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Ep25. 一人じゃない

魔王城から少し離れた、崩れかけの砦の陰。


 一行は、ひとまずそこに身を寄せていた。石壁の隙間から吹き込む夜風が、焚き火の炎を頼りなく揺らしている。パチパチと爆ぜる薪の音、遠くから響く、地鳴りにも似た《虚無》の気配。焦げた木の匂いに混じって、誰かの纏う血の匂いが、じっとりと鼻の奥に残っていた。誰も、多くを語らなかった。今しがた目にした真実の重さが、まだ誰の中にも、うまく収まりきっていなかった。


 アズマリアは、焚き火から少し離れた場所で、膝を抱えて座っていた。


   ◇ ◇ ◇


 「――少し、いいか」


 声をかけてきたのは、ヴィルヘルムだった。焦げ茶の髪には土埃が絡み、頬には小さな擦り傷ができている。それでも、その眼差しだけは、いつもと変わらない強さを保っていた。


 「はい」


 隣に腰を下ろしたヴィルヘルムは、しばらく無言で焚き火を見つめていた。


 「――さっき、玉座の間で。あんたは、迷いなく前へ出ようとしていた」


 「……はい」


 「あの時、あんたの頭の中には、何があった」


 その問いに、アズマリアは正直に答えることを選んだ。


 「自分の力なら、届くかもしれない。それだけです。……この身がどうなるかまでは、正直、考えていませんでした」


   ◇ ◇ ◇


 ヴィルヘルムは、しばらく黙り込んだ。焚き火の炎が、彼の横顔に、揺らめく陰影を刻んでいる。


 「あんたは、昔からそうなのか。自分の命を、いつも二の次にする」


 「……そう、なのかもしれません」


 王都にいた頃、負傷者を治療するたび、自分の魔力残滓を気にすることは一度もなかった。倒れるまで、限界まで、それが当然だと思っていた。誰も止めてくれなかったから。誰も、止める必要があると、考えてすらいなかったから。


 「だが、ここでは違う」


 ヴィルヘルムが、まっすぐにアズマリアを見た。


   ◇ ◇ ◇


 「世界なんてどうでもいいとは言わない」


 その声には、これまで聞いたことのない、切実な響きがあった。


 「だが、お前がいない世界を救えと言われても、俺には無理だ」


 その一言が、アズマリアの胸の奥深くに、まっすぐ突き刺さった。


 「ヴィルヘルム……」


 「セーラも、ハロルドも、フィーも、白煌も。……あの辺境の誰もが、あんたが帰ってくることを、当たり前のように待っている。それを、あんた一人の判断で、無いことにしないでくれ」


   ◇ ◇ ◇


 アズマリアは、しばらく言葉が出なかった。


 王都で過ごした十八年間、自分の存在は、常に何かの手段だった。国のため、聖女としての務めのため。自分自身が生きたいかどうかなど、考える余地すら与えられなかった。


 だが今、目の前にいる人は、そのすべてを覆すような言葉を、まっすぐに向けてくれている。


 「――私も」


 声が、微かに震えた。


 「私も、生きたいです」


 その一言を口にした瞬間、これまで胸の奥に凝り固まっていた何かが、静かに、しかし確かに、解けていくのを感じた。


   ◇ ◇ ◇


 ヴィルヘルムは、少しだけ驚いたような顔をしたあと、ふっと表情を緩めた。


 「――なら、方法を考えよう。あんた一人で背負う必要は、どこにもない」


 その時、少し離れた場所で様子を見ていたフィーが、ひらひらと飛んできて、アズマリアの肩に降り立った。


 『ねえ、あたし、思うんだけどさ』


 「フィー」


 『《神癒》って、本当に一人で全部やる力なのかな。……あなた、これまでずっと、一人で背負おうとしてきたけど』


 その問いかけに、アズマリアは、はっとした。


   ◇ ◇ ◇


 「――どういう意味だ」


 ヴィルヘルムが、身を乗り出す。フィーは、いつもの人懐っこい調子とは違う、真剣な声で続けた。


 『精霊も、聖獣も、あなたの力に惹かれて集まってきた。……つまり、あなたの力は、繋がる力なんだと思う。癒やすだけじゃなくて、繋げる力』


 その言葉に、アロセールが顔を上げた。


 「繋げる、というのは……属性魔力の共有結合のようなものか」


 「もしそうなら」


 エレオノーラも、身を乗り出す。


 「あたしたちの魔力を、アズマリアが受け渡し合えるかもしれない、ってこと?」


   ◇ ◇ ◇


 「一人で虚無に立ち向かうんじゃなくて、皆で立ち向かう、ということか」


 ヴィルヘルムが、確かめるように呟いた。フィーは、こくりと頷いた。


 『あたしも、精霊王様に相談してみる。他の精霊たちにも、力を貸してくれるよう頼んでみるよ』


 白煌が、静かに歩み寄り、アズマリアの膝に頭を乗せた。


 『我も、そなたの力になろう。神代より受け継いだこの身、無駄にはさせぬ』


   ◇ ◇ ◇


 その光景を見つめながら、アズマリアの胸に、これまで感じたことのない、確かな希望が灯り始めていた。


 一人で背負う必要はない。癒やすことしかできないと思っていた自分の力が、こんなにも多くの存在を繋ぎ、寄り添わせている。


 「――ありがとう、皆さん」


 その声には、もう震えはなかった。


   ◇ ◇ ◇


 夜が更ける中、一行は、これから成すべきことの輪郭を、少しずつ描き始めていた。


 精霊たちの力。聖獣の力。四聖女の魔力。そして――まだ姿を見ぬ、魔族たちの力。


 すべてを繋ぎ合わせることができれば、あの《虚無》にすら、対抗できるかもしれない。


 だが、それを成し遂げるためには、まだ、いくつもの壁を越えなければならない。


 崩れかけた砦の空の下、次なる戦いへの計画が、静かに、しかし確実に、動き始めていた。

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