(32)可愛くなんかないよぉ
「ありがとう、結城君、助けてくれて」
私は、やっとの思いでそう言った。
まだ体の震えが止まらない。
私の体を支えてくれている華ちゃんは、
「詩織ちゃん、震えてるよ、怖かったの?平気?」
と気づかってくれたのだけど…。
「違うの、華ちゃん、私ね、キレそうになってて。」
「「えっ」」
華ちゃんと、結城君が同時に驚いていた。
「詩織ちゃん、キレることなんてあるの?」
「うん、あんまりないけど、ね。」
怒りの風船がパンパンに膨らんで、破裂しそうになった。
どこからともなく現れた結城君が間に入ってくれなかったら、私はとんでもない罵声を彼らに浴びせていた。
風船の中の空気がシューッて抜けて、私は少し冷静さを取り戻した。
(あれっ?!)
なぜか私は結城君の手首を、思い切り握りしめていた。
慌てて手を離す。
「ごめん!痛くなかった?」
「ああ、痛くはなかったけど、握力強いな、とは思ってた。」
結城君は苦笑いしている。
「詩織ちゃん、ごめんね、気づくのが遅くなって。何があったの?」
「うん、すごくイヤなお客さんだったんだ。」
「そ、そうなんだ。詩織ちゃんが言うんだからよっぽどだったのね。」
「うん…あとで話すね。」
結城君の前では、とても言えない。
「わかった。じゃあ、詩織ちゃん、結城君に紹介してよ。」
「あ、うん、そうだね。結城君、こちら里村華ちゃん。文芸部の二年生で、イラストパートの子なの。あ、渡辺君の彼女で、渡辺君のお話に挿し絵を描いてるんだ。」
「あー、この絵葉書か?」
「うん、そうそう。結城君、作品集買ってくれたんだ。」
「ああ。あれ、氷見、なんて言った?渡辺の彼女?」
「うん、そうだよ?」
「えっ、渡辺には彼女がいるのか!いつから?」
「華ちゃん、いつだっけ、去年の文化祭の後くらい?」
「そういうことになってるんだけど、ほんとは文化祭の前からなんだー。」
華ちゃん、ちょっと照れててかわいい。
「そうか、渡辺には彼女がいたのか。」
結城君がなぜかショックを受けてる。そんなに意外だったのかな。
「ふふっ、あ、それでね、結城君、ブックカバーはあと二つ売れたら完売なんだ。」
今日は午前中に穂乃果ちゃんが来て買ってくれた。
他校の文芸部から来てくれた五人組の女の子のうちの二人と、一年生の保護者というご夫婦も一つ買ってくれた。
「へえ、意外と売れたんだな。安心したよ。」
「売れ行きが気になって見に来てくれたの?」
「まあ、半分な。あと、俺みたいな帰宅部からすると文化系の部活ってどんな活動してるのか謎だったから、見学しようと思ってさ。」
「そうなんだ、来てくれてありがとう。」
「ああ、それじゃあ、頑張ってな。」
ほんとはもう少し引き留めたかったけど、華ちゃんが何を言い出すかわからないから、あきらめることにした。
教室の出口で結城君を見送って、席に戻った私は、急に力が抜けてヘナヘナと椅子に腰を下ろした。
華ちゃんが少し笑って、
「いろいろ聞きたいけど…まずは何があったのか教えてほしいかな。」
「うん、なんかね、ブックカバーを売ってるの?って声を掛けてきたのね。」
「うん。」
「それで、あと二つで売り切れなんですよ、って話したら、『じゃあ、二つとも買うから案内してよ』って言われて。」
「うわー、下心見え見えだね。」
「うん、それはまあ耐えられたんだけど、ずっと薄笑いを浮かべてるみたいな感じで…。絶対ブックカバーを買っても大事に使ってくれる人じゃないな、って思ったの。」
「あ、そこなんだ。」
「そうだよ。そんな人には売りたくないじゃない?」
「うん、詩織ちゃんが頑張って作ったものだもんね。私だって、自分の描いたイラストを粗末に扱われたらイヤだもん。」
「そうでしょ?でも、すごくしつこくて、連絡先だけでも教えてよ、って言ってきて、もちろんお断りしたの。そしたら、商品を買ってもらったらアフターサービスしないと、なんて言うんだよ。許せないでしょ?」
「うんうん、それはひどいね。」
「そう、だからもう、ブチッてなってね、怒鳴ってやろうと思ったの。」
「えっ、なんて?」
「えー、それは言えない…」
「あははは、そんなすごいセリフで怒鳴ろうと思ったんだ、すごいね、詩織ちゃん。」
ふざけていただいては困ります、あなたのような方にはお売りできません、どうぞお帰りください、という趣旨のことを、すごく乱暴な言葉で叫ぼうとしていたなんて、華ちゃんにも言えない。
「う、うん、そしたら、目の前に立ち塞がった人がいて。」
「それが結城君だったんだ。」
「そうなの。細かいやり取りは聞こえなかったんだけど、その人たち、青くなって逃げていっちゃったんだ。」
「キレる前に助けてもらえてよかったね。」
「ううん、それが…その瞬間は、結城君、なんで邪魔するのって思っちゃって。思わず睨みつけちゃったんだ。」
「だ、大丈夫だよ、きっと。結城君は睨まれたなんて思ってないよ。」
「そうかなあ…だといいんだけど…でも気がついたら結城君の手首をガシッて掴んでて」
「あはは、あれは無意識だったの?」
「え、華ちゃん、見てた?」
「うん、結城君が出て行こうとしたら、詩織ちゃんがすごいスピードで捕まえてたよ?」
「ええー、どうしよう…」
「大丈夫だよ、可愛かったもん、すごく。」
「うそだよー、可愛くなんかないよぉ。結城君、いつからいたんだろう…」
本当に、急に目の前に現れた。だけど作品集を持っていたから、来たばかりだったわけではないみたい。
「うん、私見てたよ。」
「えっ、そうなの?」
「うん、読書席に座って、作品集を読んでたよ、あの人。」
「そうだったんだ、気づかなかった。」
「私もいつから、っていうのはわからなかったけど、詩織ちゃんの売り場がちょっと変だな、って思って私が見た時に、作品集をパタンって閉じて、詩織ちゃんのほうに近づいていったんだよ。」
「え…」
つまりそれって…
「詩織ちゃんと話したくて待ってたけど、困っているみたいだったから助けに行った、って感じかな。」
そ、そういうこと?
(結城君が、私を待ってて、助けてくれて、でも私は睨んじゃって、手首掴んで…)
もう何がなんだか、というか、とても処理しきれない気持ちがどんどん湧き上がってくる。
「はぁー」
私は大きなため息をついて、机に突っ伏した。
「やっほー、しおりん、華。」
そう声を掛けられて、顔を上げると、新聞部の埜本季穂ちゃんが立っていた。
腕にはえんじ色の腕章、首から大きなカメラを提げている。
「あ、季穂ちゃん、いらっしゃい。」
華ちゃんが答えてくれている間に、私は体を起こした。
「どうしたの?何かあった?」
季穂ちゃんは好奇心が旺盛で、『何かあった?』が口癖みたい。
「ううん、おしゃべりしてたんだよ。」
私はできる限りの平静を装った。
「ふーん、実はさ、ちょっとタチの悪いナンパ男が校内を徘徊してるって噂があって、追跡してるんだけど、見なかった?」
「へえ、見てないけど。」
季穂ちゃんは取り締まりではなくて、面白いネタ探しをしてるのだろうから、滅多なことは言えない。
「えっ、私も知らないよ?」
季穂ちゃんに目を向けられた華ちゃんも、あわてて首を振る。私がとぼけているから、合わせてくれたようだ。
「そっか、時すでに遅しかあ。」
季穂ちゃんは一を聞いて十を知る、というか、一を聞かなくてもいろいろ察知してしまうから怖い。信じられないくらい頭の回転の速い子だ。
戦隊ヒロインショーを提案した時も、ナッちゃんが少し話しただけですぐに了解してくれたらしい。その後は「総監督」の立場で、クラス全体を引っ張ってくれた。
「あ、なにこれっ」
季穂ちゃん、机の上のブックカバーに気がついて、手に取った。
「うん、ブックカバー作ったんだ。」
「ほほう。」
私は机の中から、結城君が完成見本に作ってくれたブックカバーを取り出した。
「こういう風になるの。これは見本だから刺繍はないけど。」
文庫本に装着して、使い方の説明に使わせてもらっている。
「へえ、いいね。」
季穂ちゃん、スカートのポケットから千円札を取り出した。お財布に入れたりしてないらしい。
「ひとつもらうよ。ちょうど今使ってるやつが傷んできたとこだから。」
「ありがとう。」
季穂ちゃんなら普段から使ってくれそう。
私はお釣りを渡す。
「文芸部で撃退済みってことは、美術部あたりか…行ってみるね!」
と、季穂ちゃん。ブックカバーを手に、風のように教室を出て行った。
ごまかしきれなかったみたいだけど、取材されなくてよかった。
(私がキレて大騒ぎになってたら、大スクープになっちゃってたかも…)
私は泣きたい気分で、再び机に突っ伏した。




