(21)裏方の仕事も大事だもんな
何ごともなく一週間が過ぎた。
そう、一週間、何ごともなかったのだ。
もちろん、俺は普通に高校生活を送っていたし、迫ってきた中間試験の準備や、戦隊コスチュームづくりも着々と進めていた。
戦隊の衣装を担当しているから、朝倉さんを含む四人の連絡先だって教えてもらった。
四人の戦隊美少女たちはみんな「何かあったら電話してくれていいからね」と言ってくれた。
(なのに、なぜだ…)
朝倉さんとの貴重な接点ができたというのに、まるで連絡する必要がない。連絡する口実もない。
(いや、なんかあるだろう、例えば…うーん、例えば…)
…まったく思いつかない。
パーツづくりは順調に進んでいて、トラブルさえないのだ。
昨夜だって、四人分のマントを製作したのだが、なんの問題もなく仕上がってしまった。
(まだ文化祭までは日もあるしな、きっと何か確認することが出てくるだろう。)
楽観的に考えつつ、朝の駅の階段を昇る。
(そういえば、氷見の告白はどうなったんだ?)
相手が渡辺なのかどうか確証はないが、二人の様子にはまるで変化が見られない。
変化といえば、一つだけあった。
翔真と千夏が自転車通学を始めたことだ。
「翔真が運動不足で、ぶよぶよだからさ、少し鍛えてやることにしたんだよ。」
と千夏は言っていた。
少し前なら大問題だ。
翔真と千夏が途中から電車に乗ってこない、ということは、氷見と二人で登校するということなのだから。
たしかに、最初は少し動揺した。
(おいおい、氷見と二人で登校しろってか。)
しかしそれも、「氷見の告白待ち」という今の状況ではさほど問題にならない。
翔真との待ち合わせもなくなったから、朝の電車も決めなくてよくなった。
38分発の韮崎行きでも、50分発の松本行きでも、どっちでもいい。
今朝は少し寝坊したせいで、38分発に間に合わなかった。
駅前にいつも停車している大菩薩嶺登山口行きのバスも、もう発車した後だった。
(ま、次の電車でまったく問題ないからな。)
ホームに降りていくと、どうやら氷見も乗り遅れたらしく、50分発の電車を待つ列に並んでいた。
「おはよ。」
「あ、おはよう、結城君。」
「氷見も乗り遅れたのか。」
「う、うん、朝ね、ちょっと仕度に手間取っちゃって。」
「俺も少し寝坊した。昨日の夜、衣装づくりに没頭しちゃってさ。」
「もうすぐ中間テストなのに大変だね。試験勉強は平気なの?」
「平気っていうのは、勉強不足で成績が悪くても平気、ってことか?勉強しなくても成績は取れるから平気、ってことか?」
氷見は反応が面白いからちょっとからかってみる。
「えっ、えーと、納得がいくように勉強できてるのかな、って。」
「なるほど、自分なりに納得して試験に臨めるか、ってことだな?」
「うん。」
「まあ、上位二十位以内がかかってる奴ならそうかもなあ。」
甲斐高校では、上位二十位以内の成績優秀者のみ、昇降口の掲示板に貼り出される。
俺は幸いにも、そんなところに名前を晒されたことがないから、あまり関係がない。
「結城君は中学時代も勉強できたもんね。」
「ええ?どこ情報だ、それ。」
いわゆる「中の上」くらいの成績だったのは認めるが、取り立てて優秀な生徒ではなかった。
「え、だって、甲斐高校って倍率はけっこう高いでしょう?」
「いや、まあ、そうだけど、そういう氷見だって合格したじゃんか。」
こいつの言うことはときどき論理性に欠ける。
「私は精一杯背伸びして、やっと合格したんだもん。結城君は合格できるって思われてたけど。」
「思われてた、って誰にだよ。俺だってそれなりに頑張ったぞ?」
家庭の事情で私立という選択肢はなかったから、県立で合格圏の高校を受けたのは否定しないが。
電車がホームに入ってきた。
松本行きは塩山始発じゃないから、座れることはあまりない。
俺たちは並んで吊革に掴まった。
「結城君はどうして、甲斐高校志望だったの?」
「まず乗り換えは面倒だから中央線の沿線で探したな。あと、駅から歩ける、とか。」
「あはは、そんな理由だったんだ。」
「部活とか、進学率とかで選ぶ奴もいるんだろうけどな。氷見は?」
「え、私は何?」
「いや、どうして甲斐高校を選んだかって話だったろ?」
「あ、そっか。結城君と一緒…」
「なんだ、氷見もそうか。まあ、通学を考えれば、いい高校だよな。」
「う、うん、そうだよね。」
なに赤くなってんだ、こいつ。
まあ、人に誇れるような志望理由でないのはたしかだけどな。
「氷見はどんな授業でも真面目に受けててえらいよな。古典なんて眠くなるけど、氷見はいつもちゃんとしてるもんな。」
「え、それは、そんなことないけど、あ、でもね、授業をちゃんと聞いてるから試験勉強は楽になったかも。」
ん?どういう意味だ?
試験勉強を始めてみたら、これまでよりも能率的で、その原因は授業をちゃんと聞いているから、という意味かな。
(なるほど。)
つまり氷見は二年生になってから授業態度を改めたということか。
それはたぶん、斜め後ろの席に渡辺がいるからだろう。
授業中でも渡辺の目を気にしているとは、さすが氷見。健気だ。
と、まあこんな具合に、氷見との距離感には気を配りつつ、やむを得ず二人で登校する、ということになっているのだが、誰からも特に何も言われない。
からかわれたりすれば否定もできるのだが、そんな機会もない。
(高校生なんてそんなものなのか。)
何も言われないなら気にする必要もないのかもしれない。
考えてみれば、毎朝たまたま同じ電車になるだけのことだ。
(そうだよ、朝倉さんだって俺が氷見と同じ中学で、同じ駅なのは知ってるんだから。)
それに、もし朝倉さんが氷見から恋愛相談を受けていたら、俺と氷見の仲を邪推するようなことはない。
(なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ!)
もう、俺の恋の前にはなんの障害もないのだ。
(…だからといって何ができるわけでもないんだけどな。)
朝倉さんにとって、まだ俺は道端の石ころのままだ。
衣装づくりのことで、多少の接点ができたとはいえ、それ以上の進展もなければ距離が縮まったということもない。
(ともかく文化祭の衣装をきっちり仕上げるのが第一歩だな。)
戦隊ヒロインには思い入れがあると言っていたし、完璧なコスチュームを作れば喜んでくれるはずだ。
(あれ?文化祭といえば…)
「氷見は文芸部で、何かやるのか?文化祭。」
「えっ、うん、作品集を作ってるの。小説とか、漫画とか、イラストとか。」
「文芸部としてはそうだろうけど、氷見は読む専門なんだろ?」
「うん。みんなの作品が良くなるようにお手伝いしてる感じかな。裏方だから。」
「そうか。そうだよな、裏方の仕事も大事だもんな。」
運動部の招待試合にしても、出場する選手だけでなく裏方の支えがあってこそ試合ができる。
そう言う俺もクラスの舞台では「衣装班」なんだから、思い切り裏方だ。
「でもね、部長からは何か出せば?みたいに言われてて。」
「ふーん、チャンスはもらってるわけか。いい部長だな。」
「うん、創作じゃなくても、書き物でなくてもいい、って。」
「お菓子とか?」
「あ、食べ物はダメなの。事前に申請してないから。」
たしかに、三年生は教室で喫茶店ができるし、運動部でもいくつか屋台を出すが、食品衛生がどうとかで事前の届け出とチェックが入る、という話を聞いたことがある。
氷見のクッキーやケーキなら高評価を得られることはまちがいないと思ったが無理か。
「それでね、ブックカバーとか栞とかでもいいよ、って言われたんだけど…」
「ああ、文芸部らしくていいな。」
「う、うん、でも私、そういうのできないから、どうしようか悩んでて。」
「できないってことないだろ。」
小学生の時、マンガ好きな同級生の誕生会に招かれて、小遣いがなかったから単行本サイズのブックカバーを自作して持っていったことがあった。意外と喜ばれたな、あれ。
「だって、やったことないし…。」
氷見、それはよくないぞ。誰だって最初はやったことがないんだから。
「ま、俺に手伝えることがあったら言ってくれよ。」
文芸部で氷見の評価が上がるのは俺にとっても大事だからな。
ブックカバーの型紙くらいならすぐ作ってやれる。
「でも結城君、忙しいだろうから。」
「たしかにな。だけど中間試験が終わったら少しは時間ができると思うよ。」
そう言うと、氷見は黙りこんでしまった。
試験が終わってから文化祭までは三週間ある。
俺の衣装づくりは、演者の稽古でも着てもらわないと細かい調整ができないから、一週間前までには終わらせる予定だ。今のところ順調だから、少し前倒しで試着できる状態にできると思う。
氷見は難しい顔をして悩んでいるが、例えば布のブックカバーなら、一日もあれば二十個くらいは作れる。
高校の文化祭に出品するのに、どれだけの数が必要なのだろうか。
「あの、結城君。」
氷見が急に真顔になって真剣な声を出したから少し驚いた。
「なんだ、あらたまって。」
「私に、ブックカバーの作り方を教えてもらってもいい?」
なんだ、そんなことか。
「ああ、いいよ、別に。」
型紙作ってやって、縫う場所と順序を書いてやればいいだろう。
ミシンの使い方くらいは小学校でも中学校でも習ったはずだからな。
あれほどのクッキーをすぐに作れるようになった氷見なら、きっと拍子抜けするくらい簡単なことだろう。
「あ、そうだ。」
いくら自分のためになるとはいえ、氷見に一方的に親切にするような形になるのは望ましくない。
「その代わり、また今度お菓子作ることがあったら俺にも少し分けてくれよ。」
これでよし。
対等な立場で氷見の後押しができる。
あの美味いお菓子をまた食べられるというおまけつきだ。
俺にとっては大いにプラスになる取引だが、どうせ氷見は気づかないだろう。
「うん、ありがとう、結城君。」
氷見は嬉しそうな笑顔で俺を見上げていた。
(こいつ、こういう顔すると無駄に可愛いよな。)
俺はあわてて目をそらし、窓の外を流れていく町の風景に視線を戻した。




