EP30. 紅蓮の糸
封印紋様の中心、アズマリアの体から立ち上る光は、静かに、しかし確実に、その輝きを増していった。
玉座の間全体が、その光に包まれ、これまでの陰鬱な暗がりが、淡い金色に塗り替えられていく。石床に反射する光が、天井の高い暗がりにまで届き、砕けた硝子片のように揺らめいていた。空気には、これまでの澱んだ匂いに代わって、どこか清涼な、雨上がりの草原にも似た香りが漂い始めている。誰もが、息を呑んで、その光景を見守っていた。
「――エレオノーラ、最初は頼む」
ヴィルヘルムの声に、エレオノーラは深く頷いた。
◇ ◇ ◇
真紅の髪が、静電気を帯びたように、ふわりと逆立つ。金色の瞳が、これまでにない集中の色を宿していた。
「――《紅蓮献奏》」
これまで一度も使ったことのない、儀式専用の詠唱式だった。フェリクスが古代文字から編み直した、力を「解き放つ」のではなく「捧げる」ための術式。エレオノーラの掌に、これまで見たどんな炎とも違う、穏やかな赤い光が灯った。
◇ ◇ ◇
その光が、糸のように細く伸び、アズマリアへと向かっていく。
「――あ」
触れた瞬間、アズマリアの体を、燃えるような熱が駆け抜けた。だが、それは苦痛ではなかった。むしろ、凍えていた体の芯に、じんわりと火が灯っていくような、不思議な温かさだった。
「エレオノーラの、熱……」
思わず呟くと、頭の中に、エレオノーラの記憶の断片が、淡く流れ込んできた。幼い頃、初めて炎の魔法を制御できた日の喜び。戦場で仲間を守れた誇り。そして――アズマリアを「役立たず」と呼ぶ声に、内心では違和感を覚えながらも、何も言えなかった、あの日々の後悔。
◇ ◇ ◇
「――繋がって、いる」
アズマリアの声に、驚きが滲んだ。
「エレオノーラの想いが、そのまま、伝わってきます」
その言葉に、エレオノーラの目が、大きく見開かれた。
「あたしの、想い……?」
「はい。……ずっと、心の中で謝りたかったんですね」
その一言に、エレオノーラの瞳が、みるみる潤んでいった。
「――ごめん。ずっと、言えなかった。あんたが役立たずなんかじゃないって、本当は、分かってたのに」
◇ ◇ ◇
「今、伝わりました」
アズマリアは、静かに微笑んだ。
「ありがとうございます、エレオノーラ」
その瞬間、エレオノーラから流れ込む光が、一層、強く、温かいものへと変わっていった。想いが言葉として解放されたことで、力そのものの質が、変化していくかのようだった。
◇ ◇ ◇
「――興味深い」
少し離れた場所で見守っていたアロセールが、静かに呟いた。
「魔力の伝達に、記憶や感情までもが乗るというのか。……根源術式の理論としては、あり得る話だが」
フェリクスが、震える手で羊皮紙に何かを書き付けながら答えた。
「《神癒》が対象の『あるべき姿』へ働きかける力である以上、当然の帰結、なのかもしれません。……力だけでなく、それを生み出す心そのものを、繋いでいるのでしょう」
◇ ◇ ◇
紅蓮の光が、アズマリアの中に完全に溶け込んだとき、彼女の周囲を包む光の色が、これまでの淡い金色から、温かな橙色へと変化した。
「――次だ」
ヴィルヘルムの声に、アロセールが、静かに一歩、前へ進み出た。
長い金の髪を一本に編んだその横顔に、これまでにない、確かな緊張と、それでも揺るがない覚悟が浮かんでいる。
「――私の番、か」
◇ ◇ ◇
その光景を見つめながら、ガルシュタインは、静かに呟いていた。
「千年前、失われたはずの《神癒》が、再びこの世界に顕現する瞬間を、我らはこうして目にしている」
その声には、抑えきれない感慨が滲んでいた。
◇ ◇ ◇
だが、この儀式は、まだ始まったばかりだった。
紅蓮の力は、繋がった。だが、その先には、轟雷、衝撃、そして精霊、聖獣、魔族、人々の祈り――結ばれるべき糸は、まだ数多く残されている。
一つ一つの糸が結ばれるたび、アズマリアの体には、確実に、負荷が積み重なっていく。
その先に何が待っているのか、この場にいる誰もが、まだ、正確には知らなかった。




