EP105.見守り手の住処
巨木の根元にぽっかりと口を開けた洞が見守り手の住処だった。
内部は驚くほど広く壁一面に淡く光る苔が這っている。湿った土と甘い樹液の匂いが満ち頭上からは水滴が落ちる音が静かに響いていた。足元には石を敷いた小道が奥へと続き手を触れた壁はほのかに温かかった。
「どうぞお掛けください。長旅でお疲れでしょう」
見守り手に促され一行は苔むした石の椅子に腰を下ろした。差し出された木の器には澄んだ薄緑の茶が満たされている。
「温かいですね」
アズマリアが器を両手で包みながら呟いた。
「この大陸の薬草を煎じたものです。心の疲れも少し和らぐでしょう」
◇ ◇ ◇
見守り手は一行の顔をゆっくりと見渡した。
「改めて名乗らせてください。私はセレーネ。千年前に《神癒》の巫女様にお仕えしていた者です」
その名乗りにフェリクスが思わず身を乗り出した。
「千年前の巫女様に。……では聖樹の記憶に現れたあの方をご存じなのですか」
「ええ。あの方は私にとって主であり姉のような存在でした」
セレーネの瞳が遠い過去を懐かしむように細められた。
「あなたはあの方によく似ています。白銀の髪も赤い瞳も。……何より人を想う心が」
その言葉にアズマリアは胸に温かいものが込み上げるのを感じた。
◇ ◇ ◇
「あの方が世界の傷を癒やす役目を背負われた時私は一つの務めを託されました」
セレーネは静かに語り始めた。
「癒やした後の世界を見守り続けること。そして次の《神癒》が現れる日までその目覚めを待つことです」
「千年もの間ずっと」
ヴィルヘルムが低く呟いた。
「眠りについていましたからそれほど長くは感じませんでした。……ただ時折夢の中で世界が少しずつ傷ついていくのを感じていました」
その告白にアズマリアは言葉を失った。自分が王都を追放され聖樹が枯れたあの日に彼女もまた夢の中でその痛みを感じていたのかもしれない。
◇ ◇ ◇
「一つ伺ってもよろしいでしょうか」
オルディスが静かに口を開いた。
「千年前なぜ魔族が傷を引き受ける道が選ばれたのですか。その決定に巫女様は関わっておられたのでしょうか」
その問いにセレーネの表情が曇った。
「あの方は最後まで反対なさいました。誰かが一方的に苦しむ形は間違っていると」
「では」
「けれど当時の神々は他に手段を見出せなかったのです。……あの方はせめて後の世にその過ちを正せる者が現れることを願い自らの力を血と祈りに託されました」
その説明にアズマリアの胸の奥で何かが静かに繋がった。聖樹に毎晩捧げていたあの祈りと自分の中に宿る力。それは千年前の巫女の願いそのものだったのだ。
◇ ◇ ◇
長い語りの後セレーネは立ち上がり洞の奥へと一行を導いた。
「見ていただきたいものがあります」
最奥の壁には巨大な壁画が刻まれていた。海を渡る人々傷ついた大地そして中央に立つ白銀の髪の巫女。その足元には小さな種が描かれている。
「これは千年前の記録です。……そしてここにはまだ語られていないもう一つの真実が記されています」
セレーネの指が壁画の端を示した。そこには見慣れない古代文字が刻まれている。
「この文字は私にも完全には読み解けません。ですがあなたなら」
彼女はアズマリアを静かに見つめた。
◇ ◇ ◇
アズマリアはそっと壁画に手を触れた。その瞬間指先から淡い光が広がり古代文字がゆっくりと輝き始めた。
「――読める気がします」
その呟きにヴィルヘルムが隣で静かに頷いた。
夜が更けるまで一行は壁画を前に言葉を交わし続けた。千年前の真実に触れるほどに新しい疑問も生まれていく。
この壁画の端に記された最後の一節には何が書かれているのか。その答えは明日の光の中で明らかになるだろう。




