(25)それはこっちのセリフだよ
六月に入って、朝の日差しも肌を刺すように強くなってきた。
駅に向かう俺の気持ちは高揚していて、足取りも軽い。
昨夜、予定よりも数日早く、戦隊ヒロインたちの衣装が完成したのだ。
四人分の衣装とパーツが、肩に提げたバッグに入っている。
(もちろん、これでいいってことはないだろう。)
パーツのアイデアも試作品も、戦隊の四人や「総監督」の埜本さんには見せたし、同級生たちの意見を聞いた。
さまざまな希望に、可能な限り応えてきた。
それでも、実際に着てみれば細かな修正点は出てくるはずだ。
(朝倉さんは特に思い入れがあるって言ってたからな。)
どんな無理難題でも、聞く覚悟はできている。
例えば、スカートの丈が短すぎる、と言われれば、一から作り直しだ。
が、そんな時間と労力も惜しむつもりはまったくない。
朝倉さんと相談しながら共同作業で作り上げればいいのだ。
(そういう意味ではもうちょっと手抜きしてもよかったかな。)
と、思わなくもないが、今日まず持っていくのは『丹精込めた完成品』でなくてはならない。
俺が期待しているのは「ダメ出し」ではなく「追加の要望」なのだから。
文化祭本番まで、まだ一週間以上も時間があるから、二度三度とやり替えることも十分に可能だ。
(そのために完成を急いだんだし。)
我ながらよく頑張ったもんだ、と、感慨に耽りながら、駅前のロータリーに差し掛かった。
(んん?)
意外な光景に、俺は思わず足を止めていた。
塩山駅前には、バス停の少し先にベンチがあるのだが、そのベンチに見慣れた制服の女子が座っていた。
(氷見、だよな?)
鞄を前に抱えて、頭を垂れているから顔は見えないのだが、まちがいなく氷見だ。
小さなクマが鞄についている。たしか「トーマ」とか「トーナ」とか、名前をつけていると誰かから聞いたことがある。
(具合でも悪いのか…?)
そう思いながら近づくと、氷見はコクリコクリと頷くように頭を動かしているし、微妙に左右に揺れている。
(寝てる、のか?)
朝の駅前ロータリーのベンチで居眠りする女子高生。
(なにやってんだよ、こいつ)
この状態に至った経緯が、まったく想像できない。
(まあいいや、見なかったことにしよう。)
去年までならそれでよかったが、今は同級生だしなあ…。
かといって、急に起こしたら、さぞかし驚くにちがいない。
そして、驚かすとどんな突飛な行動を取るか、わからないのが氷見である。
朝っぱらからこんな駅前で、悲鳴でも上げられたら一大事だ。
(うーん、どうしたものか。)
俺はとりあえず、氷見が座っているベンチの隣に腰を下ろした。
「氷見。」
控えめな音量で声を掛けてみる。
起きない。
「おい、氷見。」
少し音量を上げてみる。
氷見は、ゆっくりと瞼を開いた。
「おはよ。」
と声を掛けると、氷見は座ったまま二センチくらい跳ねた。
「わあっ!ビ、ビックリした…」
「それはこっちのセリフだよ、何やってんだ、こんなとこで。」
「あ、え、いつからいたの?」
「いや、ついさっきだけど。」
「えー、起こしてくれればよかったのに。」
「いや、だから起こしたんだけど?」
隣に座る前に起こしてくれれば、という意味なのはわかっているのだが、最近はこの噛み合わない会話が少し面白くなっているのだ。
「そうじゃなくて」
「わかったわかった、見つけてすぐ起こしてくれってことだろ?だけど、氷見、驚かすと何するかわからないじゃん。」
「そ、そうだけど」
「で?何やってたんだよ、駅前で」
「うん、結城君を待ってたの。」
あたりまえのことのように言うな。
氷見と朝の駅前で待ち合わせるような仲になった覚えはないんだが?
毎朝同じ電車で通学しているのは認めるが。
氷見は鞄を開けて、中を探ると、綿麻風の布を取り出した。
「昨日ね、刺繍をしてみたんだけど…」
なるほど、そういうことか。手に取ってみる。
(うん、たしかにひどいな。)
実は、三日月のような弧を描く刺繍というのは難しい。
特に、糸の打ち込み方向を間違えると、短い部分と長い部分が極端になるから、ちょっとした力加減で歪みができやすい。
(でも初心者ならこんなもんだろう。)
とも思う。表面がデコボコでも、使っていれば平坦になっていくし、多くの人は多少の歪みなど気にしない。
「ぜんぜん上手にできないの。」
「いや、こんなもんじゃないか?初心者なんだし。」
「でも結城君の刺繍と比べるとひどくて…」
おいおい、いきなり俺と同じレベルで刺繍されたら俺の立つ瀬がないんだが。
(まあ、でも、氷見も一生懸命なんだよな。)
何より、布も糸も針も、刺繍用具の一式を結城洋品店で買ってくれたお客様である。
冷たく突き放すわけにもいかない。
「とりあえず、改善できることが二つある。一つは糸の方向だな。」
三日月のような絵柄を刺繍するときの、糸の方向をレクチャーする。
「こっちの向きで刺繍した方が、長さが短いから、キレイに仕上がると思うよ。手数は増えるけどな。わかるか?」
「うん、わかった。」
「もう一つは、針を持つ位置だと思う。」
思い通りの位置に針先を打ちこもうとすると、どうしても針先に近いところを持ってしまう。
針先を入れるには都合がいいが、どうしても糸が捻じれてしまうから、仕上がりがきれいにならないのだ。
「俺は我流だから、正しいやり方なのかはわからないけど、針孔のところを持つようにしてる。」
「だけど、それだと…」
「そう、下絵の通りに針を入れていくのは難しくなる。」
氷見もどうやらそこに苦労したらしい。
「氷見、左手を広げて、顔の前に出してみ。」
「え、こう?」
「そう、で、広げたまま手の平を下向きにする。」
「うん。」
「そしたら右手は人差し指だけ伸ばして、指さすみたいに。」
氷見は素直に、左手でパーを、右手で「1」を作った。
「そうそう。で、右手の人差し指で、左手の中指の先をつっつく。」
「うん…」
「それを何度もやる。同じところをつっつくの、意外と難しいだろ?」
「うん、そうだね、少しずつずれる。」
氷見の目が左手の中指に集中して、「寄り目」になる。
「慣れると、同じところを突けるようになるよ。あまり目で見ないほうがいい。」
「そうなんだ。」
不思議なもので、慣れてくれば目をつぶっていても、正確に同じ場所を突けるようになるのだ。
「俺は、針の穴のところを中指と親指で持って、人差し指でガイドするみたいに入れてる。」
持ち方、針の入れ方を指で実演する。針を持っているわけじゃないから伝わりにくいかもしれないけど。
「うん、練習してみる。」
「よし、じゃあ、電車に乗ろうぜ。」
35分発のバスが発車していって、駅のホームには韮崎行きの電車が入ってきたのが見えた。
「え、うん。」
俺たちは少し急いで階段を上がり、ホームへ向かった。
教室に着くと、俺は真っ先に千夏の席に行った。
もちろん、出来上がった衣装を渡すためだ。
「よう、千夏。できたぞ。」
こんな時くらい、俺だってドヤ顔しても許されるよな?
「できた、って、まさか衣装が完成したってこと?」
どうだ、千夏。俺はやる時はやる男なのだ。
千夏の声に、最初に振り向いたのは朝倉さんだった。
俺はバッグの中から、四人分の衣装を取り出した。
一人分ずつ、セットにしてビニール袋に入れてある。
高森さんと島崎さんも気がついて、千夏の席に集まってくる。
彼女たちだけでなく、男子たちも、そして女子も数人、ぞろぞろと集まってきた。
「もうできたのか、すげえな、結城」
誰だっけ、と思うやつまで声を掛けてくれる。ちょっと気恥ずかしい。
赤を島崎さんが、青を高森さんが、そして銀を朝倉さんが、それぞれ手に取った。
「石田ぁ、頼む、チラッとでいいから見せてくれっ!」
千夏に向かって手を合わせたのは、バスケ部の沼田。
「だーめだよ!戦隊ヒロインにとってコスチュームは超極秘事項なんだから。」
と、千夏がふざけて、周囲に笑いが起こる。
朝倉さんもその後ろで静かに微笑んでいた。
「それぞれ着てみて、気になることがあったら言ってほしいんだ。あとは俺に直接言ってくれればいいから。」
そう、ここは大事なところだ。
これまでは衣装についてのやり取りは千夏を通じてやってきたが、あとは個人個人の要望も聞いていく。
俺はついに、道端の石ころからちょっとだけ進化したのだ。
朝倉さんとの距離だって、たぶん少し近づくはずだ。
今日ばかりは自分を褒めてもいいよな、と俺は思った。




