(39)どう表現すればいいのかな
山梨市駅からほど近い万力公園には、昼間の熱気がまだ残っていた。
木々の深い緑が、川沿いの遊歩道に影を落としている。
俺と氷見は、甲府から塩山に向かう電車を途中下車し、並んで遊歩道を歩いていた。
時折、笛吹川から吹いてくる風が涼しく感じられる。
学校から一緒にここまで来たのだが、会話らしい会話はしていない。
何から話したらいいものか、決められずにいたからだ。
「えっとさ、今朝の話の続きからしよう、かな。」
「うん。ナッちゃんと陽菜ちゃんが、結城君のお家に行った時のこと?」
「ああ。千夏から、その、氷見は、俺が朝倉さんを好きだと思って落ちこんでいる、って聞いた。」
「えっ、そうなの?」
「ああ、たぶんさ、ホームで氷見から巾着の話を聞いた時の、俺の表情を見てそう思ったのかな、と思うんだけど、合ってるか?」
「うん…合ってる…あっ!」
小さな声で頷いた氷見が、急に大きな声を出した。
「結城君、あのね、言いにくいんだけど…」
「ん、どうした?」
「あの話、実は嘘なの。」
「嘘?どの話が?」
「陽菜ちゃんが、巾着を欲しがってるっていう話は、嘘ではないんだけど、作り話なの…。」
「嘘じゃないけど作り話、難しいな。」
「ごめんなさい…。結城君が、私に巾着を作ってくれた時にね、陽菜ちゃんに相談したんだ。」
「朝倉さんに、相談?」
「えっと、あんな素敵な巾着を作ってくれたのは、その…どういう気持ちだったのかな、って思って…」
「俺がどんな気持ちであの巾着を作ったか、ってことか。」
「うん…。そしたら陽菜ちゃんが、私も欲しがってる、って結城君に言ってみたら?って言って。」
「それは、えーと、俺が何か下心があって作ったとしたら気持ち悪いとかそういう…」
「ち、ちがうよっ!」
「そ、そうか。」
たぶん、俺が今しようとしている「答え合わせ」は0点なんだと思う。
俺はきっといろいろと間違えていて、氷見を落ちこませたんだ。
「そう、だよね…私が、何も言ってなくて、言えてなかったから悪いんだよね。」
「いや、たぶん俺が気づかなかったのが悪いんだと思うぞ?千夏が呆れてたみたいだから。」
「あの、中学一年の時にね、結城君が私のジャージの刺繍を直してくれて…」
また、氷見の「よく考えてから話し始める」が発動したらしい。やはり話のテーマが見えない。
「それからずっと、好きなの。」
「えっ」
いきなり結論が来たからビックリした。いや、その内容にも驚いた。
「中一の時から?」
「うん。結城君と、高校の志望理由の話をしたことがあったじゃない?」
「ああ、通学が便利って話な。」
「うん、結城君がそう言って、私は結城君と一緒、って答えて。」
「そうだったな、覚えてるよ。」
「あれも違うの。ほんとは私、結城君と一緒の高校に入りたかったから、って言おうとしてたんだ。」
「そうだったのか…。」
「うん、ごめんなさい。」
「いや、えっと、これは一番最後にしようと思ってた話なんだけどさ。」
話の順序は決められていなかったが、最後に話そうと思っていたことはあった。
「俺は、あの中一の体育倉庫から、ずっと氷見を恋愛対象から外してたんだよな。」
「えっ…それは…」
「あ、違うぞ、嫌いだったとか、魅力がないとか、そういう意味じゃないぞ?」
「そうなの?」
「前に話したろ?俺、刺繍とか裁縫とかが少しできるってことを恥ずかしいと思ってた、って。」
「うん…」
「氷見はさ、その秘密を知っている、たった一人の同級生だったから、なんていうか、苦手に思っていたというか、弱みを握られてる相手、っていうか、そういう風に思ってたんだ。」
「そんなことないのに…」
「そうだな、今は恥ずかしいとは思っていないんだけどさ。」
そう、俺は昨日の夜、そのことに気がついた。
俺にとって、氷見は「秘密を知られている相手」だった。あの日から、ずっと。
「でさ、恥ずかしいと思う気持ちは消えたのに、氷見への感覚は追いついてこなかった。」
氷見は、不思議な表情で俺を見た。
唇をキュッと結んで、真面目な顔をして、顎を引いて上目遣いに、俺の顔をじっと見ている。
「あっ、氷見、もしかしてそれ、睨んでるのか?」
「うん、そう。」
「ぷっ、あははは、ほんとに氷見って…」
俺はたまらずに吹き出して笑った。
「可愛いよなあ。」
「えっ。」
氷見は赤くなって横を向いて、頬っぺたを膨らませた。
「ごめんごめん。それが最近、ちょっとおかしくてさ。ほら、この前、一緒に散歩したことがあっただろ?」
「うん。」
「あの日はさ、俺が作った衣装をみんなが褒めてくれた。作る過程の話も、デザインの理由も、すごく興味を持って聞いてくれた。それで俺は、恥ずかしいと思う気持ちを完全に消し去れたんだと思うんだよ。」
文化祭の打ち上げの日からは、まだ十日ほどしか経っていない。
だが今や、俺の裁縫や刺繍のスキルは、同級生たちに認知されていて、良くも悪くも頼られる存在になっている。
「でもあの日は、俺、慣れないことばかりですごく消耗してた。疲れてた。」
「うん、そうだったよね。」
「そんな時に、氷見が散歩に誘ってくれてさ、嬉しかったんだ。救われたような気持ちになった。」
「えへへ、そう思ってもらえたならよかった。」
「俺さ、こういうのもいいよな、って思ったんだ。」
「こういうの?」
「氷見は、同級生の中で、一番話しやすいし、一緒にいると落ち着くというか、心が安らぐというか…。こういう気持ちって、どう表現すればいいのかな。」
俺はその気持ちを、言い表す言葉を持っていない。
なんと言っていいか、わからないのだ。
「いつも一緒にいたい」
氷見は静かに言った。
「ずっと一緒にいたい、っていうのは、どう、かな」
なるほど。
俺が今朝、取り戻したいと思っていた「俺と氷見の日常」というのは、一緒にいる、ということだったのか。
「うん、そうだな、そういうことだと思う。」
俺はもう、答え合わせなんてどうでもよくなっていた。
例えば、俺が「味見」だと思ってたお菓子のことも。
氷見がTPOを無視して着てきたと思ったワンピースも。
ブックカバーの完売を嘆いていた氷見の表情も。
俺が苦心に苦心を重ねた「いやがられ作戦」なんて、もともと機能するはずもなかったのだ。
「あ、そういえばね。」
氷見が突然、思い出したように言った。
「結城君、戦隊のみんなから、なんの要望も出てこない、ってがっかりしてたでしょ?」
「ああ、そうだったな。」
「あれね、ナッちゃんが止めてたんだって。」
「千夏が?止めてた?」
「うん、ほんとはね、陽菜ちゃんはスカートの丈をもっと短くしたかったらしいの。」
「そうなのか。言ってくれたら直したのになあ。」
「ふふっ、うん、それを、ナッちゃんが結城君には言うなって止めたんだって。」
「なんで千夏がそんなことするんだよ。」
「えっとね、ナッちゃんは、結城君が陽菜ちゃんたちと近づかないようにした、って言ってた。」
「はあ?ますますわからないぞ。」
千夏に、なんの得があるというのか。
「うん、えっと、ナッちゃんは、私のことを応援してくれていて…。」
な、なんだと?
「神谷君と自転車通学するようになったのも、実はそうで…」
なんということだ。
俺の方針は、朝倉さんとの距離を詰める、氷見は近づけず遠ざけず。
しかしそれは初めから千夏によって破綻させられていた。
千夏、おそるべし。
俺は高校に入って、神谷翔真という親友を得た。
翔真には石田千夏という幼馴染がいた。
千夏は俺の朝倉さんへの想いにも、氷見の俺への想いにも気がついた。
そして、千夏は、氷見に肩入れをした。
「あはは、そうなのか。じゃあ千夏にはお礼を言わなきゃいけないな。」
「ほんと?」
「何が。」
「えと、結城君の陽菜ちゃんへの気持ちは、その、大丈夫なのかな、って。」
「心配か?」
「うーん、心配というかね、結城君は平気なのかな、って思ったの。」
「千夏はなんか言ってたか?」
「ナッちゃんは、えーと、『憧れることと、一緒にいたいと思う気持ちは違う』って言ってた。」
「そうか、あいつ、上手いこと言うなあ。俺は、女性として高く評価するということと、好きだと思う気持ちは違うのかもな、って考えたんだよ。」
「高く評価する…?」
「そう。朝倉さんはさ、キレイだし、清楚で可憐で、誰からみても素敵な女性だと思うんだよな。だから俺も憧れの気持ちを持っていて、それを自分の片思いだと思ってた。でもそれはさ、朝倉さんのことを評価しているだけで、『好き』っていうのとは違うかもしれない、と思うようになったんだ。」
「うん、それは少しわかる気がする。」
「そうか?」
「うん、私もそうだったの。私は、中学一年生の時から、ずっと結城君に片思いしてた。遠くから見てるだけで満足できてた。だけど、高校二年になって、同級生になって、話せるようになって、一緒にいるとすごく楽しくて…もう片思いじゃないなって、思った。」
俺が今まで氷見にしてきたことは、氷見の気持ちを弄ぶような、残酷な仕打ちだったのかもしれない。
もちろん、そうしたかったわけではなく、ただ知らなかった、気づかなかっただけなのだが。
「それで、私、欲が出ちゃって、結城君を試すようなことをして…ごめんなさい。」
やっぱり、氷見はなかなか手強い。俺が謝ろうと思った途端に、機先を制して謝ってくる。
「なあ、氷見。」
「うん。」
「ずっと俺と、いつも一緒にいてくれるか?」
これだけは、先手を許すわけにはいかない。
氷見は驚いたように目を丸くして、その瞳にみるみる涙を溢れさせた。
「うん…うんっ!」
まったく、こいつは涙もろい。




