。
「……気づいて、いたのか」
「はい。……あの謁見の間で。回廊で。……何度も、言葉にしようとしてくださっていたことに」
「それでも、結局、何も変えられなかった」
アロセールの声に、これまで隠し続けてきた自責の念が、初めて滲んだ。
「公平でありたいと願いながら、結局は、この国の物差しに従うことしかできなかった。……私は、聖女としても、一人の人間としても、あんたに、何もしてやれなかった」
◇ ◇ ◇
「そんなことは、ありません」
アズマリアは、まっすぐにアロセールを見つめた。
「あなたが、あの日、何か言おうとしてくれた。……それだけで、私にとっては、十分な救いでした」
その言葉に、アロセールの目元が、微かに緩んだ。彼女らしい、抑えた、それでいて確かな感情の発露だった。
「――そうか」
◇ ◇ ◇
雷の糸が、アズマリアの中に完全に溶け込んでいく。橙色に染まっていた光の輪が、そこに澄んだ青白い輝きを重ね、色彩を複雑に変化させていった。
「――負荷が、増しているな」
アロセールが、鋭くアズマリアの様子を観察しながら呟いた。呼吸のわずかな乱れ、額の汗、そして、微かに震え始めた指先。
「まだ、続けられるか」
「はい。……まだ、大丈夫です」
その答えに、確かな強がりが滲んでいることを、アロセールは見逃さなかった。だが、今はまだ、止める段階ではない。彼女は、静かにその場を退き、次の順番へと道を譲った。
◇ ◇ ◇
少し離れた場所で、この光景を見守っていたヴィルヘルムの拳が、無意識のうちに、きつく握りしめられていた。
助けたい。だが、助けることができない。ただ、見守ることしかできないもどかしさが、彼の内側で、静かに渦を巻いていた。
「――ヴィルヘルム様」
傍らに控えるハロルドが、低く声をかけた。
「今、口を挟めば、彼女の集中を乱すことになる。……今は、信じて見守る他ない」
その言葉に、ヴィルヘルムは、何も答えず、ただ小さく頷いた。
◇ ◇ ◇
紅蓮、そして轟雷――二つの力が、確かに結ばれた。
だが、まだ道のりは半ばにも達していない。衝撃、精霊、聖獣、魔族、そして人々の祈り。結ばれるべき糸は、まだ数多く残されている。
アズマリアの体に刻まれていく負荷は、静かに、しかし確実に、限界へと近づきつつあった。
その先に待つものを、まだ誰も、正確には知らなかった。




