Ep22. 探し続けた奇跡
玉座の間に、再びガルシュタインの声が響き始めた。
窓の外――いや、この城に窓と呼べるものはほとんどない。わずかな採光口から差し込む光の筋だけが、埃の粒子をゆっくりと舞わせながら、床に淡い線を描いていた。誰かが息を呑む音、衣擦れの音、それだけが、この張り詰めた静寂を辛うじて満たしている。
「歴代の魔王は、世界を滅ぼそうとしていたのではない」
ガルシュタインは、まっすぐにアズマリアを見据えた。
「限界を迎えつつある同胞を救うため……ずっと、探し続けていたものがある」
◇ ◇ ◇
「それが、《神癒》」
その一言に、アズマリアの心臓が、大きく跳ねた。
「千年前、一度だけこの世界に顕現し、そして姿を消した奇跡。……我らはずっと、それが再びこの世界に生まれることを、待ち続けてきた」
「待って、いた……?」
「そうだ。《神癒》こそが、《虚無》に蝕まれ続けてきた我らの大地を、あるべき姿へ戻せる唯一の力だと、代々語り継がれてきた」
◇ ◇ ◇
「では、王国への侵攻は……」
ヴィルヘルムが、険しい表情のまま尋ねる。ガルシュタインは、苦しげに目を伏せた。
「《神癒》の気配を、人間の国の奥深くに感じ取ったことが、始まりだった。歴代魔王は、それを求めて、幾度となく人間の国境を越えた」
「求めるだけなら、話し合えばよかっただろう」
アロセールが、静かに、しかし鋭く指摘する。ガルシュタインは、力なく首を振った。
「試みなかったわけではない。だが――」
◇ ◇ ◇
「人間側は、我らの姿を見た瞬間、対話の余地なく、攻撃してきた」
その言葉に、その場の誰もが、返す言葉を失った。
「虚無に蝕まれ、醜く変貌した我らの姿は、人間にとって、恐怖と嫌悪の対象でしかなかったのだろう。……それも、無理からぬことだ」
ガルシュタインの声には、恨みよりも、諦めに近い響きがあった。
「幾度、言葉を尽くそうとしても、届く前に、剣が振り下ろされる。それが千年間、繰り返されてきた」
◇ ◇ ◇
「そうして、いつしか、我らの行いは『侵略』とだけ記録され、人間側の記録には、対話を試みたという事実そのものが、残らなくなっていった」
その説明に、アズマリアは、王国で教えられてきた歴史の授業を思い出していた。「魔王軍は、理由なき侵略者である」――そう、当然のように教え込まれてきた。疑うことすら、許されなかった。
「……知りませんでした。そんな、事情があったなんて」
「知る術も、与えられなかっただろう。……両者の間には、あまりにも深い、断絶があった」
◇ ◇ ◇
エレオノーラが、震える声で尋ねた。
「じゃあ、あなたたちがずっと欲しかったのは……戦争じゃなくて、《神癒》だったの?」
「その通りだ」
ガルシュタインは、まっすぐにエレオノーラを見た。
「我らが本当に求めていたのは、征服でも、破壊でもない。……ただ、同胞を救う手立て、それだけだった」
◇ ◇ ◇
沈黙が、玉座の間を満たした。
誰もが、これまで信じてきた「正義」と「悪」の境界が、根底から崩れ去っていくのを感じていた。王国が長年掲げてきた「魔王軍との戦い」――その正当性そのものが、静かに、しかし確実に、揺らいでいた。
アズマリアは、自分の両手を見下ろした。
もし、この手が本当に《神癒》であるならば――自分は、千年間続いてきたこの誤解と苦しみに、終止符を打てるかもしれない。
その可能性の重さに、体の芯が震えるのを感じた。
◇ ◇ ◇
「――だが」
ガルシュタインが、ふいに表情を強張らせた。
「悠長に語っている時間は、もう、あまり残されていないかもしれぬ」
「どういう、意味だ」
ヴィルヘルムが、即座に問い返す。ガルシュタインは、床に視線を落とし、押し殺した声で告げた。
「そなたが、王国の結界から離れたことで弱まったものが、もう一つある。……それに、気づいていないわけではないだろう」
その言葉に、アズマリアの背筋を、冷たいものが走った。
まだ、語られていない真実が、もう一つ、この場に残されていた。




