Ep29. 儀式の刻
魔王城、玉座の間。
崩れかけていた天井は、応急の補強によって、辛うじてその形を保っていた。中央の封印紋様――その周囲には、これまで集められたすべての力の担い手たちが、円を描くように配置されている。松明の炎が幾重にも焚かれ、赤々とした灯りが、広間全体を包み込んでいた。焦げた石の匂い、そして、これから起きることへの緊張が、空気そのものを張り詰めさせている。誰の耳にも、自分自身の心臓の鼓動が、やけに大きく聞こえていた。
アズマリアは、その紋様の中心に立っていた。
◇ ◇ ◇
「――最終確認だ」
ヴィルヘルムが、集まった一同を見渡しながら、低く、しかし力強い声で告げた。
「エレオノーラ、アロセール、リザ。……そなたたちは、自らの属性魔力を、アズマリアへ向けて解き放つ。フィーと精霊たちは、自然の力を。白煌をはじめとする聖獣たちは、生命力を」
彼の視線が、次に、少し離れた場所に控えるガルシュタインたちへ向けられる。
「そして、魔族の皆さんは、千年間守り続けてきた、あの澱んだ魔力を」
◇ ◇ ◇
「――すべてを、アズマリアが結節点となって繋ぎ合わせる。それが、この儀式の骨子だ」
フェリクスが、震える声で補足した。老司書の目には、これまでの徹夜の作業による疲労と、それでも消えない強い使命感が、同時に浮かんでいた。
「一つだけ、申し上げておかねばなりません。……この規模の力を通す以上、アズマリア様への負荷は、想像を絶するものになるでしょう」
その言葉に、広間の空気が、一段と重くなった。
◇ ◇ ◇
「――大丈夫です」
アズマリアは、静かに、しかしはっきりと告げた。
「怖くないと言えば、嘘になります。……でも、一人ではありません。皆さんがいます。それに」
彼女は、胸元に下げた、バルトロから貰った古い護符に、そっと触れた。
「王都からも、辺境からも、たくさんの祈りが、私に届いています。その温かさを、もう、感じています」
◇ ◇ ◇
「――アズマリア」
ヴィルヘルムが、静かに歩み寄ってきた。他の誰にも聞こえないよう、声を落として続ける。
「儀式が始まれば、俺には、あんたを助けることはできない。ただ見ていることしかできない」
「はい」
「それが、どれほど歯痒いことか。……あんたには、分からないだろうな」
その言葉に、アズマリアは、少しだけ微笑んだ。
「分かります。……だって、私も同じ気持ちで、あなたが戦場に立つのを、何度も見てきましたから」
◇ ◇ ◇
ヴィルヘルムは、一瞬、虚を突かれたような顔をしたあと、小さく笑った。
「――そうか。そうだったな」
彼は、アズマリアの両手を、そっと包み込むように握った。
「終わったら」
「はい?」
「終わったら、また、話す。……今度こそ、ちゃんと」
その言葉に込められた意味を、アズマリアは正確には理解できなかった。だが、その温かさだけは、はっきりと胸に伝わってきた。
◇ ◇ ◇
「――時間だ」
ガルシュタインの声が、静かに響いた。
封印紋様の中心、《虚無》の気配が、これまでにない強さで脈動している。もう、これ以上の猶予はない。
「皆、配置に」
その号令と共に、円を描いていた一同が、それぞれの持ち場へと、静かに動き始めた。
◇ ◇ ◇
エレオノーラが、真紅の髪を風に揺らしながら、深呼吸をした。金色の瞳に、これまでにない真剣な光が宿っている。
「――アズマリア。全部、預けるから」
「はい。……ありがとうございます」
アロセールが、静かに頷いた。長い金の髪を一本に編んだその横顔には、いつもの冷静さの奥に、確かな信頼が滲んでいた。
「――私たちの力、無駄にはさせない」
リザが、拳を握りしめながら、力強く言った。短く刈り込んだ赤茶の髪の下、その瞳には、もう迷いの色はなかった。
「行くぞ、アズマリア!」
◇ ◇ ◇
フィーが、アズマリアの肩に、そっと降り立った。
『大丈夫。あたしたち、ずっと一緒だから』
白煌が、静かに寄り添い、低く唸るように鳴いた。
『恐れることはない。そなたの傍らに、我がいる』
その温かな気配に包まれながら、アズマリアは、深く息を吸い込んだ。
◇ ◇ ◇
ガルシュタインが、最後に、まっすぐアズマリアを見つめた。
「千年、待ち続けた。……そなたが、その願いを叶えてくれることを、心の底から信じている」
「――お任せください」
その答えに、ガルシュタインは、静かに、深く頭を下げた。
◇ ◇ ◇
すべての準備が、整った。
アズマリアは、両手を大きく広げ、封印紋様の中心に立った。胸の奥で、これまでのすべての記憶が、静かに巡っていく。
王都で過ごした孤独な十八年間。追放された日の絶望。辺境で出会った、かけがえのない人々。そして、今、自分を支えてくれる、無数の想い。
「――始めます」
その一言と共に、アズマリアの体から、これまでにない規模の光が、静かに立ち上り始めた。
すべての力が結ばれる、その瞬間が、今、ようやく訪れようとしていた。




