(27)好きな人くらいいるよな?
商談スペースの小テーブルに皿を置いてから、俺は少し後悔した。
(しまった、多すぎたな、これ。)
今日は両親が東京に買い物に出かけたから、近所のパン屋で調理パンを買ってきた。
ベーカリー「エンザン」という評判の店で、近隣はもちろん県外にもファンがいる。
特に週末は午前中にほとんどの調理パンが売り切れてしまう人気店だ。
「あっ、もしかしてエンザンのパン?」
「ああ、朝買ってきたんだ。」
「美味しいよね!切ってくれたんだ。」
買ってきた調理パンを半分に切って、二つの皿に乗せたから、ほぼ同量になっている。
「あー、悪い、俺、いろいろ食べたいから半分に切らせてもらった。」
「ふふっ、ありがとう。私もそのほうが嬉しいかも。」
普通に喜んでるからいいとしよう。
氷見のブックカバー作りは順調に進んでいる。
裁縫初心者向けに設計したんだから、あまり手間取られても困るが、数日前に刺繍のコツを少し教えただけで十個の刺繍を仕上げてきたし、ミシンの扱いも悪くない。
午後、ミシンに専用の器具を取り付けて、数カ所ずつかがり縫いをすれば完成だ。
氷見がコップにお茶を注いでくれて、俺はパンに齧りついた。
「うちの光生と、結城君の弟さんが仲良くなってたなんてビックリー。」
「陸上部で一緒なんだってさ。」
「そうなんだ。」
光生君がお菓子作りの特訓に付き合わされてボヤいてたことは黙っておいてやるか。
それに、氷見に好きな人がいるらしいことを、俺は知らないことになってるからな。
下手に話を続けるとボロが出そうだ。
「あ、結城君、さっきの話だけど」
(さっきの話ってなんだ?)
口にパンが入っていて返事ができないでいると、氷見はそのまま言葉をつないだ。
「私から陽菜ちゃんたちに聞いてみようか?」
「ん?」
「戦隊の衣装のこと。何か追加の希望はありますか?って。」
ごっくん、とパンを飲みこむ。
「いや、いいよ、そんなこと。」
むしろ困る。
今、氷見に頼みでもしたらこの場で朝倉さんに電話しそうだ。
成り行きとはいえ、俺の家で二人でブックカバー作りをしたなんて、朝倉さんには知られたくない。
「そう?でも結城君が聞きにくかったら言ってね。」
「ああ。そうだな、その時は頼むよ。」
その時は頼む、とは便利な言葉だ。その時までは何もするな、という意味だからな。
それより、この状況を他言しないように、氷見には口止めをしておかないと。
そのためには、氷見にとっても黙っておいたほうがいい、と思わせる必要がある。
「ところで、氷見。このことは人に話さない方がいいぞ?」
「このこと?」
「ああ。俺のうちでブックカバーを作ったこととか、さ。」
「え、どうして?」
「だってさ、俺だって一応、男だからな。変に勘ぐられたりしたら困るだろ?」
「そう、かな…。」
そうとも。
文芸部の出し物なんだし、渡辺の作品に合わせた刺繍までしてるんだから、よその男子が関与したなんて、他の部員に知られない方がいいに決まっている。
まあ、同級生や朝倉さんには話す必要すらないだろうが、妙な噂にでもなったら氷見も困るはずだ。
(俺ももうただの石ころじゃないからな。)
同級生たちも、さすがに同じクラスに「結城」ってやつがいることくらいは認識しているだろう。
「うん、そうだよね。勘違いされたら結城君に申しわけないし。」
(いや、俺がどうこうよりも、まず氷見自身のことを考えてほしいんだけど。)
「うーん、例えばさ、氷見が誰か男子から告白されるとするだろ?」
「えっ、されないと思うけど。」
「いや、だから例えば、だって。」
「うん…」
「で、その男子がいつも他の女の子と仲良くしてたとしたら、本気なのかな、って疑うじゃん。」
「あっ、結城君が告白する時に、私と仲良くしてるって思われたら困る、ってこと?」
なぜそうなる。たしかにそうなんだが、今伝えようとしていたことは違う。
「そうじゃなくてさあ。わかった、じゃあ、もっとわかりやすく言う。」
「うん。」
「氷見が好きな人に告白するとして、氷見は結城と仲がいいじゃん、って思われたら困るだろ、ってこと。」
ここまで言えばわかるだろう。
「私が、告白するとして…」
そうそう、よく考えてみろ。困るだろ?
「結城君と私、仲いいかな。」
なんで嬉しそうに言うかなあ。
「それはわからないけど、朝も登校の時に一緒になるし、席も前後だし、仲良さそうに見えるかもな、ってことだよ。」
「うん、そう見える…かもしれないね。」
「だろ?その上、文化祭用のブックカバーは実は結城に手伝ってもらった、なんて言わない方がいいぞ?」
「うーん、だけど、私一人じゃできないもん。逆に嘘つきな子だと思われちゃうよ。」
「そんなの、お母さんに手伝ってもらったとか、言っておけば平気だよ。」
「ふふっ、うちのお母さんね、こういうことは何もできないの。」
そんなことは聞いてないんだが。
ダメだ、やっぱりこいつとの会話は噛み合わない。
それはそれで面白いからいいんだが、思惑通りにコントロールするのが難しい。
(いや、待てよ…?)
そもそも氷見の告白はどうなったんだ?
すでに告白が終わって、付き合いが始まっているのかもしれない。
それで、告白の例え話が空回っているのかも。
「あ、もしかして氷見って彼氏いるのか。」
「いないいない、いるわけないよ。」
いるわけない、ってこともないと思うが。
「でも好きな人くらいいるよな?」
俺はついそう聞いてしまっていた。いくら同級生でもこれはいけない。
「そ、そんなこと言えないよー」
氷見は真っ赤になってしまった。申しわけない。
「ごめんごめん、立ち入った質問だった。」
氷見は横を向いて、手でパタパタと顔を扇いでいる。
つい勢いで聞いてしまったのだが、そもそも氷見に好きな人がいるのはわかっていたことだ。
俺としたことが、まったく何をやってるんだか。
ここはいったん逃亡、じゃなかった、少し時間を取ってやらなくてはいけない。
俺は食べ終わった皿を重ねて、それを持って席を離れた。
(あれ、あいつ、全部食べたな…)
二人の皿はきれいに空になっていた。
手を洗ったついでに、タオルハンカチでおしぼりを作って、席に戻ると氷見はおかしな表情で座っていた。
素知らぬ顔でとぼけているような、とでもいうのだろうか。
俺はもちろん、それ以上追及するつもりもなく、氷見におしぼりを渡した。
「あ、ありがとう。」
「よく食べたな、多すぎるかと思ったけど。」
「結城君が変なことばっかり言うから、つい食べ過ぎちゃった。」
「あー、ごめん。」
「うそ。ほんとはね、朝ご飯を食べる時間がなくてお腹空いてたんだ。」
「あはは、そうなのか、言ってくれれば時間遅らせてもよかったのに。」
「ううん、時間がかかりそうなのはわかってたから。」
「まあ、ここまでは順調だったと思うよ。じゃあ、再開するか。」
「うん!」
氷見らしい表情に戻って安心した。
俺はミシンにかがり縫い用の器具を取り付けながら、
「これで、かがり縫いっていう縫い方ができるようになるんだ。布の端を頑丈にして、傷みにくくする縫い方だな。」
二つ折りにした布を縫い合わせて、「底のない袋」のようになった布の端を折り返してアイロン掛けをする。
折り目が付いたら、適当な長さで布を裁断し、その裁断面をかがり縫いで塞ぐ。
折って重なる部分の上下も、同じように縫うと、本の裏表紙を差しこむポケットができる。
「それでブックカバーの左側は完成だ。」
表紙側は、厚手の布を袋の口に挟み入れて縫い合わせることで張りを持たせる。
こちらは読んだところまで、栞の代わりに挟んで本をくるむから、折り目はつけない。
本によって厚さが違うから、そのほうが使いやすいと思うが、かといって長すぎるとダボつくことになるから、寸法には注意が必要だ。
三日月の刺繍をどのあたりに配置したいか、ということを考えて全体の寸法を測っていく。
「うん、わかった。」
「まずやってみるからな。」
練習用の端切れを使って、かがり縫いを実践する。
ミシンの針が器用に左右に動き、下糸を絡めながら布の端を縫い合わせていく。
「おもしろーい。ロボットみたいに動くんだね。」
ロボット?と思ったが、氷見はたぶん産業用ロボットのことを言っているのだろう。
たしかに、ミシンというのは自動機器の原点のような存在とも言える。
「やってみるか?」
「うん!」
氷見は練習用の端切れでひとしきり練習した後、本番に挑戦した。
「失敗したら、糸は抜いてやるから、安心して縫っていいぞ。」
「うん、頑張る。」
それから、およそ二時間ほどで、氷見は十個のブックカバーを完成させた。
「すごい…できちゃった…」
作業台に並んだ完成品を見渡して、氷見はそう呟いた。
「ああ、よく頑張ったな。」
これは俺の本心だ。
氷見はともかく素直に、教わったことを実行する。
器用なタイプではないと思うが、ともかく一生懸命に取り組む。
上手くできないことでも、できるまでやる、というのは強いし、それがしっかりと形になった。
(大したやつだな。)
感心して氷見を見ると、ポロポロと涙を流しながら泣いていた。
「結城君…ありがと…ほんとに。私、私ね、結城君が『裏方も大事』って言ってくれたから…裏方として文芸部の作品集に…参加できてよかったと…思ったけど…やっぱり何か、思い出になるようなことをしたいなって思ってて…」
あとは言葉にならないようだった。
(そうなんだよなあ)
物作りは、この完成した時の達成感がすごいのだ。
戦隊コスチュームを仕上げた時もビリビリッと背中に感動が走ったし、「氷見用巾着袋」の時もそうだった。
俺は、感動を共有できる仲間を得たような、少し厄介な弟子を抱えたような、複雑な思いで、泣いている氷見を見ていた。




