EP119.島を囲む輪
朝の浜辺は翼の影に覆われていた。
空から降りてくる飛竜の巨体が白い砂を巻き上げ潮の匂いに乾いた鱗と革鞍の匂いが混じる。羽ばたきの風圧に髪も外套も背へ押しつけられ耳の奥では低い唸りが絶え間なく響いていた。一頭また一頭と着地するたびに島の子供たちが目を丸くして歓声を上げる。
最初に飛竜から降り立ったのはブランシュ伯だった。厚い胸板に軍装を纏った壮年の貴族は砂に靴を沈めながらアズマリアに向かって胸に手を当てる。
「約束通り来たぞ。うちの四十人と各領から集めた八十人だ」
「ありがとうございます。まさか本当に一日で」
「分かち合う繁栄とはこういうことだろう。それに」
伯が顎で後ろを指した。最後に降りてきた飛竜の背から紅い髪が揺れた。
「アズマリア!」
金色の瞳を輝かせたエレオノーラが砂浜を駆けてくる。大神官の白い礼装の裾をたくし上げた姿に周囲の魔術師たちが目を丸くした。
「エレオノーラ。あなたまで」
「当たり前でしょ。友達が呼んでるのに大神官の椅子に座ってなんかいられないわよ。神殿の皆には置き手紙してきたから!」
彼女は笑ってアズマリアに抱きついた。
◇ ◇ ◇
昼前には島の浜辺に百二十人を超える術者が整列した。アズマリアが島の地図を広げヴィルヘルムが縄と杭で輪の位置を描いていく。
「外輪が島の者たち。潮の満ち引きの拍を担う。中輪が大陸から来た百二十人。想いの共鳴を重ねる。そして内輪に結節点を四人置く」
ヴィルヘルムが砂の上に三重の円を描き終えた。
「内輪はイサベル様とナディアそれにセーラとエレオノーラだ。真ん中で呼ぶのがアズマリア」
「連ね結びの応用ですね」
フェリクスがいつの間にか島に来ていた。精霊便で呼ばれた老書記は杖をつきながらも嬉しそうに笑っている。
「結節点を四つに分け中心の呼び手を四方から支える。この形なら呼び手に流れ込む負荷が四分の一になる計算ですぞ」
試しの術式が始まった。外輪の島人たちが太鼓を叩き始める。
「ドン、ド、ドン」
島の拍は大陸の者には聞き慣れない三拍子だった。中輪の術者たちの詠唱が少しずつずれ始める。
「だめだ拍が合わない」
「波が足に来て集中できない」
ざわめく中輪を見てセーラが手を打った。
「ねえ皆聞いて! 同調は強さじゃないの。相手の息を聞くことだよ!」
訓練場で教えた言葉だった。術者たちがはっとして耳を澄ます。外輪の太鼓の音。隣の者の息遣い。足元で寄せる波の音。
◇ ◇ ◇
最初に変化に気づいたのは子供たちだった。
「すげえ! 光が!」
三重の輪が少しずつ淡い青に輝き始めた。外輪の太鼓の拍に合わせて光が脈打ち中輪の詠唱がそれを波のように包み込む。内輪の四人が手を握り合うと光は柱になって天へ立ちのぼった。
アズマリアは輪の中心に立ち胸元の根印に手を重ねた。体の中に温かな力が流れ込んでくる。連ね結びの図でしか見たことのなかった光景が今ここで形になっている。
「アーミナ」
彼女は小さく名を呼んだ。光が応えるように強くなる。
その時ナディアが驚いた声を上げた。
「イサベル様! 札が」
イサベルが懐から木札を取り出した。刻まれた文字が眩しく輝いている。
『ア』『ー』『ミ』『ナ』
四つの文字が揃った。そして今度は消えなかった。
周囲のざわめきが止まる。誰もが札を見つめていた。
「アーミナ」
イサベルが震える声で読み上げる。
「……覚えていられます。今度はわたくしも」
老女の頬を涙が伝った。
「二百年も忘れていたあなたのお名前を」
大陸の術者たちも島人たちもその名を口々に呟いた。誰も忘れなかった。輪の力が名を繋ぎ止めているのだ。
◇ ◇ ◇
試しの術式が終わった夕暮れ。浜辺で皆が休んでいると水平線を見つめていたエリアーナが急に母の袖を引いた。
「お母さま海が変だよ」
顔を上げると沖の空が奇妙な色に染まっていた。夕焼けの赤ではない。底の見えない黒がじわじわと海面に広がりこちらへ近づいてくる。
フェリクスが蒼白になって呟いた。
「虚無の気配……いや違う。これは向こう側から道を探しに来ている」
アズマリアは立ち上がった。大潮の夜は明日。黒い染みはもう島の沖合いまで迫っていた。




