(20)そんなのわからないよう
文芸部の部室は、特別棟四階の「理科実験室」。
文系で一番規模の大きな「文芸部」と、理系の「理科学部」が一日交代で使っている。
実験室のテーブルは平坦で滑らかで、黒くて大きいから、イラストパートや漫画パートの人には都合がいいらしい。
ときどき、理科学部の怪しげな実験器具が置かれていて「さわらないで!」と書いてあったりする。
「あ、詩織ちゃん、来た!詩織ちゃーん。」
部室に入ると、小宮山 伊智加先輩が真っ先に私を見つけて駆け寄ってきた。
「詩織ちゃん、昨日来なかったじゃない、どうしたの?」
「こんにちは、伊智加先輩。昨日は私、図書室当番ですよー。」
「あ、そっか。」
伊智加先輩、部長なのに、細かいことには全然こだわらない。
部員数二十五人の部活だけど、普段の部室にいるのはだいたい十人前後。
いわゆる幽霊部員もいるし、自宅で創作にいそしむ人も多い。
今は文化祭で販売する作品集「甲斐談」の校了に向けて、部室全体に熱気が満ちている。
「で、さっそくだけど、読んでほしいの!」
「あ、はい…。」
「もう、そんな顔しないで。最終章なんだから。」
(最終章…やだなあ…)
伊智加先輩の小説はホラーで、ともかく怖い。
前回はたしか主人公が仲間たちと、怨霊に呪われた旅館から脱出して、古びた空き家に逃げこむところで終わっていた。
「旅館でさんざん恐怖体験したのに、古びた空き家に逃げこむでしょうか。」
って言ったんだけど、先輩は、
「いいのよ、盛り上がれば。それに廃村なんだから空き家しかないでしょ?」
と、涼しい顔をしていた。
最終章、きっと怖いんだろうなあ。
「氷見さーん、その後、私のもお願いー。」
同じ二年生の小林 弥生ちゃんは丸眼鏡をかけた文学少女。推理小説を書いているんだけど、いつもトリックのネタに困っていて「何かない?」が口癖だ。
私に言われても、いいアイデアなんて出せないよぉ。
「詩織ちゃん、凛空君のも読んであげて。」
イラストパートの里村 華ちゃんは、渡辺凛空君の彼女で、彼のファンタジー小説に素敵な挿し絵を描いている。
「詩織ちゃんに感想を言ってもらえると自信がつくから、最初は詩織ちゃんがいいんだって。」
と言っていて、渡辺君が書くと、最初に私のところに持ってきてくれる。
(渡辺君のお話の続きは読みたいから、頑張ろうっと。)
文芸部は「合評会」といって、みんなでお互いの創作物を回し読みして、感想や批評を言い合う、という活動をしている高校もあるらしいけど、甲斐高校では「三人に読んでもらう」というルールになっている。
私は読む専門だから、この「三人」のうちの一人に選ばれることが多いのだけど、あまり大したことが言えない。修正点を指摘するより、つい褒めてしまうことのほうが多いから、役に立てているのか不安になる。
「はい、座って。これ、原稿ね。」
読ませてもらう時は、作者と向かい合わせに座る。誤字や脱字や変換ミスを見つけると、その都度指摘して、作者が赤ペンで修正を書くことになっている。
伊智加先輩は、私を文芸部に勧誘してくれた人だから逆らえないのだけど、まさかホラー小説専門とは思っていなかった。
情景の描写がすごく上手で、読みながら映像が見えてくるような気がする。
ホラー映画みたいに瞬間的に驚かすというより、「考えるとじわじわ怖い」仕掛けが散りばめられていて、背筋にゾゾゾーッて怖気が走る。
今回の最終章では、主人公の仲間が怨霊に憑りつかれていたことが判明するのだけど、前章までに巧妙に張り巡らされていた伏線が一気に回収されて、身の毛のよだつような恐怖が押し寄せてきた。
「ひぃーっ!」
私が足をバタバタさせて怖がると、伊智加先輩も足をバタバタさせて喜んだ。
「ほら、この前、詩織ちゃんが、旅館で怖い思いをした主人公が古い空き家に逃げこむのはおかしい、って言ってたからさ、なんか伏線にできるところがないか読み返したら、あったのよね、これが。」
「は、はい…ぞっとしました。」
だけど、怖がってばかりもいられない。
私は、描写が先を急いで乱暴になっている箇所と、読むうえで引っ掛かる部分を指摘させてもらった。
「そっか、ここで引っ掛かると、スムーズに怖がれないか、そうだね。」
伊智加先輩、原稿に赤ペンを走らせて「これでどう?」と見せてくる。
(うぅ、怖いよぉ…)
文章の引っ掛かりがなくなると、怖さが倍増する。
先がわかっていてもやっぱり怖くて、また膝が震えちゃった。
満足そうな伊智加先輩と入れ替わって、前に座ったのは弥生ちゃん。
「ねえ、この謎、どうすれば解けると思う?」
謎だけ考えて、解き方がわからない、ということが、弥生ちゃんにはよくある。
「そんなのわからないよう。」
「えー、この前だって見事に解いてくれたじゃん。」
「解いてないよ、私は一人じゃ無理だよね、って言っただけだもん。」
衆人環視の中での犯行はどう考えても無理だと思ったから、そう指摘したことがあった。
「そうそう。だから共犯者を作ったらうまくいったんだよね。」
「うん、たしかに意外な共犯者でビックリしたよ。弥生ちゃん、よくあんなこと思いついたね。」
「だからー、氷見さんがヒントをくれたおかげなんだってば。ねえ、だから今回もお願い!」
目の前で手を合わせる弥生ちゃんは可愛いけど…。
仕方がないからもう一度読んでみる。
「うーん、さっぱりわからない。」
「もー、そんなガリレオみたいなこと言わないでよぉ。」
「うふふふ、だってわからないもん。なんでだろうね。」
容疑者全員にアリバイのある殺人事件。容疑者同士がお互いにアリバイを証明し合う関係で、利害関係から考えても共犯とか口裏合わせの可能性はない、とはっきり書いてある。
「なんか利害から離れた事情でもあれば違うのかもしれないけど…」
「それだっ!それだよ氷見さん!」
「えっ、それ?どれ?」
「別の動機よ!そうだ、その手があった。書き直してみる!」
私の手から原稿を奪い取って走り去る弥生ちゃん。
そのまま、鞄を抱えて部室を飛び出していっちゃった。
「華ちゃん、渡辺君、お待たせー」
弥生ちゃんの勢いに目を丸くして苦笑しながら、華ちゃんがやってきて、渡辺君の席も作ってあげている。
(んー、やっぱり渡辺君の文章はほんわかだなあ。)
伊智加先輩のホラーと、弥生ちゃんの殺人事件ものの後だから、余計に渡辺君の書くファンタジーワールドには癒される。
森の外れに住んでいる小さな竜が、村の人たちの楽しい夢を食べてしまう理由がわかるシーンでは、思わず涙ぐんでしまった。華ちゃんが描く竜の表情が、たまらなく切なかったから。
「すごくかわいいと思う!魔法使いの猫ちゃんもいい味出してるよね。もっと絵がいっぱいあって、絵本みたいになってるといいなあ。」
そう言うと、華ちゃんが顔色を変えた。
「ちょっと、詩織ちゃん、無茶言わないでー!」
「お話がけっこう長いからね。絵本にするのは大変だと思うけど。」
渡辺君は優しくフォローする。
「挿絵だけのページがあって物語の世界観が伝えられるといいかもしれないね。華、頼めるかな。」
「えー、凛空君にそう言われると描いてみたくなるけど…。」
しっかり者の華ちゃんが、急にデレデレモードになるのはみんなが知っている。
私は褒めるだけじゃなくて、ちゃんと感想を言わなくちゃ。
「あ、渡辺君、すごくいいけど、誰のセリフなのかわかりにくいところがちょっとあったかな。誰かの語尾にクセをつけるといいかも。にゃあ、とか。」
渡辺君は静かに頷いて、メモを取ろうとしたけど、華ちゃんの手に止められた。
「詩織ちゃん、例えば、どのセリフ?」
と、華ちゃんに具体的な説明を求められる。
指摘する点は抽象的な「雰囲気」や「方向性」じゃなく、なるべく具体的に伝える、というのが文芸部のルールなのを思い出した。
「あ、そうだよね。えーと、例えばここかな、魔法使いの猫ちゃんのセリフだから『灯りは小さくても、暗いところなら見えるにゃっ』って。」
「にゃっ、詩織ちゃん、かわいいっ」
華ちゃん、膝を跳ね上げて大喜びしてる。
「あっ、華ちゃん、ひどーい!」
さすがの私も、華ちゃんにうまく乗せられたって気がついた。
「あはは、ごめんごめん、だって聞いてみたかったんだもん。」
逃げていく華ちゃんを追いかけたけど、追いつけなかった。
「もー」
ふくれて席に戻る私。
渡辺君は、逃げていった華ちゃんを優しい笑顔で見ていた。
華ちゃんにはこんな風に優しく見守ってくれる彼氏さんがいて羨ましい。
(いいもん、私だって結城君が「頑張れよ」って言ってくれたもん。)
昨日、図書室で結城君と過ごした時間は幸せだったなあ。
中学一年の時、体育倉庫で彼が言った「誰にも言うなよ」って言葉の真意を聞くこともできた。
文芸部での活動の様子も話すことができた。
結城君は「運動部のマネージャーみたいな感じ」と言った。
陽菜ちゃんは「試合に出ないけど練習するみたい」と言っていた。
どちらも言い得ていると思う。
だけど、文芸部がいつもこんなに賑やかに活動しているとは思わないかも。
文化祭の時に誘ったら、部室まで見に来てくれるかな。
(でも『ロムっ子』の私には作品がないし、招待するのはおかしいよね。)
「詩織ちゃんも何か出品してみたら?」
と、少し前に部長の伊智加先輩は言ってくれた。
「創作じゃなくても、書評とかオススメ紹介なんかでもいいのよ。書きものでなくてもかまわないわ。そうね、例えば、手作りのブックカバーとか、あ、栞もいいわね、詩織だけに。」
なんて、本気なのか冗談なのかわからないような言い方だったけれど…。
文庫本を読む人が減って、ブックカバーや栞の需要も減ったと聞いたことがある。
しかも、手作りなんて上手にできるわけがない。
文化祭で出品するなんて思いもよらないし、それこそ恥ずかしくて結城君を招待できなくなる。
(結城君にお願いしたら、作り方を教えてくれるかな。)
そんな思いが頭をよぎったけど、それはもっと無理だと思い直した。
だって、結城君は今、クラスの期待を一身に背負って、陽菜ちゃんたちのコスチュームづくりを進めているんだから。
(なんでもかんでも結城君に結びつけて考えたらダメだよね。)
だけど、高校二年生の文化祭なんだから。
私も何か、思い出にできるようなものを作れたらいいな。




