EP103.南へ向かう航路
外洋を進む船の甲板には強い陽射しと潮風が絶え間なく降り注いでいた。
帆布が風を受けて軋む音に混じって波が船腹を叩く音が響く。海水の塩辛い匂いが鼻先に残り日を追うごとに水温が上がっていくのが肌でも分かった。
航海七日目オルディスが甲板で古い巻物を広げていた。
「この辺りの海域には我が一族に伝わる注意すべき場所がある」
その言葉にヴィルヘルムが身を乗り出した。
「危険な場所、ということか」
「千年前虚無の影響が最も濃く残っていた海域だ。今は癒えているはずだが念のため警戒を怠るな」
その助言にリザが真剣な顔で頷いた。
「分かった。あたしも気をつけて見張っておく」
◇ ◇ ◇
その日の夕刻甲板に異変が起きた。海面が不自然に波打ち空気が重く淀み始めたのだ。
「――これは」
アズマリアが眉をひそめた瞬間海中から巨大な影が浮かび上がった。これまで遭遇したどの海竜とも違う異質な気配を纏っている。
「虚無の残滓か」
フェリクスが震える声で呟いた。
「いや違う」
オルディスが鋭く目を細めた。
「これは虚無ではない。……もっと古い何かの気配だ」
◇ ◇ ◇
その影は攻撃する素振りを見せず静かに船を見つめていた。
「敵意は感じません」
アズマリアの呟きにセーラが頷いた。
「様子を見た方がいいかも」
慎重に船を進めると影は水中からゆっくりと姿を現した。巨大な亀のような姿をしたその生き物の甲羅には見覚えのある文様が刻まれていた。
「――《根源語》」
アズマリアが思わず声を上げた。
「聖樹や泉で見たものと同じ文字です」
その発見にフェリクスが興奮した様子で記録帳を取り出した。
「ならばこの生き物もまた世界の始まりに関わる存在やもしれません」
◇ ◇ ◇
アズマリアはそっと船縁から手を伸ばし亀の甲羅に触れた。その瞬間微かな光と共に短い記憶の断片が流れ込んできた。
海を渡る小さな船団かつて見た聖樹や泉の記憶と同じ気配を纏う祈りの光がそこに広がっていた。
「――この子も、聖樹や泉と、同じ根から、始まっている」
アズマリアの言葉にオルディスが深く頷いた。
「我が一族の伝承にも似た話がある。世界の始まりを見守り続ける古き生き物の話が」
◇ ◇ ◇
亀はしばらく船と並んで泳いだ後まるで道案内をするように南へと進み始めた。
「――ついていきましょう」
アズマリアの提案にヴィルヘルムが頷いた。
「ああ。この子が示す道になら信じて進める気がする」
船は亀に導かれるように南の海域をさらに進んでいった。
◇ ◇ ◇
夜甲板に集まった一同は亀が示した方角をじっと見つめていた。
「もうすぐ何かが見えてくる気がする」
リザの呟きにセーラとダリオも頷いた。
「俺たちの知らない世界がまた一つ広がるんだな」
ダリオの言葉に皆が静かな期待を胸に抱いていた。
水平線の彼方に広がる未知の世界。そこに何が待っているのか。その答えはもう間もなく明らかになろうとしていた。




