(31)これ、設計したの俺なんで
俺は翔真の部屋の壁にもたれて、漫画を読みふけっていた。
翔真は向かいでベッドに寄り掛かり、スマホのゲームに興じている。
しょっちゅう部屋に入り浸っているのだから「親友」といっていいのだと思うが、あまり会話はない。
同じことをしているより、それぞれ別のことをしている時間が長いのだ。
まあ、俺が翔真の漫画コレクションをあてにしているから、というのが理由なのだが。
「なあ、直人ー。」
「んー?」
「お前、今日、文芸部に行かなくてよかったのか?」
俺たちはさっきまで、高校の文化祭に行ってきて、その帰りに翔真の部屋に寄らせてもらった。
「なんで?」
文化祭に行ったのはもちろん、バドミントン部の招待試合を応援しに行くためだ。
翔真が千夏に「絶対に応援に来い」と命じられたからだが、俺も朝倉さんのユニフォーム姿を、じゃなかった、試合での活躍を見たかったので一緒に行った。
「氷見ちゃんの出し物を一緒に作ったんだろー?」
「一緒に作ったんじゃねえよ、ただ少し教えて手伝っただけ。」
「へえ、まあいいけどさ。」
バドミントン部の招待試合は、けっこうな動員数だった。
朝倉陽菜、石田千夏というスター選手がいるのだから当然ともいえる。
朝倉さんは第二試合に出場。三年生とペアを組んでいた。
バドミントンのルールには詳しくないのだが、実に所作の美しい競技だ。
上空高く上がったシャトルを見上げ、細かいステップで位置を調節し、シュパッとラケットを振り抜く。
こんな優美なスポーツがあるだろうか、と思いながら観戦した。
試合の結果は、たぶん朝倉さんたちが勝ったのだと思う。喜んでたから。
千夏は第四試合のシングルスに登場した。
こっちは翔真が少し解説してくれたので、スポーツとして試合観戦した。
序盤で大きくリードした千夏が、ミスを繰り返して点を詰められた時、翔真が突然叫んだのには驚いた。
「千夏ー!まじめにやれっ!」
おいおい、そんな応援があるかよ。というか、それ、あとで千夏に怒られるぞ?
客席からも笑いが起こったのだが、千夏はその声に気づいて、ラケットを上げて応えていた。
そして、その後の千夏のプレーはすごかった。
鬼気迫る、というと大げさかもしれないが、エグいショットを連発して相手を圧倒したのだ。
「よしよし。」
と翔真もご満悦だったから、まあそういうカップルなんだろう。
「直人ってさ。優しいんだが、冷たいんだがわからないよなー。」
「なんの話だよ。」
そっくりそのまま、翔真に言ってやりたいセリフなんだが。
「氷見ちゃんのことにきまってるだろ?」
「別に優しくも冷たくもしてねえよ。距離感を調節してるだけだし。」
「あれが、距離感の調節かよー。氷見ちゃんには同情するよ。」
「翔真は最近見てないだろ?」
「まあな、だけど千夏からはいろいろ聞いてるしさ。」
千夏のやつ、何を翔真に吹きこんだんだ?
「千夏だって見てないだろ、翔真と自転車通学してるんだから。」
「千夏は、穂乃果ちゃんと、氷見ちゃんと朝倉と、四人でランチしてるからな。見てはいなくても話は聞いてるんだよ。」
「氷見が俺のことをランチの話題にしてるってことか?」
事実関係だけを説明したとすると、「巾着をもらった」「お菓子の味見をさせた」「ブックカバーの作り方を教わった」「完成まで手伝ってもらった」その程度だろう。
「そんなの千夏が面白がってるだけだよ。翔真も真に受けない方がいいぞ?」
男っぽく振る舞っていても、千夏も女子なんだな。
女子ってのは尾ひれをつけて無理やり恋愛話のように解釈したがるものだ。
(朝倉さんまで、そんな話を信じこんだら困るけどな。)
巾着やブックカバーは、俺が朝倉さんのために精魂をこめた戦隊コスチュームに比べたら、遊びのようなものだ。
しかも、俺は朝倉さんの共演者の分まで製作したのだから、その情熱には天と地ほどの開きがある。
「ま、呆れてものが言えないからもう黙るけどさー。」
(ふん、言ってろ言ってろ。いつの日かこの会話を笑い話に変えてやるぜ。)
根拠のない自信とは知りながらも、俺はそう思うことで自分を励ました。
翌日の土曜日は昼前に起きた。
二度寝三度寝の末に、さすがに寝てられなくなったからだ。
豚肉と野菜を炒めて、買い置きのインスタントラーメンの上に乗せ、卵を一つ割り入れてブランチにした。
(今日はどうすっかなあ)
こういう時、親友が旅館の息子というのは不便だ。
土曜日は旅館の手伝いが忙しいから、翔真は誘い出せない。
しょうがないから部屋に戻って、パソコンを立ち上げたものの、何もする気になれない。
それに、妙にそわそわする。
悪い予感とか、そういうものではなく、ただなんとなく落ち着かない。
(うーん、なんだろうな、これは…)
認めたくはないが、氷見のことが気になっているのだ。
いや、違う。気になっているのは氷見のことではなく、ブックカバーのことだ。
作ったのは氷見で、俺は手伝っただけだが、設計者として売れ行きには少し興味がある。
(うん、それだけだ。)
それに、文芸部の雰囲気というのも見てみたい気はする。
氷見と渡辺の距離感だとか、渡辺以外の男子部員とか、知っておけば氷見の後押しができるかもしれない。
(暇つぶしにちょっと覗きに行ってみるか。)
俺は立ち上がって、制服に着替えることにした。
高校に着くと、人が多いことに驚いた。
(いやまあ、こんなもんか)
土曜日は保護者も他校の生徒も来るから、多少は人が増えるし、去年の文化祭も最終日はそれなりに忙しかったのを思い出した。
入口でもらったパンフレットによると、文芸部は俺のクラスを展示室にしているらしい。
他に興味のある展示もないから、まっすぐいつもの教室に向かう。
(なんだ、女子ばっかじゃん。)
部員数二十五人、というから、勝手に男女が十数人ずつ所属していると思いこんでいたが、展示スタッフらしき文芸部員は全員が女子だった。
氷見は隅のほうの机で、来客の対応をしていた。誰かの保護者と思われる夫婦と、何やら話している。
渡辺の姿を探したが、いないようだった。
中央に大きなテーブルがあって「作品集」を売っている。一部三百円だという。
「ありがとうございます!」
代金を払うと、一年生っぽい女子がにこやかな営業スマイルで作品集と絵葉書を渡してくれた。
「これ、そこで読んでもいいんですか?」
売り場の横に椅子がいくつか並べてあって、座って冊子を読んでいる人もいた。
「はい、どうぞ。」
氷見に見つかると面倒だから、氷見に背を向けて座って、作品集を開いてみる。
けっこう分厚い。
最初が渡辺の作品だった。
『楽しい夢が大好きな竜』というタイトルで、氷見は「ファンタジー」と言っていたが、どちらかといえば童話のようだ。
たしかに読みやすい。情景が浮かぶし、登場人物のキャラクターも鮮明だ。
村人の「楽しい夢」を食べてしまう「夢喰い」という魔力を持つ竜を、村人と魔法使いの猫が退治する話なのだが、これが泣ける。
幼い頃に両親を失った竜は孤独にさいなまれ、村人と仲良くなりたいと望む。そのために村人を理解しようとするのだが、竜には「夢喰い」の力があって、知らず知らず村人の「楽しい夢」を奪っていた。猫の魔法が夢喰いの魔力を封じ、竜は村人に謝って、その後は仲良く暮らす。
(なるほど。)
作品集と一緒に渡された絵葉書は、後日談的な情景らしい。平和が戻った村を三日月が見守る、という構図になっていた。文芸部はイラスト研究会も合併したと氷見が言っていたから、そっちの部員が描いたのだろう。
不覚にも目頭が熱くなっていた俺だが、ふと見ると、氷見の前には別の客が来ていた。
他校の男子二人のようで、氷見はなぜか困った顔をして、広げた両手を客に見せていた。
(ははーん、いわゆるナンパだな。)
客の一人がスマホを出して氷見に突きつけているから、連絡先を教えろとか、そんな無茶を言っているのだろう。
そういう不届き者がときどきいる。
(一概に不届き者とも言えないけどな。)
お互いに惹かれあって交際でも始まれば「知り合ったのは彼女の文化祭でー」という馴れ初めになる。
しかし、客の想いは氷見には通じなかったようだ。残念だったな、男子たちよ。
俺は作品集を閉じて、教室を抜け出すことにした。
氷見がナンパ男の対応に追われている今なら、見つからずに出られるだろう。
「ほら、商品を買ってもらったらアフターサービスもちゃんとしないと」
そんな声が聞こえたのは、氷見が座っている机の脇を通り過ぎようとした時だった。
俺は元来、さほどキレやすい性質ではないと思う。
しかし、その言葉を聞いた瞬間、なぜか頭の中が沸騰するような怒りを覚えた。
「あー、アフターサービスなら俺がしますよ。」
俺は咄嗟に、氷見の前の机に身を寄せながらそう言っていた。
腰がぶつかった机が、ガコンと音を立てた。
「な、なんですか、あんた。」
「これ、設計したの俺なんで。」
机にぶつかった腰の痛みが、俺の怒りを増幅させていた。
それは彼らのせいではないので、まったくの八つ当たりなのだが。
俺はスマホを持っている男に、ぐっと顔を寄せて、
「お前、どこの学校だ?」
と凄んでいた。
「あ、もういいです。」
男は慌てたように教室を出て行った。「なんなんだよ」と捨て台詞を残して。
(暴力沙汰にならなくてよかった。なんせそっちにはまるで自信がないからな。)
「ゆ、結城君…」
氷見の震えるような声に、我に返った。
(しまった、やっちまった…)
これじゃまるで、俺が氷見をナンパ男から守ったような状況だ。
「あ、ああ、氷見、ごめんな、せっかくの客を追っ払っちゃって。」
さっきぶつけた腰が急に痛みだして、そこに手を当て、三日月のような姿勢になっていた。
氷見のほうは俺を見上げて、ウルウルと涙目になっている。
「いや、あの、布製品にはアフターサービスとかないからな、それで」
なに言ってんだ、俺。
そこに、文芸部の女子が一人、異変に気づいて駆け寄ってきた。
「どうしたの、詩織ちゃん、大丈夫?」
彼女は氷見の背中に手を添えて、気づかっている。
「うん、大丈夫…」
氷見はまだ呆然としていて、俺を見上げたままだ。
「じゃ、じゃあな、氷見、がんばってな。」
この場からの逃亡を企てた俺の手首を、氷見がガシッと掴んだ。
こんな俊敏な動きもできるのか、こいつ。
「な、なんで」
そこまで言って、氷見はケホッケホッと咳きこんだ。
いいぞ、氷見。さすが天然女。
と思ったが、掴まれた手首が抜けない。意外に握力が強かった。
その短い攻防の時間で、氷見の咳は治まってしまった。
「ありがとう、結城君、助けてくれて」
ほらやっぱり、そうなった。
助けたわけじゃないし、お礼を言われることじゃないんだが。
「あ、この人が結城君?」
氷見を気づかっていた女子部員の瞳がキラリと光った。




