↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
21/148

Ep21. 世界の傷

玉座の間に満ちる静寂の中、ガルシュタインの声だけが、低く、途切れることなく続いていた。


 燭台の炎はいつの間にか小さくなり、揺れる灯りが、聞き入る一同の顔に、不安定な陰影を刻んでいる。誰も、身じろぎ一つしなかった。石床から伝わる冷たさすら、今はもう、誰の意識にも上っていないようだった。


 「千年前――この世界そのものが、異界より流れ込んだ《虚無》という災厄によって、侵食され始めた」


   ◇ ◇ ◇


 「虚無……」


 アズマリアが、思わずその言葉を繰り返す。フェリクスの解読で見た、あの一節――《世界の傷、都の地下深くに眠る》――が、脳裏に鮮やかに蘇った。


 「そなたたちの言葉で表すなら、傷、というのが最も近いだろう」


 ガルシュタインは、静かに続けた。


 「炎で焼くことも、剣で断つことも、魔法で砕くこともできぬ。それは、生き物でも、物質でもない。世界という一つの体そのものに刻まれた、癒えぬ裂け目だ」


   ◇ ◇ ◇


 「放っておけば、どうなっていたんだ」


 ヴィルヘルムが、険しい表情のまま問う。


 「世界そのものが、内側から崩壊していただろう。……大地が、海が、空が、そして、そこに生きるすべての者が、その裂け目に呑まれて消えていた」


 その規模の話に、誰もが言葉を失った。国同士の争いなど、この話の前では、あまりにも矮小に感じられるほどの、途方もない脅威だった。


 「神々は、その傷を、完全に癒やす術を持たなかった」


 ガルシュタインの声に、深い苦渋が滲む。


 「だから、代わりに――その傷を、我ら魔族の大地へと、押し込めることを選んだ」


   ◇ ◇ ◇


 「押し込めた、というのは……」


 エレオノーラが、恐る恐る尋ねる。


 「世界全体が滅びるよりは、一部の民が、その苦しみを引き受ける方がまし――そういう判断だったのだろう」


 ガルシュタインの拳が、膝の上できつく握りしめられていた。


 「我らが醜い魔物へと変貌していくのも、この大地が腐り続けるのも……すべて、《虚無》の侵食を、千年間、代わりに受け続けてきたからだ」


   ◇ ◇ ◇


 その言葉に、アズマリアの脳裏に、国境で出会った、あの苦しげにうずくまっていた魔物の姿がよぎった。


 黒く爛れた体。歪んだ輪郭。あれは、ただの怪物などではなかった。世界の傷を、その身に引き受け続けてきた、かつての民の成れの果てだったのだ。


 「――ひどい」


 思わず漏れた声に、自分でも驚いた。悲しみとも、怒りともつかない感情が、胸の奥から込み上げてくる。


   ◇ ◇ ◇


 「同情は、いらぬ」


 ガルシュタインが、静かに、しかしはっきりと言った。


 「これは、千年前に交わされた、神々と我らの祖先との間の、契約に等しいものだ。誰かを恨むための話ではない」


 「でも……」


 「そなたが憤ってくれる、その気持ちだけで、我らには十分すぎるほどの慰めだ」


 その言葉に、アズマリアは、ただ静かに頷くことしかできなかった。


   ◇ ◇ ◇


 少し離れた場所で、リザが、震える声で呟いた。


 「じゃあ、あたしたちが今まで殺してきた魔物たちは……」


 その先を、彼女は続けられなかった。剣を握る手が、微かに震えている。歴戦の誇りを持って戦い続けてきた彼女にとって、この真実は、あまりにも重い代償を伴うものだった。


   ◇ ◇ ◇


 「――だが、まだ話は終わっていない」


 ガルシュタインが、一同の動揺を見透かすように、静かに続けた。


 「なぜ、歴代魔王が王国へ攻め入り続けてきたのか。その理由にこそ、そなたたちが本当に知るべき真実がある」


 その言葉に、アズマリアの胸に、新たな緊張が走った。


 語られるべき真実は、まだ、その半分にも達していなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。