(36)結城君の…好きな人
私はベッドの上で寝返りを打って、天井を見上げた。
昨日からずっと、眠っているような起きているような状態で、ベッドから出られずにいる。
気だるくて、食欲もない。
昼過ぎにお母さんが持ってきてくれたゼリーも、半分しか食べられなかった。
体中の元気が流れ出ちゃったみたい。
いつの間にか部屋の中は暗くなっていた。
結城君に会いたい。
だけど、会いたくない。
(こんなことになるなんて…)
後悔しても、もう遅い。
全部、私自身が招いたことだ。
私は欲張ってしまったんだ。
結城君はいつも通りの優しい結城君だったのに。
文化祭の打ち上げの後、二人だけでお散歩をした。
夕日に照らされた結城君の横顔は、自信と達成感に満ちていて、すごく頼もしかった。
自分のために作ったブックカバー。
結城君が言った通り、とてもスムーズに、上手にできた。
彼からの期待と信頼に、応えることができた、って思った。
そして私は…。
どうしても結城君の気持ちを知りたくなってしまった。
以前、陽菜ちゃんは「たしかめてみたら?」と言ってくれた。
「例えばさ、私も詩織の巾着を羨ましがって、作ってもらいたい、って話していた、ってことにするのは?」
そんな結城君を試すようなことできないよ、って思っていたのに。
(結城君、あんな顔するんだもん…)
昨日の朝、電車を待つホームで、私は彼を試してしまった。
「結城君が作ってくれた巾着のことなんだけど、陽菜ちゃんも欲しいんだって。」
「え、朝倉さんが?」
「うん、そうなんだ。」
「ああ、いいよ、作るよ。」
なんてことのない会話だった。
(やっぱり、結城君はそういうと思っ…)
結城君の顔に、パッと朱が差した。
嬉しさが溢れ出るような表情で、俯いて、それから恋をする男の子の顔になった。
好きな人を慈しみ、大事に思う、そんな顔だった。
いくら私でも、気づく。
(結城君は陽菜ちゃんのことが好きなんだ…)
私にはその場から逃げ出すことしかできなかった。
「忘れ物」とかそんなことを言った気がする。
いつもの坂道を、転がるように駆け下りて、家に戻って、ベッドに体を投げ出して、泣いた。
結城君とのいろんな思い出が一本の糸で繋がってしまった。
(結城君が私に優しかったのは陽菜ちゃんの親友だからだったんだ…)
そうだよね。
例えば、私が、結城君の親友の神谷君から何かお願いをされたとして、自分にできることだったらしてあげるもん。結城君によく思われたいから。
結城君が私に親切にしてくれたのは、いつだって、私が迷惑を掛けたり、失敗をしたり、お願いをしたり、そんな時ばかりだった。
「詩織ー、お友達よー」
階段の下から、お母さんの声がした。
(結城君だったらどうしよう)
こんな姿は見せられない。見せたくない。
私は慌てて、タオルケットの中に潜った。
「詩織ー、入るぞー」
あ、ナッちゃんの声だ。
心配して来てくれたのかな。
パッと部屋の明かりがついた。
「うわ、なんだこの部屋。うちの旅館のVIPルームくらいあるぞ。」
「でしょ?私も最初、ビックリしたのよ。」
あっ、陽菜ちゃんも来てくれたんだ…。
今はどんな顔をして陽菜ちゃんに会えばいいのか、わからない。
ナッちゃんが、ベッドのところまで来て、ドスンとベッドに腰掛けた。
私が横向きになって体を起こそうとしたら、ナッちゃんは私の肩に手を置いて、
「いいよ、そのままで。」
と言って、それから、私の肩を優しく撫でた。
「詩織、どうした?何があった?」
体調の心配ではなく、そう聞いてくれた。
「ナッちゃん…結城君の…好きな人…わかっちゃった…」
私は小さな声で言った。
「なんだ、そんなことか。」
とナッちゃん。
「なになに?なんだって?」
と陽菜ちゃん。
「直人の好きな人がわかったんだってさ。」
「えっ、そうなの?いったい誰よっ!」
「陽菜、落ち着けよ。」
「落ち着いてるわよ。だけど納得いかないじゃない。詩織が結城君のことを好きなのはみんなが知ってることよ?なのに、結城君の気持ちを乱してる子がいるってことでしょ?」
「いや、陽菜、男なんて、可愛い子の微笑みひとつで心を奪われたりするもんなんだって。」
「そんなことわかってるわよ、だから、結城君に微笑んだってその子がおかしいって話でしょ?」
「おかしいって言ったって、微笑むくらいするだろ、陽菜だって。」
「そりゃ、私は詩織の親友だもん、親友の好きな人には猫くらいかぶるわよ。だって、変な友達がいたら詩織も変な子だと思われるじゃない。」
「いや、だからそういう問題じゃないんだよ。」
「そうだ、じゃあさ、私が結城君ともっと仲良くして、その子を牽制する!」
(ダメだよ…陽菜ちゃん…そんなことしたら最後にきっと結城君が傷ついちゃう…)
私はさすがに寝てられないと思った。
だから体を起こそうとしたんだけど…ナッちゃんの手が力をこめて、私を押さえこんだ。
ぐっ、ぐっと二回、ナッちゃんは私の肩に置いた手に、力を入れた。
それはまるで、「任せておけ、信じろ」というサインのようだった。
「それはやめとけ、陽菜。」
「なんでよ、親友のピンチなんだから私にも何か」
「やめろって言ってるんだよ!」
ナッちゃんが、陽菜ちゃんの言葉を遮って、強い口調で言った。
「な…」
陽菜ちゃんがナッちゃんの勢いに気圧されて口をつぐむと、ナッちゃんは静かに言った。
「陽菜なんだよ。」
「何が?」
「直人が好きな女だよ。結城直人は、朝倉陽菜が好きなんだよ。」
「え…待って、でも…だけど私、結城君とほとんど話したことないわよ?」
「だからさ、そういうものなんだって、男ってのは。」
「……。」
「陽菜、ごめんな、大声出して。直人のことは去年からよく知ってる。翔真と三人でよく遊んだしな。で、直人は陽菜のことが好きなんだなあ、ってのは気がついてた。」
「な、なんで言ってくれなかったのよ。」
「言えるかよ。あたしはさ、旅館の娘だから、いろんなお客さんを見てきたんだ。うちみたいな中規模の旅館はさ、経営者家族がなんでもやるからね、お客さんとの接点も多いんだよ。石和温泉は東京からも近いし、まあ、ぶっちゃけ、男女の駆け引きみたいなものもいっぱい見てる。」
ナッちゃんは私の肩を掴んでいた手の力を緩めて、また優しく撫でてくれた。
「詩織はさ、去年から朝の電車は一緒だったけど、いつも少し離れたとこに乗ってて、あたしたちのことをチラチラ見てた。今年同級生になって、詩織は直人のことを見てたのか、ってわかってさ。」
「だったらなおさら…」
「ああ、あたしはさ、すぐに詩織のことが好きになった。だから詩織の恋を応援することにした。」
「じゃあ、どうして、その…なんていうか…」
「あはは、陽菜、まあ聞けよ。あたしだって、できることは全部やったよ?自転車通学にして、直人と詩織が二人になる時間を作ったりさ、あたしたち戦隊に直人を近づけないようにしたりさ。」
「あ、それで、結城君を練習に呼ばなかったの?」
「そうだよ。陽菜が、スカートをもうちょっと短くしたいって言った時も止めただろ?」
「あ…うん。」
(そんなことがあったんだ…)
「陽菜、直人が詩織に作った巾着袋、覚えてるか?」
「うん、もちろん。」
「詩織、直人にさ、陽菜も欲しがってるって言ったらしい。」
「えっ…あ、それ私が言った…」
「あはは、そうだろうと思ったよ。」
「待って、だけど昨日も今日も、結城君そんなこと言ってなかったわよ?」
「だよな。だからさ、直人はそんなに喜んでないんだよ。むしろ戸惑ってるんだろうな、そんな顔してたよ。」
そんなはずない、って私は思った。だって、昨日はあんなに嬉しそうにしてて。
「ちょっと、ナッツ。もう少しわかりやすく言ってよ。つまりどういうことなのよ。」
「なあ、詩織、直人は嬉しそうだったか?」
私は「うん」と頷いた。
「それで、詩織は気がついたわけだ。」
また「うん」と頷く。
「ばかだなあ、詩織は。『直人にセオリーは通用しない』って言わなかったっけ?」
そういえば、そんなことを言っていたような…。
「陽菜に何かおねだりされて、喜ばない男子はいないじゃんよ。だけどさ、高嶺の花に憧れてたって、それは『一緒にいたい』って気持ちとは違うんだよ。」
「えっと、つまり、結城君は私に憧れは持ってるけど、好きなのは詩織ってこと?」
「どうかなあ。いや、睨むなよ、陽菜。直人がそれを自覚してるかはわからない、っていう意味だよ。」
(え…結城君が…?私を?)
「男ってのはさ、自覚してなくても、相手に想われてるってわかると気づいたりするんだよ、翔真みたいに。」
「ナッツののろけの時間じゃないんだけど?」
「あはは、そんなつもりはないよ。前に言ったじゃんよ、直人には好かれてるって想像をする能力がないって。」
「うん、困った人よねえ。」
「お前が言うな。」
「えっ、あ、そっか。」
「な、詩織、明日から学校に来いとは言わないからさ、一度よく頭冷やして、どうしたいか考えてみなよ。」
「うん…そうする…ありがと、ナッちゃん、陽菜ちゃん。」
私はまだ、まるで頭の中が整理できずにいた。
でもなんだか、ふわりと夜風に包まれたように安心して、深い眠りに落ちていった。




