(33)ゆうしょうってなに?
日曜日の午後の塩山駅前は、ひっそりと静かだ。
スーパーや家電量販店、ドラッグストアなど日常生活に必要な物がなんでも揃う繁華街は、駅の南に少し離れている。
駅前にあるのはうちのような個人商店ばかりで、日曜日は店を閉めている。
(面倒くさいなあ…)
駅に向かう俺の足取りは重い。
昨日で三日間の文化祭は終了し、今日は甲府にあるレストランで「打ち上げ」をするという。
大勢人が集まる場所があまり得意ではない俺にとっては憂鬱な場所だ。
去年もクラスの打ち上げがあったが、翔真と二人、隅の方で大人しくしていた。
全員参加というわけでもないから、欠席してもよかったのだが、ひとつだけ、朝倉さんの私服姿が拝めるという特典があるから重い腰を上げて、家を出てきた。
(まあ、今年は衣装班でそこそこ関わったからな。)
欠席するというのも角が立つ。
渡辺と、文芸部の作品集について話していれば、時間が過ぎていってくれるだろう。
(ん?)
駅の方から、水色ワンピースの女の子が走ってくる。――氷見だ。
「あ、結城君。」
「おう、どうした?」
「結城君が来ないから迎えに行こうと思って。」
「はあ?」
まあ、たしかに開宴ギリギリの電車に乗ろうとしていたのは認める。
「いや、心配しなくてもちゃんと行くよ。」
着替えを始めるまでさんざん迷っていたことは黙っておこう。
「うん、よかった。」
「先に行っててよかったのに。」
「ううん、ナッちゃんが心配してて。」
「千夏が?」
あいつに心配されることはないと思うんだが。
「結城君が来ないかもしれないから、迎えに行ってほしい、って。」
千夏め、何か企んでいるのだろうか。ますます気が重くなる。
「あ、行こ、結城君。乗り遅れたら大変。」
「急がなくても大丈夫だよ。」
氷見と並んで、駅のロータリーを抜け、階段を昇る。
(うーん、気まずい…)
昨日のことを、どう言いわけをしたものか、実は考えあぐねていた。
俺自身の中でも、きちんと整理できていない。
俺はいったい、何に怒ったのか。
突如湧き上がったあの感情は何だったのか。
『たまたま通りかかって、同級生が困っていたから助け舟を出した』
それでいいようにも思うし、そういう距離感に「調節」してきたはずだった。
『あれが、距離感の調節かよ。』
と、翔真が呆れていたのは、こういうことかもしれない。
知らず知らずのうちに、俺は氷見との距離を近づけすぎていたらしい。
(これからは気をつけないと)
そう思うのも、もう何度目かである。
俺は言葉を発することができず、氷見も黙ったまま、俺たちは電車に乗りこんだ。
日曜午後の電車は空いていて、俺は氷見と並んでシートに座った。
電車が走り出して、しばらくすると、氷見が俺のほうに顔を向けた。
「私の家の居間にね、神棚があって」
(氷見らしいな…)
俺は笑いそうになって堪えた。氷見は、ときどきこうやって、よく考えてから話し始めることがある。
たぶん、氷見なりに会話の順序を組み立てているのだと思うが、結論が見えないどころか、何の話題なのかもわからない。
最初は戸惑いも感じたものだが、最近はすっかり慣れてしまって、話の行く末を楽しむようになっていた。
「その横に『一家団欒』って書いた額が架かってるんだ。」
「ふーん、一家団欒ね。」
「うん、そう。昔から架かってて、もう見るからに古いの。」
「家訓みたいなものか?」
家族が仲良く、力を合わせて、といった意味かな。
「うん、お父さんが言うには、それはうちのことを言ってるんじゃないんだって。」
「ん?よその家の団欒、ってことか?」
「そうなの。うちは農家だから、うちの作物を買って、食べてくれるお客さんが、美味しいね、って嬉しくなるようなものを作り続けなきゃいけない、っていう意味なんだって。」
「なるほど。…いい家訓だな。」
素直に、そう思った。さすがは我が町が誇る大農家、竹下農園だ。
俺の家のような、ちっぽけな洋品店にも通じるところがある。
『喜ばれるものを作る』という信念のようなものだ。
「うん、私もそう思うの。だからね、昨日の人たちみたいに、作ったものをいい加減に扱いそうな人って許せなかったんだ。」
たしかに、ナンパの道具にされたのでは、ブックカバーたちも浮かばれない。
(ああ、そうか…そういうことか…)
だから氷見は『キレそうになった』と言っていたのだろう。
俺の怒りの源泉も、きっとそこにあったんだ、と思う。
そうだ、俺はあの瞬間、氷見があのブックカバーにかけていた想いを思い出していたんだ。
刺繍が上手くいかないと悩んでいたことや、真剣な表情でミシンを動かしていた姿、そして完成した時に流していた涙を。
「俺もたぶん、同じように思ったんだ…。」
俺は独り言のように呟いた。
「ほんと?」
「ああ。」
氷見は嬉しそうな顔をして笑ったが、目尻に光るものを浮かべていた。
まったく、氷見は涙もろい。
打ち上げ会場は、甲府駅から十分ほど歩いた、飲食店街の中にあった。
同級生の知り合いの店とか、そんな話だったように思う。
開宴時刻の五分前くらいに店の前に到着すると、そこに朝倉さんが立っていた。
「あ、陽菜ちゃん。」
氷見が朝倉さんに駆け寄る。
古めかしい飲食店街の、古ぼけた雑居ビルの前なのだが、朝倉さんがいるだけで明るく華やいでいる。
「結城君、どうかな。」
その朝倉さんがなんと、両手を腰に当て、俺に向けてポーズを取ってくれたのである。
ライトグレーのシャツに、タイトなホワイトデニム。
白いワイシャツを羽衣のように纏って、お腹の前で結んでいる。
均整の取れたスタイルが際立ち、細く長い両脚がすらりと伸びて、腰には黒いベルトが、って、あれれ?
「シルバーの変身前を意識してみたの。」
そうなのだ。白とグレーの配色に、金のバックルの黒ベルト。
俺が戦隊コスチュームのために作ったベルトだった。
「あ、先に行くねっ!」
と、氷見が雑居ビルの階段を上がっていく。会場の店はどうやら二階にあるらしい。
なぜか、朝倉さんと二人、ビル前に取り残される俺。
(おいおい、なんのご褒美だよ。)
「うん、すご…く、いいと思う。」
緊張で口の中がカサカサする。
「ふふ、ありがと!じゃあ、行きましょうか。」
「あ、ああ。」
朝倉さんと階段を昇る。
状況がまったく理解できず、頭の中は真っ白だ。
朝倉さんが店の扉を開けると――。
パンパンパン!とクラッカーの音が鳴り響き、火薬の匂いが漂った。
「主役登場!」
と、誰かが叫んだ。一斉に拍手が沸き起こる。
(なるほどっ!)
店の中には、赤、青、黄色の戦隊ヒロインが、それぞれ朝倉さんと同じような「変身前」スタイルで立っていた。
(ああ、衣装づくりを頑張ってよかった…)
舞台の主役は戦隊ヒロインの四人であり、中でも朝倉さんは中心的な存在だ。
同級生たちが集う打ち上げの場に、主役の朝倉さんが入場する、その栄えあるエスコート役に、俺が選ばれたということだ。
(千夏の企みとはこれか!あとでお礼を言わなきゃな。)
その千夏も、白いワイシャツの下に、爆弾を仕込んだような黄色シャツを揺らしながら拍手している。
エスコート役はさっさと掃けて、モブらしく振る舞わないとな。
と、思ったのに、
「結城君、どこ行くの。」
と、俺の腕を掴んだのは、ビューティーレッドこと島崎エリナさん。長身バレーボーラーだ。
(えっ…なにこれ…)
同級生たちが、俺を見ている。
その彼らの後ろに『祝・優勝 二年二組』と書かれた大きな紙が貼ってある。
「直人のことだよ、本日の主役!優勝したんだよ、あたしたち。」
千夏がそう言いながら、俺の反対側の腕を取る。
「ゆうしょう?」
キョトンとして同級生たちを見回すと、どっと笑いが起こった。
それから、戦隊の四人が優勝旗のようなものを俺に渡して、大きな拍手が起こり、戦隊の一人ひとりと握手をして…。
何がなんだかわからないままに、俺は妙な儀式の主役として扱われた。
ようやく解放されて、座らされたのは――悪役怪人たちの中だった。
ラグビー部の橘陽翔が、ガッシと俺の肩を掴んだ。
こいつは首魁の怪人役で、畏れ多くも朝倉さんに鞭を振るっていた男だ。
「ほんと、優勝は結城のおかげだよ。」
「え、橘、ゆうしょうってなに?」
甲斐高文化祭には、来場者が最も優れた展示や出し物に投票する仕組みがあるのは知っていた。
投票結果は即日開票。最終日の後夜祭で発表される、だったか?
「お前、知らなかったのか、優勝したんだよ、二年二組が。」
「え、だって、普通は部活の展示とかだろう?」
「ああ、普通はな。二日目三日目は学外の来場者も来るし、部活はみんな組織票を入れるしな。」
「それがなんで?」
「だーかーらー、初日の俺たちの舞台に、生徒たちがたくさん票を入れたんだよ。」
「そうなのか。すごいな。」
「ああ、すごい。それで、昨日みんなで話して、やっぱりMVPは結城だってことになったんだよ。」
「えっ、いや、俺?」
「そうだよ、あの戦隊コスチュームがなかったら、優勝なんてあり得ないからな。」
いやいやいや、美女四人が共演した舞台だぞ?
「まだピンと来てないのか、困った奴だな。誰か結城に解説してやってくれよー。」
総監督の埜本さんがニヤニヤしながら近寄ってきた。
「しょうがないなあ。」
埜本さんが説明してくれたことによると、まず俺が余裕を持って衣装を仕上げたことが観客動員に大きな影響を与えたのだそうだ。
「うちの美女たちが戦隊コスチュームで並んでる写真が撮れて、ポスターが作れたからねえ。あれは効いたよ。」
それはたしかに見た。なぜ俺が当日まで写真しか見られないのか、といじけていた。
「そしてあの完成度。舞台での映え。もう最高だったよ!」
「そういうことだよ、結城。練習の時なんて、俺も戦闘員も全員前屈み。大変だったんだぞ。」
橘が豪快に笑う。ぶっとい腕で背中をバンバン叩くのはやめてほしいんだが。
その後も、なんだか揉みくちゃ状態だった。
衣装の製作過程を説明させられたり、パーツのデザインの理由を聞かれたり、気の休まる時間はまるでなかった。
そうして、評価されたことの喜びを感じる間もなく、ただ戸惑いの中で打ち上げはお開きとなるのだった。




