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Ep20. 跪く魔王

魔王城、玉座の間。


 巨大な尖塔から差し込むわずかな光が、黒曜石で組まれた床に、鈍い反射を落としていた。天井は見上げるほどに高く、その暗がりからは、絶えず、すすり泣くような風の音が響いてくる。空気は冷たく、澱んでいた。石壁に染み付いた、鉄と、古い血の匂いに似た何かが、鼻の奥にまとわりつく。踏み込むたびに響く足音だけが、やけに大きく、この広間の静けさを際立たせていた。


 その最奥、玉座に座していたのは――想像していたような、禍々しい怪物ではなかった。


   ◇ ◇ ◇


 長い黒髪を持つ、痩身の男だった。額に二本の黒い角を戴き、瞳は深い紫。その姿には、確かに人ならざる異形の気配が滲んでいる。だが、玉座に沈み込むように座るその佇まいには、覇気というより、深い疲労が色濃く滲んでいた。


 「――来たか」


 低く、しかし穏やかな声だった。ヴィルヘルムが即座に剣を構える。エレオノーラたちも、緊張した面持ちで臨戦態勢を取った。


 「動くな。何が起きるか分からん」


 ハロルドが低く警告する。だが、魔王と呼ばれたその男は、玉座から静かに立ち上がると――剣を抜くどころか、ゆっくりと膝を折り、跪いた。


   ◇ ◇ ◇


 「――魔王が、跪いた……?」


 誰かが、呆然とした声を漏らす。広間全体が、水を打ったように静まり返った。


 「……ようやく来たか。《神癒》よ」


 その言葉が、アズマリアの体を、凍りつかせた。


 「私を、ご存知なのですか」


 「知っている、というより――待ち続けていた、というべきだろう。千年もの間」


 魔王は、深く頭を垂れたまま、震える声で続けた。


 「我が名はガルシュタイン。歴代魔王が背負い続けた、この座を継ぐ者だ」


   ◇ ◇ ◇


 その名乗りに、居並ぶ一同の間に、困惑がさらに広がった。敵の総大将であるはずの存在が、まるで恭順するかのように頭を垂れている。これまで積み重ねてきた「魔王軍は侵略者だ」という前提そのものが、静かに揺らぎ始めていた。


 「――どういう、つもりだ」


 ヴィルヘルムが、剣を構えたまま、警戒を解かずに問う。


 「攻め込んできたのは、貴様らの方だろう。それを、今更、恭順の姿勢だと?」


 ガルシュタインは、ゆっくりと顔を上げた。その紫の瞳には、これまでこの物語のどの敵にも宿っていなかった、深い悲哀が浮かんでいた。


 「そなたたちが、我らを『敵』と呼ぶのは、無理もない。だが――我らの側にも、千年間、語られることのなかった事情がある」


   ◇ ◇ ◇


 その言葉に、アロセールが小さく息を呑んだ。


 「事情、というのは」


 ガルシュタインは、しばらく沈黙した。まるで、これから語る言葉の重さを、自分自身に確かめるかのような、長い間だった。


 「――説明を、聞かせてもらおう」


 ヴィルヘルムが、警戒を緩めないまま、静かに促した。


 アズマリアは、胸の奥に押し寄せる、名状しがたい予感を抑えきれずにいた。これから語られる真実が、これまで自分たちが信じてきた歴史そのものを、根底から覆すことになる――そんな確信に近い予感が、静かに、しかし確かに、胸を締め付けていた。


   ◇ ◇ ◇


 城の奥、風の音だけが響く静寂の中、ガルシュタインは、ゆっくりと口を開いた。


 「すべては、千年前――この世界に、まだ神々がいた時代にまで、遡る」


 その一言と共に、玉座の間の空気が、これまでとは違う、重く張り詰めたものへと変わっていった。


 これから語られる物語が、アズマリア自身の、そしてこの世界そのものの運命を、大きく揺るがすことになる。


 誰も、まだその全貌を知らない。

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