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Ep02. 王城の値踏み

王城中央棟、大謁見の間。


 磨き上げられた大理石の床は、無数の燭台の炎を映してぼんやりと発光しているように見える。天井まで届く色硝子の窓からは、夕暮れの残光が斜めに差し込み、床の上に赤や紫の光の帯を落としていた。荘厳、という言葉のために作られたような空間だ。だがアズマリアはその美しさを、いつも少しだけ冷たいものとして感じていた。石造りの部屋特有のひんやりとした空気が、絹の礼服越しにも肌へ染みてくる。


 その日、謁見の間に召集されていたのは、四人の聖女だった。


 「――遅いぞ、アロセール」


 最初に口を開いたのはリザだった。十五歳という年齢に見合わず、その立ち姿には歴戦の気配が宿っている。短く刈り込んだ赤茶の髪、鍛え上げられた四肢、腰に佩いた儀礼用の剣にすら余計な飾り気がない。実戦を誇りとする者特有の、無駄のない佇まいだった。


 「……昨夜の任務が長引いた。飛竜三体、地上に落とすのに手間取ってな」


 答えたのはアロセール。長い金の髪を一本に編み、感情の起伏をほとんど表に出さない、静かな声。轟雷を操るその手は、今も微かに帯電しているように見える――それはただの錯覚ではない。彼女の魔力は常に体表に薄い雷膜を纏わせており、それが視覚的な緊張感を生んでいるのだ。


 「三体一晩で落とすとか、相変わらず化け物だなお前」

 「褒め言葉として受け取っておく」


 二人のやり取りに、少し離れた場所に立つエレオノーラがくすくすと笑う。真紅の髪をふわりと揺らし、金色の瞳を軽く細めて。裏表のない、太陽のような気質の持ち主だった。


 「もー、二人とも殺伐としすぎ。せっかくの謁見なんだから、もうちょっと華やかにいこうよ」


 アズマリアは少し離れた場所に立ち、そのやり取りを静かに見ていた。四人並んで壇上へ向かうとき、いつも視線の温度が違うことに気づいている。エレオノーラたちへ向けられる視線には熱がある。憧憬という名の熱が。自分へ向けられる視線には、それがない。あるとすれば、それは「一応いる」という程度の、義務的な確認だけだった。


   ◇ ◇ ◇


 王グランツ・アルバレスが玉座から告げたのは、聖女序列制度の見直しについてだった。


 「昨今の戦況を鑑み、各聖女の戦功に応じた待遇の再編を検討している。……無論、これは公平を期すためのものだ」


 「公平」という言葉が、アズマリアの耳にはやけに空虚に響いた。この国での公平とは、常に「どれだけ敵を屠ったか」という一本の物差しでしか測られない。


 大神官グレゴリウスが一歩前に出て、口を開く。白髪を後ろに撫でつけた、痩身の老人だった。その双眸には常に、何かを値踏みするような光がある。


 「陛下の仰る通りです。聖女とは本来、国難において最大の戦果をもたらす者。戦果こそが聖性の証明――それが神殿の伝統的解釈でございます」


 「――大神官様」


 初めてアロセールが口を挟んだ。表情はいつも通り動かないが、声にはわずかな棘があった。


 「戦果とは、攻撃魔法だけで測れるものでしょうか。アズマリアの回復術式がなければ、我々の誰もがとうに前線で果てていたはずです。その貢献は、数値化しにくいというだけで、無価値というわけではないはずですが」


 場が一瞬、静まる。グレゴリウスの薄い唇が、微かに歪んだ。


 「アロセール殿の仰ることも一理ある。しかし――治療とは、いわば守りの術式。攻めの術式と同列に語るのは、いささか筋が違うでしょう」


 その言葉に、アズマリアは何も返さなかった。反論する言葉を持っていなかったわけではない。ただ、この場でそれを口にしたところで、何も変わらないことを、経験則として理解していたからだ。


   ◇ ◇ ◇


 謁見が終わった後、回廊でアロセールに呼び止められた。


 「アズマリア」


 「……アロセール様」


 「様はいい。……今日は、悪かったな。余計な口を挟んで、お前の立場をさらに悪くしたかもしれん」


 「いえ。ありがとうございます、庇っていただいて」


 アロセールはしばらく黙り込んだあと、窓の外――夕陽に染まる王都の街並みへ視線を移した。


 「私は、お前の力を過小評価すべきではないと思っている。だが、この国の物差しは変わらん。変えられるとすれば、それは……」


 言いかけて、彼女は口を噤んだ。何かを言おうとして、やめたような間だった。


 「それは?」


 「……いや、何でもない。忘れてくれ」


 その日の彼女の横顔に浮かんでいた、微かな逡巡の色を、アズマリアはこの時まだ正しく読み取ることができなかった。


   ◇ ◇ ◇


 その夜、私室を訪れたのは婚約者――第二王子ユリウスだった。


 金の髪に鋭い目つき、鍛え上げられた体軀。誰が見ても「英雄然とした王子」という言葉がよく似合う容姿をしている。だが、アズマリアの前に立つとき、その目にはいつも隠しきれない苦さのようなものが滲んでいた。


 「アズマリア。……体調は」


 「問題ありません、殿下」


 定型文のような会話。かつては、もう少し違う言葉を交わしていたはずだった。だがそれがいつからか、この空虚な確認だけに変わってしまった。


 ユリウスはしばらく黙って窓辺に立っていたが、やがて振り返らずに言った。


 「近々、宮廷で聖女序列の再編案が正式に発表される。……お前も、噂ぐらいは耳にしているだろう」


 「ええ」


 「俺は、その、」


 言葉を継ごうとして、ユリウスは結局それ以上何も言わなかった。何を言いかけたのか、アズマリアには分からない。分かりたいとも、正直なところ、もう強くは思えなかった。


 沈黙が部屋を満たす。窓の外では夜風が庭木を揺らし、葉擦れの音が微かに届いていた。


   ◇ ◇ ◇


 その夜も、アズマリアは神殿最奥の聖樹へ向かった。


 石造りの回廊を渡る足音だけが、静まり返った神殿に響く。聖樹の間に足を踏み入れると、そこだけ空気の質が違うことに、彼女はいつも気づいていた。冷たいはずの石の床が、聖樹の根元だけ、ほんの少し温かい。


 膝をつき、両手を組んで祈る。


 理由は分からない。ただ、幼い頃からずっとそうしてきたから。それだけの、意味を失った習慣。


 祈りを捧げる間、聖樹の幹から溢れる淡い光が、根を伝ってゆっくりと地下へと流れ込んでいく。その光景を、アズマリアは今夜も、ただ静かに見つめていた。


 誰も、その光の行き先を知らない。


 彼女自身さえも。


   ◇ ◇ ◇


 だが、この日を境に、宮廷内の空気は目に見えて変わっていく。


 聖女序列の再編案。婚約者の煮え切らない態度。噂話に混じり始める、聞き慣れない単語――「破棄」という、鋭い刃のような二文字。


 アズマリアはまだ知らない。


 自分がこの城で祈りを捧げるのは、今夜が最後から数えて、そう遠くないということを。

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