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(26)何もないから元気がないの…?

 今朝は今にも雨が降りそうな曇り空。

 部屋の窓から見える塩山の町も白く霞んでいる。


 私はパジャマ姿でベッドの前に立っていた。


(うーん…)


 ベッドの上にはお洋服がいっぱい並んでいる。


(何を着ていけばいいんだろう…)


 今日は結城君の家に行って、ブックカバーの縫製をさせてもらうことになった。

 結城君のアドバイスのおかげで、三日月の刺繍をなんとか十個、揃えることができたから。


『時間がかかるかもしれないから、午前中から来ていいよ』


と、昨日チャットで返事をくれた。

 文化祭は次の次の木曜日から始まるから、お休みは今日と来週末しかない。


(お菓子作る時間がなかったな…)


 私は何をやってもトロくって、昨日は一日中、刺繍に時間を取られていた。


(でもお礼はまたすればいいよね。)


 気持ちを切り替えて、ベッドの上に視線を戻す。


 最初に、巾着のお礼のお菓子を届けた時は、白いシャツに薄いラベンダー色のカーディガン。ライトグレーの長いプリーツスカート。


 二回目にブックカバーの作り方を教わりに行った日は、薄茶色のワンピース。


「えへへ」


 さんざん迷って決めた服装だったけど、結城君が「可愛い」って褒めてくれた。


 今日は文化祭に出すブックカバーを作る、という「作業の日」だ。

 作業と言っても農作業じゃないから、トレーナーにデニムパンツというわけにはいかない。


(蒸し暑くなりそうだけど、室内で作業だし…)


 私は、白の薄手のパーカーを手に取った。


 結城君は服装のことに敏感だから、プレッシャーがかかる。

 中学の時も、高校に入っても、彼はいつも制服をきっちりと着ているし、友達の(えり)の乱れを直してあげたり、肩についた汚れを払ってあげたりする姿をよく目にする。


 白いパーカーに、黒のタイトなパンツを合わせてみた。


(モノトーンだと少し大人っぽく見える…かな。)


 だけど、暑くなってパーカーを脱ぐことも考えると、パーカーの下に着るものが問題だ。

 白は無難だけど、最初の日にも着ていたし。

 黒はパーカーを脱いだ時に真っ黒になっちゃう。

 ピンクのTシャツも気に入ってるけど、少し派手な色合いだ。


(あ、これがいいかも。)


 半袖の、紫色のシャツ。肩から胸にかけては色が薄くて、お腹のほうは濃い色になるグラデーション。

 結城君が刺繍してくれた桔梗のイメージに合ってる。


 ふと時計を見ると、思ったより時間が過ぎていた。


「大変!」


 行く前にシャワーを浴びなきゃ。

 私は慌てて着替えを抱え、部屋を飛び出した。



 二時間後。


 私は結城君の家のミシンの前に座っていた。

 練習用に、と、結城君が余った布をくれたから、その布に引かれた線の通りに縫っていく。


 結城君は隣で見ていてくれるんだけど、なんだか今朝は元気がない。

 今日の曇り空のように、どんよりした表情をしてる。


「結城君、今日は元気がないけど、体調が悪いんだったら無理しないで。」


 実際は今日ある程度まで仕上げないと文化祭には間に合わない。


(でも結城君のほうが心配だし…)


「ん?いや、体調は大丈夫だよ。」


「何かあったの?」


 彼の元気を失わせるようなことがあったのかな…。


「いや、ない。なんにもない。」


 結城君の言葉は、元気がないというより、「がっかりしてる」みたいに聞こえた。


「何もないから元気がないの…?」


 言いながら、変なことを言っていると思ったのだけど、結城君は頷いた。


「ああ。何もないんだよ。先週さ、文化祭の衣装を作って、戦隊役の四人に渡したんだけど…」


 木曜日に、結城君はナッちゃんたちに衣装を渡していた。

 翌日の昼休みは、陽菜ちゃんとナッちゃんが、その感想を言い合って盛り上がった。


「もうね、完璧なのよ。文句のつけようがないわ。」


 陽菜ちゃんはそう言っていたし、ナッちゃんも、


「あたしも、直人があそこまでできるやつだとは思ってなかった。」


と感心していた。


「あっ、ナッちゃんも陽菜ちゃんもすごく褒めてたし、気に入っていたみたいだよ?」


 結城君はもっと称賛や感謝の声をもらえると思っていたのかもしれない。

 私も、陽菜ちゃんがコスチュームを着た写真を見せてもらったけど、すごくかっこよくて、セクシーだった。


「そうなのか…。だけどさ、着てみたら何かあると思うんだよなあ。もっとこうしてほしいとか、こんな風にできないか、とかさ。でも誰からも、なんにもない。」


「……。」


(やっぱりすごいなあ、結城君は…)


 私は、結城君が四人の衣装を完成させて、彼の仕事は終わったものだと思っていた。


 でも結城君は違う。


(もっといいものに、もっとみんなが納得するような衣装にしたい、って思ってるんだ。)


 四人からの要望がないのはむしろいいことだと思えるけど、結城君には彼なりのこだわりや情熱があるみたい。


「でもこれから衣装を着て練習するって言ってたし、動いてみたら何か希望が出てくるかも。」


 私にはそんな当たり前のことしか言ってあげられなかったのだけれど、


「そうだよな、焦ってもしょうがないよな。」


と、結城君は少し元気な声になって言った。


「よし、じゃあ、だいたいできてるみたいだし、本番やってみるか。」


「う、うん、そうだね。私がおかしなことしたら止めてね。」


「あ、その前に、構造とこれからやることの説明だけしておくか。」


 結城君の声に張りが戻った。よかった。


 それから、結城君はブックカバーがどういうものになるのか、そのためにどんな作業をしていくのか、ということを細かく説明してくれた。


 まず大きな布を二つ折りにして、合わせ目を縫い合わせる。

 筒状になるので、裏返して、筒の両端の口を縫う。

 ブックカバーになるように、本の裏表紙を差しこむところを作る。


 大まかな構造を解説しながら、縫い合わせ方とか、補強の仕方を説明してくれた。


「表紙側は、差しこむようにしてもいいけど、読んだところまででくるめるようにしたほうが便利だと思うんだよな。栞が一緒になってる、っていうのかな、どう思う?」


 結城君が「栞」と言った時、私の名前の「詩織」って言われたようでドキドキしちゃった。


「えっ、うん、そうだね、栞が一緒のほうがいいと思う。」


「わかった、じゃあ、こっちの端を閉じる時に厚手の布を入れようか。探して切っておくよ。」


 その間に、私は刺繍の終わった布を二つに折って、アイロンを掛ける、寸法を測り直す、縫い合わせるための線を引く、布がずれないように待ち針を刺す、といった作業をした。


 十枚の布で同じ作業を終えると、結城君が単行本を充ててチェックしてくれた。

 さりげなく、何本かの待ち針を刺し直してくれたりもした。


「うん、上出来だ。じゃあ、線に沿って縫い合わせて。」


 緊張しながらミシンを動かして、布の筒を作っていく。

 一枚縫うと、結城君がまたチェックして、はみ出した余分な布を切り落としてくれる。

 筒状になった布を裏返すと、表側に三日月の刺繍が現れた。


「この状態でもカバーになるぞ、ほら。」


と、単行本をくるんで、見せてくれた。

 完成の姿が想像できて、嬉しくなる。

 それに、結城君と一緒に作っているみたいな感覚…。


 私が十枚の布を縫い終えて、結城君のチェックも終わると、


「よし、じゃあ昼休憩にしようか。」


と、結城君は店の奥に立っていった。住居スペースになっているみたい。


(緊張して作業してたから、肩()っちゃった。)


 両腕を頭の上に上げてストレッチ。

 農作業の時よりも筋肉は使っていないはずなのに、肩と背中の筋肉が硬直していた。


「氷見ー。」


 奥から結城君の声がした。


「ちょっと運ぶの手伝ってくれ。」


 私が立って、結城君の声がした方に行くと、お店と住居の境い目の扉に結城君がいて、


「これ持ってって。」


と、お茶のペットボトルと、二つ重ねたコップを渡された。


「うん。」


 それを持って、作業場の方に戻っていくと、お店の入口から入ってきた人影があった。


「ただい…ま…」


 馴染みのある体操着を着た少年だった。

 甲州北中の体操着だから、結城君の弟さんなのはすぐにわかった。

 なんて言っていいかわからなくて固まっていると、弟さんも固まっていて。


「おう、洋太。」


 私の後ろから結城君の声がした。


「お客さんなんだから挨拶しろ。」


「あ、こんにちは」


「光生君の姉さんだ。文化祭の出し物を作ってるから。あと、お前の昼飯、テーブルに乗ってるからな。」


「うん。あ、えっと、どうぞごゆっくり。」


 洋太君が赤くなってお辞儀をして、すれ違っていった。

 振り返ると、結城君が二枚のお皿の上にパンを並べて立っていた。


「パンでよかったか?朝、買ってきたんだけど。」


「えっ、うん。それより結城君、光生のこと知ってるの?」


「ああ、言ってなかったっけ。いつだったかな、ゴールデンウィークか。洋太が連れてきたぞ?」


「え、そうだったの?知らなかった。」


「そうなのか、一緒に晩飯食ったんだ。親が旅行中で俺が作ったからひどい食事だったけど。」


 そういえば、友達の家で夕食をご馳走になったって話は聞いた気がする。

 お菓子の味見役がいなくて困った日だから、五連休の三日目、かな。


 驚き方もわからなくて黙っていると、結城君はお皿を持って作業場を通り過ぎ、お店のほうにあるテーブルの上に置いた。


「俺たちも昼飯にしようぜ。」


「あ、うん。」


 私はお茶のペットボトルとコップを持って結城君のいるテーブルに向かった。

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