(23)ずいぶん可愛い恰好してるな
俺はベッドに仰向けに寝転んで、天井を見上げていた。
試験終了日の夜の、この脱力感は至福だ。
何もすることがない。
いや、することはある。
が、今日は休ませてもらおう。
今週末の二日間で、文化祭用の戦隊衣装づくりはだいぶ進められる計画だ。
ミニスカートとベルトは生地の裁断が終わっている。
四人のレオタードの袖と胸元には、光沢のあるサテン系の布で純白のラインを縫いつける。
(来週の週末には完成できるかもな…)
本番二週間前には一度完成させたい。
実際に動いてもらえば、照明映えや見え方の調整もできる。
(今日のところは体力温存だな。)
まだ八時頃だが、このまま眠ってもいいかな、と思っていたら、部屋のどこかでスマホが震えた。
(どこに置いたっけ。)
どうせ翔真だろうから放っておいてもいいか。
と、思ったが、淡い期待が頭に浮かんで、俺はガバッと身を起こした。
机の上に置かれていたスマホに手を伸ばす。
(なんだ、氷見かー)
朝倉さんからの連絡かと思ったのに。まあ、そこまで期待していたわけでもないんだが。
『こんばんは、ナッちゃんに教えてもらいました。日曜日にお菓子を作る予定なので、届けに行ってもいいですか?ブックカバーの作り方も教わりたいです。』
いかにも氷見らしいメッセージだ。
前回は突撃してきたから、事前予告を送ってきたようだ。
俺のアカウントは千夏から聞いたのか。
ブックカバーのことが本題だろうに、お菓子の話を先にしてくるとは、なかなかあざとい。
『3時頃ならいいよ』
と返信しておく。どうせ一日中家にいるし、店の作業場で作業する予定だから何時でもいいんだが、いつ来るかわからないというのも落ち着かない。
前回もたしか三時頃だったから、そのくらいの時間がいいだろう。
(仕方がない、準備だけはしておいてやるか。だけど、待てよ…?)
考えてみると情報が足りない。
『文庫本サイズでいいのか?数はどのくらい作るつもり?』
そのくらいは知っておかないと、準備ができない。
『はい、3時頃行きます。サイズは文庫本で、数は十個くらい作りたいです。』
と、返信が来た。
朝倉さんともこういうコミュニケーションがあっていいのに、なんで氷見とだけやり取りがあるんだ。
まあいいか、こういう雑事はとっとと片づけてしまおう。
俺は机に向かって、型紙を作ることにした。
文化祭の衣装づくりのために、型紙用の方眼紙は作業場から持ってきていたから、すぐに着手できる。
(氷見は初心者みたいだから、簡単なやつでいいよな。)
ブックカバーなんて裁断も単純だし、縫製も直線的だから、大した手間でもない。
本棚から適当な文庫本を取って、サイズを確かめ、俺は金属製の定規を手に取った。
日曜日。三時ちょうどに、氷見はやってきた。
「こんにちはー。」
店のシャッターを半分開けておいたから、そこにしゃがんで中を窺っている。
「あはは、入って来ていいんだぞ。」
「うん、お邪魔します。」
シャッターをくぐって、店内に入ってきた。
「今、持ってくるから座ってて。」
この前と同じ、商談用の小テーブルの席に座らせて、俺は作業場から、氷見に渡そうと準備しておいたものを抱えていく。
(あっ、しまった…)
氷見の服装は、薄茶色の長袖ワンピース。ブランドまではわからないが、上質な生地で丁寧に作られていて、しっとりとした落ち着きを感じさせる。明らかに「よそいき」だ。
それに、少しヒールの高い革靴まで履いている。
どこかに出かけた帰りか、これから出かける途中に、ここに立ち寄ったのかもしれない。
そうだとすると「午後三時」という時間設定は、あまりにも中途半端だ。
俺はどうせ家にいたのだから、時間は氷見に決めさせてやればよかった。
「あー、ごめんな、氷見。中途半端な時間で。」
「ううん、午前中はお菓子を作ってたから、ちょうどよかったよ?」
氷見はきょとんとした顔をしている。
(まあ、氷見がそう言うならいいか。)
いやいや、どう見ても近所の同級生を訪ねるだけの装いではない。品のいい色の口紅まで塗っている。
買い物とか、外食とか、パーティーとか、デートとか、何かあるのだろう。
だとすればなるべく早く、ここでの用事を済ませてやったほうがいい。
(とはいえ、ある程度の時間は想定しているだろうからな。)
早ければ早いほどいいということもないか。
「そうか。どのくらい時間がある?」
ブックカバーの製作方法については渡せば済むように準備はしてあるが、少しは説明しようと思っていた。
だから、氷見が想定している所要時間を把握しておく必要がある。
「この後の予定は何もないから、結城君の都合に合わせるけど。」
「……。」
こいつが天然女なのを忘れていた。服装選びの基本はTPOだが、どうやらわかっていないようだ。
そこまでは面倒見切れないから、お節介は焼かないけど。
「えっ、服?なんかおかしかったかな。」
俺の沈黙と視線で、さすがの氷見も気づいたらしい。
あわてた様子で自分の服装をチェックしている。
「いや、おかしくはないよ。ただ、俺の家に来るだけにしてはずいぶん可愛い恰好してるなと思ってさ。」
氷見の家からここまでは徒歩十分か、せいぜい十五分だろう。
トレーナーにGパンくらいでいいと思うぞ?
「そ、そんなことないよ。」
なに照れてんだ。というか褒めてるわけじゃないんだが?
「…まあ、いいや。ブックカバーな。こんな感じのものか?」
俺はまず、ブックカバーに包まれた単行本をテーブルに乗せた。
昨夜、綿麻風のポリエステル生地で作ったから、それを単行本に装着した。
薄めの布を二重構造にしているのは、表面側の布に刺繍をしたいかもしれないと考えたからだ。
「えっ…?」
氷見がそれを手に取る。
「これ、結城君が?」
「ああ、昨日作ったんだけど、そんなイメージで合ってるか?」
「わざわざ作ってくれたの?」
「わざわざ、って。どんなものを作りたいのかわからなかったら教えられないだろ?」
「ごめん、結城君、忙しいのに。」
「いや、そういうのはいいから。イメージに合ってるか?」
いちいち反応されてると話が先に進まない。
「うん、イメージ通りというか、イメージしていたのより素敵。」
無地のブックカバーに素敵も何もないと思うけど。
「で、これが型紙な。この型紙に合わせて、布を切る。」
「あ、待って、メモするから。」
「ああ、いいよ、手順はこっちに書いたから。」
作業手順を書いた紙もテーブルに出す。
一応、ワンポイントの刺繍を入れるのを想定して書いておいた。
手順的には、最初に布に刺繍をするところから始まるから、刺繍を入れない場合は、最初のほうの工程をごっそり省けばいい。
「刺繍…私にもできるかな。」
「家庭科でやらなかったか?」
「あ、うん、やったけど…」
「じゃあ、できるだろ。何か刺繍したいものがあるのか?」
「うーん…あ、三日月!」
「三日月?」
「うん、渡辺君のお話に挿し絵があるんだけどね、すごくロマンチックで素敵なの。その絵の夜空に三日月が浮かんでて、その挿し絵は絵葉書にもなるんだけど、作品集と一緒に売られることになってて、だから今回の作品集の象徴的なイメージで、三日月がいいかなって。」
何を言ってるのか、さっぱりわからない。
どうやら、渡辺の作品に合わせた意匠を刺繍したい、ということみたいだな。
まあ、初心者が十個の刺繍をするのだから、図案は簡単なほうがいい。
「わかったわかった。じゃあ、本の表紙側で、上の方に三日月が浮かんでるとすると、刺繍が入るのはここだからな?」
型紙の、本の表紙になる部分に、三日月の形を書き足す。
「うん。じゃあ、買うものは…。」
「ああ、そうか。」
俺としたことが、初めて刺繍や裁縫にチャレンジする人が買い揃えるものを書くのを忘れていた。
「刺繍に使うのは木枠だな。あとは布と針と糸。チャコペンはわかるか?」
「うん、鉛筆みたいなやつだよね。」
「そうそう。」
「アイロンは自分のがあるし、あ、ミシンは買わなきゃ。」
えっ、ミシンがない家なんてあるのか。
「このためにミシンまで買うのか?」
「うん、お母さんに話したら、必要な物があったら買いなさいね、って言ってくれたんだ。」
「へ、へえ…。」
最近のミシンは刺繍もしてくれる機種もあるけど、それは黙っておこう。
たかが文化祭の出し物を作るのに、高額なミシンを買う必要はない。
その時、奥からお袋がトレーにお茶を乗せて現れた。
「直人、お客さんならそう言いなさいよ。ごめんなさいね、お茶も出さずにこの子は。」
「あ、お邪魔してます、氷見詩織と言います。」
氷見が立ち上がってお辞儀した。
「あー、お袋は出てこなくていいんだよ。高校の同級生。文化祭の出し物の打合せ。」
端的に、氷見の紹介と用件を話す。
「まあまあ、こんな田舎まで来ていただいて。」
「いや、氷見はすぐ近くだから。中学も一緒だったし。」
「あら。竹下さんのところのお嬢さん?」
なに聞いていたんだよ、お袋。氷見だって言ってんだろ、と思ったら、
「あ、はい。そうです。」
と氷見が答えた。
「え、竹下って…。」
この町で、竹下農園を知らない人間はいない。
町の東に見える山のほとんどを持っていて、広大なブドウ農園を営む大農家だ。
「竹下さんの奥様には母がお世話になったんですよ。お孫さんってことかしらね。」
「あ、そうなんですね。私の母の旧姓が竹下で、今は母が父と農園を継いでいます。」
「そうなんですか、お母様は私と同年代で、お仕立ての配達に行くとよくお目にかかったんですよ。うちは主人が入り婿で」
「お袋、そのくらいでいいんじゃないか?」
「あ、ああ、そうね、失礼しました。ではどうぞごゆっくり。」
と言って、お袋は背を向けたのだが、俺はふと思いついたことがあって呼び止めた。
「あ、お袋。氷見にうちのミシン、使わせてやってもいいか?」
わざわざミシンを買わなくてもいいし、うちのミシンなら俺も使い方を教えてやれる。
「直人、何言ってんの、こんな安物のミシン…あ、でも、そうね、こんなのでもよろしければどうぞ気兼ねなく使ってください。」
なにニヤニヤしてんだ、お袋のやつ。まあ気にしてもしょうがないか。
「ふぅ」とため息をつくと、氷見が椅子に座り直して、
「ふふ、明るいお母様だね。」
と囁いた。
「でも結城君、いいの?ミシンのこと。」
「ああ、新しいミシンじゃ使い方を覚えるところからだから大変だろ?うちのなら俺が教えてやれるからさ。」
知らなかったが、氷見があの竹下農園のお嬢様とはな。
この浮世離れした天然っぷりも納得できる。
しかも、俺みたいな庶民とは身分が違うから、少々世話を焼いてやったところでなんの問題もない。
お袋にはあとで、洋太も氷見の弟の光生君と仲がいいと伝えておこう。
「じゃあ、刺繍と裁断までできたら、縫製はここでやったらいいよ。俺も手伝うし。」
「うん、ありがとう、結城君。」
何やら嬉しそうなお嬢様の笑顔を見ながら、俺は重大なことを思い出していた。
(あー、俺…)
竹下農園のお坊ちゃまに、手抜きのカツ丼なんか食わせちまったよ。




