(34)笑いごとじゃないよー!
電車が塩山駅に着く頃には、窓の外はすっかり夕方の景色になっていた。
今日は一日曇っていたけど、今はうっすらと西日が射している。
「結城君、着いたよ。」
隣に座る結城君に言うと、
「ああ、わかってる。」
と返事をした。目を閉じていたけど眠っていたわけではないらしい。
石和温泉駅まではナッちゃんにからかわれていた結城君は、ナッちゃんが降りていくと「はぁ、疲れた」と言って上を向き、そのまま動かなくなってしまった。
(突然のサプライズで驚いたんだろうなあ。)
ぐったりしている結城君を見ながら、私は昨日の後夜祭を思い出していた。
「今年度の文化祭、展示投票の優勝は…」
壇上で、文化祭実行委員長がじっくりためてから、
「二年二組!頑張れ、ニクミ戦隊ビューティーフォー!」
と発表すると、体育館は大歓声に包まれた。
季穂ちゃんが代表して、委員長から優勝旗を受け取った。
優勝旗は来年の文化祭まで、部活なら部室に飾られるのだけど、クラスが優勝したから来春まで教室に飾られることになるのだろう。
陽菜ちゃんたち戦隊ヒロイン四人が抱き合って喜んでいて、私も文芸部の輪を外れてみんなのもとに向かった。途中で、渡辺君とハイタッチ。
その後はクラスのみんなと押しくらまんじゅうみたいに固まって大騒ぎした。
「明日の打ち上げも盛り上がるなあ。」
と、誰かが言った。エリナちゃんが、
「ねえ、MVPは結城君じゃない?」
と言って、また大騒ぎになった。
「そうだよ、結城はどうした?」
「いない?あー、帰宅部だからか」
「じゃあ、結城君、きっと優勝のこと知らないよね。」
そんな会話から「打ち上げでは結城君にサプライズを仕掛ける」という話に発展した。
ナッちゃんが、
「詩織、あいつ欠席するかもしれないから、迎えに行ってよ。」
と言って、みんなも『うんうん』と頷いていた。
(結城君、私が隠してたこと怒ってないかな…)
電車を降りる時、結城君の顔を覗いてみたけど、特にいつもと変わりはないみたい。
(打ち上げでは全然話せなかったなあ。)
話せないどころか、近づくことさえできなかった。
出演者のみんなも衣装のことが聞きたくて、でも我慢していて、それが爆発したみたい。
『直人にはこれ以上の負担をかけないようにしような。』
というナッちゃんの一言で、練習や舞台稽古に呼ばなかったらしい。
私も後夜祭まで、そんな事情は知らなかった。
「あの、結城君。」
ホームから改札口への階段を上がる結城君の背中に声を掛けた。
「んー?」
「ちょっとだけ、お散歩しない?」
勇気を振り絞って言ってみた。
結城君は、振り返って不思議そうな顔で私を見て、それから少し微笑んだ。
「ああ、そうだな。」
改札口を出ると、結城君がいつもと反対側に歩き出したから、私はヒヨコみたいについていった。
塩山駅の北口は、武田信玄公の立派な銅像があるほかは、すぐに住宅街になっている。
「散歩って言ってもなあ…」
結城君、ちょっと笑ってる。
たしかに塩山駅からのお散歩なんて、私もしたことがないし、目指す場所も思いつかない。
「で、説明してくれるんだろうなあ、氷見。」
どこへ向かうともなく、二人で歩き出すと、結城君は笑いながら言った。怒っているわけではないみたい。
「黙っててごめんなさい。」
「いいよ。サプライズなんて初めてだったから驚いたけどな。」
私は昨日の後夜祭でのやり取りを説明した。
「というわけだったの。ごめんね、驚かせちゃって。」
「ああ、でもほんとにビックリしたのは、みんながあんなに衣装を喜んでくれてた、というか、評価してくれた、ってことかな。それは素直に嬉しかったよ。」
国道の信号を渡ると、『一葉のみち』と書かれた標識があった。
明治時代の女流作家、樋口一葉の両親が住んでいた土地らしく、一葉の作品の中にもこの地の情景が登場するらしい。春にはイトザクラで有名なお寺や、桃の花が咲く果樹園を一望できる場所なんかがあって、観光客で少しだけ賑わう。
「今日の陽菜ちゃんたち、かっこよかったよね。」
「あはは、そうだな。変身前の衣装、なんてよく思いついたよな。」
「うんうん。」
「俺も実は考えたんだよ。」
「そうなんだ。」
「戦隊ヒーローショーの動画で観たら、いきなり戦隊の姿で登場するんだよな。」
「うん、渡辺君もそう言ってた。変身シーンは舞台では無理だからよかったって。」
「変身前の衣装まで作ることにならなくてよかったよ。」
「結城君が作る衣装も見てみたい気がするけど。」
「あはは、でも、今日の四人のほうが絶対かっこいいのは間違いない。」
「そうなの?どうして?」
「だって、変身することを考えたら、戦隊コスチュームの上に重ね着するしかないじゃん。それだとどうしても膨らんで見えるからさ。」
「ああ、そうだよね。私も更衣室で着替えを手伝ったんだけど、体育館までは上からジャージ着てて、四人ともちょっと膨らんでた。」
「あ、氷見は手伝ったのか、いいなあ。」
「え、結城君でもそんなエッチなこと言うんだね。」
「ば、ばか、違うよ、間近で衣装のチェックがしたかった、っていう意味だよ。」
「あはは、うん、わかってたけど。」
『一葉のみち』は重川に架かる橋を渡ると、川に沿った登り坂になる。
「あ、結城君、見て!すごくきれい。」
西の空が赤紫色に染まっていた。塩山山が夕焼けの中にポコンと盛り上がっている。
正式には「塩ノ山」というこの山は、塩山の象徴的な存在で、私の部屋の窓からもよく見える。
「おー、すごいな。」
結城君も振り返って足を止めた。
さっきまで同級生のみんなに囲まれていた結城君を、今は私が一人占めしている。
そのことが不思議に思えた。
「あ、そうだ、氷見。」
「えっ、何?」
横顔を見ていたら、結城君が急に私の方に顔を向けた。
「ブックカバー、どうなった?」
「あっ、そうだった!」
クラスの優勝騒動で、すっかり忘れていた。
「報告しようと思ってたの。全部売れたんだよ!」
一つだけ残っていたブックカバーは、最後に来てくれたお客さんが買ってくれた。
十年前に卒業した文芸部のOGで、今は東京の出版社で働いていると話してくれた。
大人っぽくて素敵なお姉さまだった。
『紙の本を読むためのツールを現役の子が作ってくれてるなんて嬉しいわ。』
と言っていただいた。
「そうなのか、頑張った甲斐があったな。」
「うん、全部ね、大事に使ってくれそうな人に買ってもらえたんだ。」
そう言った瞬間、私は重大な失敗をしたことに気がついた。
「あ、結城君…どうしよう…」
「ん?どうした?」
「自分の分がない…全部売っちゃった…」
そうだ、売れ残ったら自分で買い取ろうと思っていて、自分のを確保しておこうという考えに至らなかった。
せっかく結城君に手伝ってもらって作ったのに、自分の分がないなんて…。
「あはは、そりゃ全部売れたら、残らないな。」
「笑いごとじゃないよー!」
「そんなの、また作ればいいじゃんよ。」
「そ、そうだけど、また結城君に迷惑かけることになるし…」
「ああ、ミシンな。それくらいまた貸してやるから。それにな、氷見は同じものを十個作っただろ?」
「うん。」
「それってすごいことなんだよ。体が覚えるっていうのかな、また作ってみればわかるけど、ビックリするくらい簡単にできるから、それを体験してみるのもいいかもしれないぞ?」
「え、そういうもの?」
「まあ、忘れないうちにやったほうがいいとは思うけどな。布と糸はまだあるか?」
「うん、たぶん一つ分くらいは残ってると思う。型紙当てて、ざっくり断裁して刺繍、だよね?」
「そうそう。」
西の空の夕焼けがゆっくりと色を失って、夕闇が迫ると、町の灯りが明るく感じられた。
「わかった、頑張ってみる。刺繍ができたら、またミシン教えてね。」
「やだよ。」
「え。」
「教えないけど貸してやるから、やってみたらいいよ。」
「うん、ありがとう。」
「さ、暗くなるから帰ろうぜ。」
「うん、そうだね。」
私たちは来た道を引き返して国道に出ると、そこから私がいつも渡る交差点まで国道沿いを歩いた。
「結城君、どうしてお散歩に付き合ってくれたの?」
「今日のサプライズの真相というか裏話を聞きたかった。」
「うん。」
「ブックカバーの売れ行きも少し気になった。あとは、そうだな、今日は大勢に囲まれて疲れたから…まあ、気まぐれみたいな感じかな。氷見こそ、なんで散歩なんて思いついたんだよ?」
もっと一緒にいたかったから。
「うーん、気まぐれみたいな感じ。」
「なんだよ、真似すんな。」
結城君と私は――顔を見合わせて笑った。




